書く内容が見つからない…
さすがに毎日分を書き続けていると、こんな日が必ず出てくる。
ネタがないのかというとそうでもない。
プロレスラー三沢光晴氏が急死した話もあるし、変動の多い政治的な話もある。
だから自分の思惑だけを書くというのであれば、内容がないわけでもない。
ただ、確たる情報や推測するにしても面白いと思う内容が伴わないと、書くという事になかなかつながらない。
だから、こういう事態に直面すると書く内容が思い浮かばず、結局ナニを書いていいのかわからなくなる。
日記的Blogを書いている人は、多分よく陥る事だと思う。
毎日書き続ける事の意味を時々自分で考える事がある。
毎日書くという行為が必要な意味が自分の中でも曖昧になっている。
何故続けているのか?
多分、意地なんだろうと思う。
このBlogでは2007年5月1日より、毎日分をただひたすら書き続けている。
この2007年5月1日の前は、実は一つのトラブルより数日間ストップしていたが、同じように数年間ずっと毎日分を書き続けていた。
多分、10年以上は毎日分を書き続けているハズだ。
ここまで続けていると、やはり自分の中で意地というものが目覚めてくる。
その意地だけで、毎日分をただひたすら書き続けている。
だから、意味があるのか? という話になると、その意味はないに等しい。
意味のない事を毎日継続している、という事になるのかもしれないが、10数年をこうして過ごしてきているためか、その無意味な行為に使命感のようなものも感じたりする事がある。
今、こんな事を書いている今も、多分その使命感で書いていると言ってもいい。
これが習慣というものなのかもしれない。
Blogを始めても続かないとかいう人は、多分この使命感に似た感覚がつかめないから続かないのではないかと思う。
ネタ切れは誰にでもある。
問題はそのネタを自分の中でどれぐらいの危機感として認知するのか、またBlogを書いた方がいいという感覚を使命感としてどれぐらい優先順位を上げるか、という所だと思う。
もしこれらが出来ていれば、多分Blogは継続して書き続けることができるだろう。
よく思われているのは、読んでいる人のリターン、つまりコメントがないと続けるモチベーションが続かないという事だが、それこそ自分勝手と言わざるを得ない。
Blogは情報発信という能動的行為の上に成り立つモノであり、受動的なナニかを期待するものではない…と私は思っている。
だから、誰が読んでいるかわからないとしても、ただ自分から自分の意志を書き続けるという信念がないと継続できない。
むしろ、誰も読んでなくてもいいぐらいの気持ちにならないと、絶対にモチベーションなど上がらないし続かない。
リターンを期待するのなら、誰かのBlogにコメントを残したり、掲示板に書き込みするだけにした方がいい。
ま、要するに毎日Blogを書き続ける事ができるという事は、それだけ自己主張(自己顕示欲)が強いという事なのかもしれない。
ましてそれを使命感とまで言い切った私は、相当にクセ者なんだろうと思う。
そんな人間になってもかまわないという人はその覚悟を以てBlog道に入るといいだろう。
…で、今日私はナニを言いたかったんだ?(爆)
「ネタが無い」と言うネタの回ですねw
私もポメラニアンになってから文書量が増してはいますが、毎日欠かさずとまではなかなか出来ません。
小さな事でも継続すれば何らかの力になっていると思います。
継続は力なり、ですね。
返信
継続する事に意味がないという事はないのかもしれません。
どんな事でも、継続するという力は何かを生み出す源のようにも思えます。
そういう意味で、今までよく継続してこれたなと思いつつ、これからも継続していこうという気にもなれます。
ただ…
マジでキツイっすよ orz
ネタが無いときなどはネームが思い浮かばないマンガ家のようなものでして(爆)
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