システムに依存している世界が困窮する現代。
アプリが落ちる
Android搭載のスマホにおいて、一部のアプリが起動できないという事象が発生した。
現在は既に対策が取られ、問題は解決しているものの、溢も使っているアプリがいきなり使えないという事で焦った人も多いのではないかと思う。
トラブルの原因は、Android OSの「WebView」というシステムの不具合によるもの。
つまりアプリ内でWebデータを利用しているものの多くが影響を受けた、という事である。
実際にどれだけの時間、こうした不具合が続いたのかはわからないが、午後にはGoogleからAndroidシステムのWebViewの最新版が公開され、アップデートする事で問題が修正された。
アップデートはAndroidシステムのWebViewだけでなく、Google Chromeもアップデートする必要があるようだが、共に同じコアシステムを利用していると思われるので、内容的にはほぼ同義といえるかもしれない。
アプリ依存
今回の件で、多くの人がいろいろな弊害があったと思われるが、こうした何かのシステムを利用する、という事は、つまるところそのシステムに不具合が出れば同様に被害を受ける、という事である。
今回はAndroidだったので、Androidの利用者に影響が出たが、もしこれがiOSで出れば今度はiPhoneやiPadを利用している人に影響が出る。日本では、iOSの被害の方が大きいかも知れない。
これがもしWindowsで起きた事だとしたら、日本の、いや世界のWindowsシステムを利用している企業・個人が被害を受ける。その影響範囲足るや、相当なものだろう。
こうしたシステムに依存する事で、トラブルが発生した途端に多くのシステムで同様の状況になる。これをリスクと言わずしてなんといおうか。
当然、私も同じようにWindowsでトラブルが起きれば大きな影響を受ける一人だが、自分が日頃行う事に対して必要な環境はできるだけ複数のデバイスで出来るようにしている。これも一つのリスク管理ではあるが、全てを置き換えることなどできないので、トラブルが出れば困る事に違いは無い。
現代人はシステム依存
こうしたいつも利用しているシステムが止まる、現代人はほぼ生活に困る事になる。
これが慣れというものであり、習慣であり、依存である。
例えば、ケータイ電話が使えなくなったとしたら、現代人は待ち合わせすら出来なくなるという。
しかし、少なくともケータイ電話が今ほど普及していなかった時代には、全ての人が待ち合わせしていたわけで、出来ないわけではないのである。
今は欲しい情報が手元でリアルタイムに手に入る時代なので、人々は生き急いでいるように見える。昔、待ち合わせといえば決めた時間にシンボリックポイントに集まるというのが定石で、もしトラブル等があれば駅の掲示板に書き込んだりするのが普通だった。
遅れるにしても、待つほうが5分10分待つのは当たり前で、それ以上遅れれば先に目的地に行ったりする事もざらである。
しかし、今はリアルタイムに連絡が取り合えるからそうした時間的余裕がない人が多い。ある意味、人の退化ではないかとすら思える。
というわけで、自分の生活を改めて確認してみると、結構なシステム依存である事がわかると思う。
そうしたシステムを利用するのは良いが、システムに依存している状況は好ましくない。
いつも使っているものが使えなくなった時どうするか?
その状況下であっても、困る事がないように準備をしておく必要があるのは、おそらく全ての人だろう。