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Daily Archive: 8月 14, 2021

シン・エヴァンゲリオン劇場版

Amazon Prime Videoで配信されてたので観てみた。

良くも悪くもEva

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観た。
劇場に観に行く事も考えたが、コロナ禍という事もあって結局は劇場に行くことはなかった。ただ、全世界に向けてAmazon Prime Videoにて配信する事となったので、それで観てみた。
結論はわかってた感じがするシン・エヴァンゲリオン劇場版に思う事はただ一つ。
ようやく、一つの結論に至ったのか、という事。
これは長い間Evaという作品と共に歩んできた者ならば、ほとんどの人が同じ事を考えるのではないかと思う。
TV版から劇場版へと新たに作り直されたEvaは、表現技法こそ新しくなり、ヴィジュアルとしては大進化を遂げたが、その訴える内容は私としては変わっていないという印象でしかない。
なので、TV版で酷評されたあの25話、26話をどのような形で決着を付けるのか?
おそらく劇場版へと作り直される事が決まった時、ほとんどの人はそこに注目したのではないかと思う。
そしてその劇場版は第3作目の「Q」で大きく内容が変化する。その変化が、新たな展開と面白さを予見させるが、結局物語は登場人物の内面への訴求という部分において変化はなかったように思う。
そしてラストとなるシン・エヴァンゲリオンにおいても、その部分に違いはない。少なくとも観る前でもそう思った。
Evaは、良くも悪くもEvaであり、その深い部分は何も変わらないのではないかと思う。

答えのない世界の終着点

Evaは、その物語の中核にユダヤ教やキリスト教のエッセンスを取り込み、世界の終末と新しく作られる新世界の構築とを一つのモチーフとして人間の内面の変化とシンクロさせた物語ではないかと私は思っている。
一人の少年の、生きづらい世界の中で他人から傷つけられる事から逃げ、自らが傷つけるかもしれない事から逃げ、自分の存在を認めてくれる人を求め、自らが必要とされる世界を求めるその生き方を表現する上で、世界の終末と新世界の構築を人の想いと重ねるという作品がEvaではないかと思う。
そう考えると、この作品には答えがなく、もしあるとしたら、それは監督である庵野秀明氏の中にしかないものである。
この解釈は、TV版のEvaが話題になった時から言われていた事であり、そして今年になってNHKで放送された「さようならエヴァンゲリオン」でも言われている。
結局は、庵野秀明という人の生きる道を模索する作品がEvaであり、生きていく上で何を受け入れ、何と戦っていくのかを表現したのがEvaである。
私は2013年に「Q」を観た時、当Blogで似たような事を書いている
一つ、当時と異なる見解があるとしたら、庵野秀明という人を取り巻く周辺環境が変わった事で、結論に行き着くまでの過程に変化が起きたという事。それでも、最終的に行き着く結論は、取り巻く環境から登場するであろうキャスティングに変化はありつつも、結局は同じ終着点へと向かっているという事である。

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