今更ながらこの内容を私が語る事もないのだろうが、4gamer.netで記事にもなっていたので、私なりに感じる事をとりあえず形にしておこうと考えた。
実はこの問題を知る発端となった、同じく4gamer.netの2010年10月29日の記事を読んだ時に、私は大いに共感した。
そのとき、私はコンテンツ関係の仕事を辞めてからすでに6年近く経過していたのだが、私が辞める時にも全く同じ事を考えていたのである。つまり、6年経った今でも状況は変わらない…いや、時間が経過しているだけ悪化していたという事だろうと思った。
その考えていた事というのが、コンテンツを作る(モノ創り)側の体制やそれらを管理している人の心構えというヤツである。
“モノ作り”と書くと、現職場の製造業の方に言ってしまうので、ココではあえてモノ作りという言い方はせず、コンテンツやそれらに付随する製品作りを“モノ創り”と書く事にする。
私は前々職に在籍中、その会社でのモノ創りの体制が本当に正しいのか? という事を疑問に感じ続けていた。
どんな事かというのは、この稲船氏の記事を読んでもらえれば十分である。すべて同じように感じていたと言ってもいい。
クリエイターのサラリーマン化という部分については、おそらくデベロッパの方が切実な悩みなのではないかと思うが、私が在籍していたのはどちらかといえばパブリッシャ側であったため、パブリッシャ側の考え方に激しく同意できるのである。
私も在籍中はいろんなゲームの製作に携わった。パブリッシャ側なので制作ではなく製作。予算投下してデベロッパに開発してもらうというものである(もちろん予算を投下して自社で創るのも製作ではある)。
外部に委託しての事なので、管理業務が主となるわけだが、その管理するという体制にものすごい違和感と疑問がついて回っていたのである。
これはゲームにかかわらず、現在のコンテンツと呼ばれるものの大部分が同じなのではないかと思う。主としてアニメ産業などは、この構造のせいで現場が全くといっていいほど優遇されない状況であり、そしてそれはゲームも全く同じであった。
私はパブリッシャ側であったため、悪い言い方をすれば吸い上げる方にいた。開発側のリソースを使い、成果物を吸い上げる…いや、もはや吸い取るといった方がジャストかもしれない。吸い取られた側にどれだけのものが残るのか…それを考えると、パブリッシャ側のモノ創りは本当の意味でモノを創っていない。
なので、私は一度社長に直談判した事があった。
「自社にも開発リソースを置くべきです。デベロッパにすべて任せてこちらは管理するだけでは、何れ管理側からモノ創りの感覚はなくなってしまいます」
自社に開発リソースを置く意味は、自社のリソースを使うとなれば少なくともそこでオリジナル作品の根幹を十二分に検討しなければならなくなるからだ。しかもプロジェクトの途上で問題が起きたときは自社内のマンパワーで解決できる事も増える。
しかしその事に大きなリスクが伴うのも理解していた。人件費は確実に増える。それでも、私は同僚が既にモノ創りの感覚が変な方向に向かいつつあるのを感じていたため、このままでは危険だと感じたのである。
ゲームのコンセプトとなる部分すら創れなくなる…この事の意味を周囲はどう考えていたのかはわからない。
社長への直談判は結果から言えばNoだった。予測していた事ではあるが、パブリッシャ側からすれば、そんなリスクを背負うより吸い取る方が楽なのである。
だが、それは自分たちの足下を崩していく事に他ならない。自社内にコンセプトを作れる人材がいなくなり、商社的サラリーマンだけが残ってしまったら、オリジナル作品など作れようはずがない。
この私の思いと同じ事を、あのゲームメーカーの老舗カプコンに在籍していた稲船氏が感じていた…この事実を知ったとき、私は自分が在籍していた一企業だけの問題でなく、これは既に日本のゲーム産業全体に言える事なんだという事を再認識した。もちろん在籍中にも大きな問題になっている事は理解していたが、トップメーカーのカプコンの内情を垣間見たとき、それはもう猶予ならない事になっていると感じたのである。
稲船氏はこれから先、自分のブランドで勝負する道を選んだ。正直うらやましいと思うし、凄いとも思う。私には出来ない事だし出来なかった事である。
今のゲームがつまらない、という本当の理由は、こういう体制の中から生まれてきている事にある。少なくとも私はそう思っている。
だから稲船氏が展開してくるゲームはかなり期待できるのではないかと思う。もちろん、すべてそうかどうかはまだわからないが、少なくともモノ創りスピリットはあると思う。
予算を出せばそれは予算を出した側の権利となる。
この間違ったモノ創りの認識を直さない限り、パブリッシャは自分の身を切り続ける事しか出来ない。
そしてデベロッパはもっと野望に満ちていていいと思う。もっと貪欲に権利を主張してもいいと思う。
そうする事で、業界全体を変えていかないと世界からどんどん遅れていく。
この例が正しいかどうかはわからないが、ス○ウェ○エ○ッ○スのF○14(コレ、もう隠してないな(爆))が無残な結果で公開されたのは、まさにコンセプトを作れるクリエイターが作っていない事を意味していると私は見ている。
ス○ウェ○エ○ッ○スはパブリッシャでもありデベロッパでもあるが、その両方の性質を併せ持った会社でも、この体たらくなのである。
今の日本のモノ創りが末期的である事の象徴のように思えてならない。
と、稲船氏の事を久々に記事で読んだため、とりあえず形として私も感じていたことを残してみた。
おそらく、こうしたパブリッシャとデベロッパの関係はモノ創りだけでなく、モノ作りでも起きている事だと思う。
この関係をどうにかしないと、日本は構造的に欠陥を抱えたまま進む事になりそうで、正直この先不安で仕方がない。
本来、モノ作りやモノ創りは今のような形ではなかったハズだ。
そういう意味でも、今後の稲船氏の動向には期待していきたいし、成功する事を祈っている。
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