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初夢と年賀状

一月一日から一月二日の間の夜に見る夢を初夢というが…夢、見た?

ある意味納得…

ここしばらく、私は夢を見ない日が続いていた。
諸説あるため、明確にコレという話はできないのだが、基本的に夢を明確に覚えているケースは少ないのだという。つまり、夢を見たという記憶はあっても、その内容が定かではない、というのである。
しかし、ここしばらく、私はその「夢を見た」という事そのものを感じない日々が続いていた。だから今年は初夢はないな、と思っていたのだが…なんと、今年は初夢を見たのである。

初夢の内容は、今にして思えば「ああ、納得」と言えるもの。
どんな内容かというと…仕事してました orz
これは「もっと仕事しろよ」的なアプローチなのか、それとも「もう仕事したくねーよ」的な感情なのか、「仕事のミスが恐ぇーよ…」的な心配事なのか…どれも当てはまってそうで、良い夢を見たという感じがしない。
で、この「仕事」というキーワードで夢診断してみると…前述の内容がそのまま書かれていたからシャレにならん…。
まぁ…多分「仕事のミスが恐ぇーよ…」的な心配事がカタチとなって夢に出た、といった所ではないかと思う。
今年は…とりあえず今の仕事(医療QMSの確立)がカタチになるまではこんな感じで進みそうである。

年賀状

私は基本的に年賀状を書かない人である。
これは毎年言っている事だが、年賀状は日頃あまり会わない人に「私は元気です」的な連絡が主目的だと思っているからだ。
どちらかというと、私は年賀状は平賀源内などが提唱した「土曜の丑の日」的なイベントだと思っていて、郵政の業績向上の一環としか見ていない。もっとも、郵便物の配付でアルバイトを大量雇用しなければならない現実からすれば、郵政の業績向上に寄与しているとも思えないのだが、昔からの風習で「何となくやっている」という感じのイベントにしか思えないのである。
Wikipediaで調べて見ると、どうも奈良時代くらいから行われてる新年の年始回りが発端で、平安時代に遠方などの人への年始回りを文書で行う様になった事が年賀状の始まりらしい。
当初は文書で行われていたこの年始回り発端のイベントも、1873年に郵便はがきが発行されるようになると、簡潔にしかも安価に書き送れるという事から、年賀状という今のスタイルが始まったらしい。
この歴史を見る限り、私が考えている「日頃あまり会わない人に元気です的連絡をする」目的という事を安価に行う為に年賀状という風習が行われている、と解釈しても間違いではないように思える。
だから、近年SNSやメールによる年始あいさつというのは、ある意味この歴史を考えれば当然の流れとも言えるかも知れない。

と、私から送る年賀状はこのように解釈できても、私に送られてくる年賀状となると、そのまま放置するワケにもいかない。
毎年…必ず数通は私にも物理的に年賀状が届くわけで、それを「年賀状を書かない主義だから」といって突っぱねるのも大人気ない。というわけで、そういう人向けにとりあえず年賀状を書く事にしている。
ただ…基本的に受け身体制での返信であるため、私宛に届いたら返信する、というスタイルを貫いている。なので当然だがそういう人には元旦には届かない。
毎年明けてからの年賀状投函投函した時間から察するに…多分届くのは早くても二日後である。…ごめんなさい。

古き良き日本の風習

年賀状を書かない主義の私がこんな事を言っても説得力の欠片もないのだが、最近は古き良き日本の風習はどんどんと失われつつある。
コレ、核家族化が進んだ事による人々の堕落がそうさせている、と実は私は信じて疑わない。
集団での生活はどこかに我慢がついて回るものであり、それは世代が異なれば当然その我慢もより強いものになる。核家族化はその我慢が基本的にない生活体系であり、日本人は我慢しない民族になってきている。
しかも核家族化によって昔からの風習は伝えられなくなり、楽をする正月へと世間が流れてしまっている。
別に楽をしてはいけない、とは言わないし、便利になる世の中は楽になっていくものだからそれはそれで良いのだが、確実に風習だけは失われていく事に違いがない。
おせち料理というのは、お正月に女性が働かなくても良いように作られはじめたと言われる。しかし、そのおせち料理そのものが今は失われつつあり、しかもそれで企業が商売する時代になってしまった。
時代と共に生き方が変わるのは当然としても、昔から行われている風習にはそれなりに意味があるわけで、そのカタチを変えていくならいざ知らず、その意味そのものを失わせてしまう事は、やはり問題ではなかろうか?
日本人が古来より持つ精神性を損なうが如くこの流れ、どこかで止めないと日本人はどんどん世界的に見ても称賛されない国民になっていきそうで、不安を感じる。
もっとも、じゃあ私自身はどうなのさ? となるわけだが、私は年賀状こそ書かないものの、それに代わる事はしているし、それ以外の風習についても別段否定したりはしていない。
誰がどうだとかそういう問題ではなく、一人一人がこの問題に対して何かしらの答えを出すべきと思うが…それはやはり現代となっては難しい事なのだろうか?

何はともあれ、日本という国を知れば知るほど、今の日本が変化して行く様が実に不安に思えてくるわけだが、これも天命と受け止めるしかないのか?
皆さんはどうお思いだろうか?

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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