山本 寛(やまもとゆたか)という人がいる。
まぁ…知っている人はアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』のシリーズ演出や『らき☆すた』の監督だった人と、すぐに浮かんでくるかもしれないが、まぁそういう人である。
山本氏は現在京都アニメーションから離れ、株式会社Ordetの代表取締役になっている訳だが、その人がこんなインタビューをうけていた。
IT Media
業界が“先祖返り”している
『ハルヒ』『らき☆すた』の山本寛氏が語るアニメビジネスの現在
さすが業界の人、状況がよくわかってらっしゃるといった感じ(当たり前か)。
私も過去この業界にいた者として、この内容を読む限り、ああ、今も何も変わってないのね、という感じ。
アニメというと日本の世界に先駆けた産業と思われがちで、実際確かにそうなのだが、じゃあこの業界は潤っているのか? というと実際そんな事はない。
潤っているのは出資元だけであったり、版権元だけだったりするのが常で、制作サイドはカツカツの予算でハイクォリティを求められているというのが実態である。
私も現職の頃はただひたすらにハイクォリティでなければならないと思っていた時期はあった。
たしかにクォリティは高いに越したことはない。
だが、それはあくまでもコストが許す限り、である。
コスト度外視になってしまえば、それは既にビジネスでは無くなるわけであり、それが同人という世界の台頭につながっている。
同人はクリエイターが臨むだけの時間をかけられ、コストは自分の生活が許す限りかけられる。
この同人活動と商売を同じ天秤で測る事は出来ないのだが、受け手、つまりユーザーや視聴者はそれらを同じ天秤で測る事をやめない。
やめないだけならまだいいが、一部の人たちはその結果を避難する事もやめない。
そもそもビジネスとして成立しないものを商業レベルでやれ…とは言わないが、比較して出来ていないコンテンツを“ダメ”とネット上で発言し、周囲を炊きつけるのである。
確かに発言そのものは自由だし、どう考えるかなんてのは個人の問題だ。
だが、それらの発言に誘導される人というのは少なくないわけで、ちょっとでも影響力のある人がそういう事を言おうものなら、全体の流れそのものがそのベクトルに動き始める。
だが、よく考えて欲しい。ここ数年のビッグタイトルで、ビジュアル的にハイクォリティな作品がどれだけあっただろうか?
そもそも、コンテンツの本質はビジュアルのみに左右されるものではない。
ゲームなどは特にそれが顕著で、単純なゲームでも売れるものは売れるのである。
横井軍平氏の名言『枯れた技術の水平思考』という言葉の通り、ゲームの面白さの本質は最新技術に裏付けられたものではなく、ゲーム本来の面白さである。
アニメ作品にも同じことが言えるわけで、作画が綺麗だとか丁寧だとかいうのは、面白さの本質とは違う。
たしかにクォリティは高いに越したことはない。
だが、面白さはまた別にある。
問題は、その本質をどれだけの人が知っていて、また制作サイドの人間がどれだけ理解しているのか? という所に尽きる。
…まさに山本氏の言っているとおりだな(爆)
一人の消費者として、私はこれを読んでいる人に言っておきたい。
自分の評価や判断にもっと自信を持った方がいい。
最近はネットでの情報に自分が流されている事があるな、と私ですら思うことがある。
多分、今の人のほとんどはネット情報に自分の決断の大部分を依存しているのではないかと思う。
だが、それがいろんな弊害を生んでいるのも事実だ。
右にならえ、という事がネットワーク上で起きたとき、それはすなわち大多数の人が右を向く事になるのである。
もちろん参考にしたい事もいろいろあるのは分かる。
だが、誰かが言っていたからそうなんだろう、と思い込むのは間違いだ。自分はどうなのか、どうだったのか? という主観が完全に抜け落ちている。
ホントに必要なものは、各個人の主観であり、それをコンテンツメーカーが汲み取らねばホントの意味での良コンテンツは生まれない。
少なくとも私はそう思うのだが…