勤め先の電設工事の立会いをして、情報から隔離された時間を過ごした。
停電の弊害
9月25日の土曜日、最近では珍しく土曜日は単独出勤となった。
勤め先にあるソーラーパネルに関する電気設備の工事で、工場長等が都合で出社できない、という事で、私が代打で出勤する事となった。
電設工事の立会いなので、正直、私自身は工事に関係する業者の連絡を受け、確認するくらいの事しかやる事がないのだが、仕事そのものは日頃から処理が間に合っていない事をすれば良いので、時間が出来たと最初は喜んだ。
だが、そもそも電設工事という事は停電になるという事。つまりいつも普通に使っている社内サーバもダウンしているし、ネットワーク機器も当然ながらダウンしている状況。間に合っていない仕事ができるといっても、それらは全てオフラインかつバッテリーによる動作PCの上での作業になる。
通電しない、というただそれだけの事だが、実は不都合極まりない状況下で仕事をしなければならない、という事だという事に、改めて気づかされた。
検索できない!
私の当日の仕事は、電設工事が始まる前に、社内のサーバ、ネットワーク機器の電源を落とす事から始まった。
最近の機器はネットワーク上から管理画面に入ってシャットダウンなどが出来るので、コンソールとして自分のPCでそれらをやってしまった。
メインサーバ、NAS3台を落とし、今度はネットワーク機器の電源を落とすと、いつもはファンの稼働音が聞こえる社内が一気にしんと静まりかえった。
今度は、社内のセキュリティ(監視カメラ)などを契約しているセコムがやってきて、監視カメラのシステムのシャットダウンを行い、いよいよ電設工事が始まった。
すると…オフィス内はピーピーという警告音が定期的に流れる状態になる。無停電電源装置が稼働した証である。
メインサーバを5~10分稼働させるだけのバッテリー容量しかないのだが、スイッチングハブだけを動作させる状況にしていたので、なかなかバッテリーの放電が進まない。
3時間くらい、ピーピー鳴っている状況だっただろうか。私はその中で、ひたすらバッテリー駆動のノートPCで業務を進めていた。
作業も、ちょっと判らない事が出てきたら、いつもならネットで検索とかするのだが、今はそれもできない。
流石にコレはキツイ。必要なデータは予め社内サーバから取り出していたので、作業そのものはできるが、問題はその作業内の情報に関して、わかる範囲でしか進める事ができないという状況は、結構辛いものがある。
日頃ネットを利用して様々な業務を行っている私だが、ネットから隔離された状況での仕事がこんなに厳しいものだという事を改めて知る事となった。
今の時代、ネットワークという情報なしに生きるという事がとんでもなく難しい時代になっているんだという事を、とても実感した一日であった。
ネットワークのありがたみ
とりあえず、電設工事は夕方までには終了し、私の休日出勤も夕方には終了した。
途中、電設工事をする人がエレベータの主電源を切った事を忘れて帰ってしまい、エレベータ管理業者から電話がかかり、エレベータ業者の点検確認が発生したというトラブルはあったものの、それらも無事終了し、社内サーバと通信設備を復帰させた。
その時思ったのは、ネットに繋がるという事の安心感である。
ネットは時にウィルスやスパムという災害を伴って襲いかかってくる時があるが、それ以上に恩恵をもたらしてくれるという事、今の日常生活において少なくとも私はネットに繋がらないという事が致命的なまでに不都合だという事を再確認した。
ネットに繋がっていれば、知りたい事がそこから入ってくるという安心感がある。もちろんその入ってくる情報の真贋は見極める必要はあるが、自分が知る事以上に広い情報がネットには存在するので、その恩恵を受けられるという事のありがたみは今の私にはなくてはならないものだと実感した。
と言うわけで、今回の休日出勤は思った程仕事は捗らなかった。その原因がネット不通によるものというのは、ある意味私としてはショックな事である。
便利な世の中に慣れてしまっている状況は、その環境が失われた時にダメージが大きいので、そうした環境依存の状況は、どこかで見直す必要があるのでは亡いかと感じた。
不便な事が人を育てる…とまでは言わないが、便利になった事で人が退化するという事は、簡単に起きる現象なのだろう。