ガスコンロと湯沸かし器の入れ替えで思った以上に出費がかかった事から、今後の予算を見直す事にした。
支出と収支のバランスの変化
2021年に、私はメインPCの入れ替えを考えている。
これは6コア12スレッドのCore i7-8700Kを導入した3年前からある程度見越していた事でもあり、3年前はもう少し後にメインPCの更新をしても問題ないだろうと思っていた側面もあった。
しかし、実際にはマルチコア化の道は予想より早く進み、PS5など最新コンシューマ機ですら8コア化へと進んでしまった。
よって、今年メインPCを更新する意味はもちろんあるのだが、本件について改めて考え直した方が良い、あるいは考え直さざるを得ない事態が出てきてしまった。
まず一つ目は、AMDが思いの外予定通りにロードマップのコアを発売しているという事。
実は私はZen3の発売は遅れるものと思っていた。しかし、実際にはちゃんと発売しており、ただ生産が追いついていない事から今だに普及している実感が薄いという状態だ。予定通り発売していると言うことは、開発そのものは予定通り進んでいるという事なので、次に控えている2022年のZen4の登場も、案外予定通りという可能性が見えてきた。
Zen3の普及が遅れている段階でZen4を出すのか? という問題はあるものの、開発予定だけは順調に進んでいるようなので、2021年にZen3を買うよりはもう1年待つ、という選択肢もあるのではないか、と考えられる。
そしてもう一つの考えは、昨日も話した予定外の出費である。
今だから言うが、ガスコンロと湯沸かし器で55,000円という出費がのし掛かってきた。想定内の金額ではあるものの、これをメインPCの予算から引き算する必要があり、今の段階でメインPCを強引に乗り換えるというのは無理があるか? と考え始めた。
別にどうにもできない金額ではないのだが、今年の夏は車検が控えている事から、かかる費用はいろいろと嵩む事は予測できる。あえてこの年にメインPCの更新を重ねる事にどれだけの意味があるのか? という事を複合的な理由で考えると、やはりそこは悩んでしまうワケである。
GPUの入れ替え
そしてメインPC入れ替えのもう一つの障害が、GPUの問題である。
AMDで構成する場合、Radeon RX 6800シリーズが主体となると思われるが、アーキテクチャとしてRDNA2は性能は良いがFluid Motionが使えないという問題がある。
自分の必要な性能と機能とのバランスなどを考えると、現時点で私はまだRDNA2を必要としていないのではないか? と思えてくる。
実際には、PCゲームなどの必要性能を考えると、性能は高いに越した事はないのだが、FF14を中心としたゲームで考えると、まだRDNA2ではなく、Vega系のRadeon VIIでも問題がないように思えてくる。
実際、PS5のGPU性能とRadeon VIIでは、今だRadeon VIIの方が総合性能では上と言える。というのも、Radeon VIは理論性能値ではあるがFP32の演算力は13.8TFLOPSであり、PS5の10.28TFLOPSよりもまだ上である。
しかも利用出来るメモリに関しても、PS5は全体で16GBだが、Radeon VIIはGPUだけで16GBである。ここにも差はあるので、通常の性能値ではまだ耐えられるレベルと言える。
いろいろ考えると…
で、こうした周辺事情と現状を考えると、次期メインPCを構成する性能レベルをぐっと低くできるように思えてきた。
CPUとしてもZen3のRyzen7 5800X、もしくはRyzen 5000シリーズのAPUという手もある。8コア16スレッドでも性能的には困らないだろうし、そこで止めておけば、クロックの上昇幅で12コア24スレッドよりもソフトウェア上での性能は上になるかもしれない。もちろん、本当にマルチコア処理が重いソフトでは多コアであればあるほど性能は上になるだろうが、私レベルの使い方では8コアもあれば…などと考えてみたりもする。
そこにきてGPUは現状維持となれば、相対的に価格は安くなるように思えてくる…それならなおさら2022年のZen4を待った方がよくないか?(爆)
とまぁ、このように思考的にいろいろと模索しているのである。
実際には、性能は高いに越した事はないし、価格は安いに越した事はない。だが、そこのバランスは人によってさじ加減が異なるし、何より、時期によっていろいろと考え方も変わってくる。
今は7nmの半導体の生産が遅れている事もあって、今後の予定そのものにも影響を及ぼすような状況になってきている。実際は3月過ぎになってみないとわからないが、今後の見通しがある程度立った段階で、市場流通と自分の要求仕様で構成を考えていく必要はあるだろう。
というわけで、こうして構成を考えている今は実は一番楽しいのだろうと思う。
決まらない事に思いを馳せるのはムダではあるが、夢はある。
こんな時代だからこそ、夢ぐらいは見させて欲しい…そんな話である。