自分は問題ないと思っていた。だが、いつのまにか浸食されていた。
睡眠不足
私はもともと睡眠障害気味なところがある。
眠ってしまえばすぐに落ちるのだが、そもそも眠いという感覚が訪れない。
時間を見て、流石に寝ないとダメだと強制的に布団に入れば、眠くもないのに気がつけば気絶したかのようにいつの間にか眠っている。
だが、前述のように眠いという感覚がないので、そこに至るには自分の意思がないとならない。
そしてもう一つ。
私は常に耳を澄ましているところがある。
夜、母親からもたらされる音をどこかで意識しているせいで、眠っていても眠りそのものが浅すぎるほど浅いのである。
母親はベッドから動けないので、いつでも眠れる状態にある。人間、そういう状態になれば眠い時に寝るので、寝る時間がどんどんとズレていき、普通の人の時間感覚とは異なる時間軸で生きていく。
だから深夜帯は母親にとって地獄の時間で、眠りたくても眠れないという状態になる。
暗いなか、眠れない状況でベッドの上に横になっていると、当然だが体を動かしたくもなる
だが、自分ではどうする事もできないので、私を呼ぶことになる。
家庭用ナースコールが午前2時や3時に鳴り響くなんて毎日を生きていれば、自然と私が睡眠不足になるのは、何ら不思議なことではない。
体が悲鳴をあげている?
元々の睡眠障害、そして介護における深夜帯の呼び出し、そしてその呼び出しを警戒という事がいろいろ重なり、私は完全な睡眠不足に陥っていて、しかもその状態で寝たとしても、どこかで母親が家庭用ースコールを押すかもしれないと気を張っているところがあって、結局は熟睡ができない事で、私の体は徐々に限界に近づき始めているのかもしれない。
これが介護疲れか?
実際にはよくわからない。
ただ、体の疲れがどんどんと溜まってきている事は間違いないようで、些細な時間でも空白の時間ができるといつの間にか気絶するように眠っていたりする事がある。
また、家事をするにしても、体が時折いうことをきかず、行動するには相当な気合いを入れないと動けない、という事も出てきた。
体が悲鳴をあげている、とまでは言わないが、自分の面倒を見るにも大変なところ、母親の面倒も見ているのだから、自分の中でどこか無理をしていて、それが積み重なった結果が今なのかもしれない。
リフレッシュするにも、母親から離れる事はできないため、中々そういったチャンスがないのも事実。
介護というのは、こうした消耗戦の連続であり、それに耐えられるかが全てという事なのかもしれない、と今更ながら感じる。
生活環境で変わる
恐らく、私のこういった身体的な問題は身体だけでなく、精神的なところにも影響があるのだろうとは思う。
環境を変えることかできれば、少しはマシになるのかもしれないが、今の時点で環境を変えられるだけの準備もできていないし、余裕もない。
せめて住環境だけでも変われば、もう少し違った環境に身を置いて介護そのものを見直す事もできるのかもしれないが、その住環境を変えるという事が今はとても難しい。
しかも予算的にもある程度纏まったものがないと実現できない。
まさに八方塞がりとはこのことではなかろうか?
何も検討していないというわけではないが、今の状況を変えるには大きな力、それも内側からのものではなく、外側からの力が必要だとは思う。
状況は追い込まれているぐらい酷い状況だが、その中でも介護は続けていかねばならないし、それができなくなった時の事を考えると、出来ている今が幸せかもしれないとも思う。
まだしばらくはこの状況が続くとは思うが、状況が好転するよう、真っ当に生きていく事にしようか。