私は学生の頃から腕時計をするという習慣がなかった。
縛られるのを嫌っていた
腕時計。
それは時間を確認する上でもっとも安易で最速なデバイスではないかと思う。
最近ではGoogle glassのようなウェアラブルコンピュータで時間だけでなくコンピューティング行為すべてを即座に行えるような近未来的な話もあるが、コスト対効果なんかを考えると、腕時計を超えるものはないと思う。
しかし、私はあの腕が縛られているかのような感覚が嫌いで、中学生の頃から腕時計をしていない。中学くらいになると、行動に時間管理が必要になるため、時計というものを身につけるようになるとは思うが、それでも腕時計を嫌って、私は時代を逆行するが如く、懐中時計を使っていた。
その懐中時計にしても私の拘りがあり、とにかく文字盤はシンプルで3針のもの、かつ本体はメッキ処理されていないもの、という条件のものを使用していた。メッキモノって基本的に嫌いなんですよ…。
そんな実にめんどくさい私の要望を叶えた懐中時計を使い続けていたのだが、社会人になった段階でケータイを持つようになると、懐中時計も持たなくなった。
何しろケータイにはデジタルではあるものの、時計機能が当たり前のように付いていて、しかもケータイは身につけてナンボというシロモノだから、時計を別に持つ必要がなくなったのである。
そしてスマートフォンになった今でも、時計はスマホで代用という状態が続いているわけだが、おそらくほとんどの人が私と同じような状態で、時計単体を別に身につけているという人は少ないのではないかと思う。
特に腕を縛られる事なく時計を身につけるという意味では、ケータイやスマホと時計が兼用であるという事は理想的な形なのかもしれない。
状況が変わってしまった
ところが、私が今使っているスマートフォンはiPhone6 Plusという5.5インチクラスの大きさを持つスマートフォンである。それを胸ポケットに入れて持ち歩いているのだが、結構ポケットサイズギリギリで入れている。
ギリギリだから気軽に取り出す、という事が実に難しく、前述の時間を確認するというだけに取り出すのも、僅かながら抵抗を感じるようになってしまった。
そのため、単に時間を確認したいだけなのに、気軽に見る事ができない、ただ取り出すだけなのに抵抗を感じる、というようになってしまった事で、この“時間を確認する”という行為そのものを何かに置き換えたい、という欲求が私の中で生まれたのである。
しかも、時短で時間を確認するという欲求まで飲み込むとなると…いよいよもって腕時計が必要か? とまで思うようになったのである。
ある意味、私の中では大きな進化と言える。


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