介護の本当の辛さ

ある意味、これが一番辛いのかも知れない。

疼痛

土曜日から自宅介護が始まり、今まで準備してきたものが実際に使われ、計画してきた介護が始まったわけだが、始まったら始まったで、足りなかったものや行き届いていない事が見えてくる。
そうした足りない事に関して、それが物理的なものであるならば用意してやれば良いし、人が動く介護であるなら、それをヘルパーさんにお願いしたりして対応すれば良い。
このように笑っていられれば良いが…だが、まさに予想していなかった痛みを感じる事などに出会った時、それをどうする事もできないというもどかしさ、辛さが見えてくる。
というのは、今母親は脊椎を圧迫骨折していて、ちょうど腰骨が崩れている状態にある。これは骨粗鬆症のような骨密度が低い人が脊椎などに衝撃を受けて腰骨が崩れて起きる骨折だが、時として腰椎を通っている神経を圧迫したりして、痛みやしびれを起こすことがある。
その神経の圧迫を起こさない為にコルセットなどで固定するのだが、コルセットをしていると今度はコルセットが当たって皮膚に痛みを覚えることがあり、場合によってコルセットを着けていられない、なんて事が起きる。
ウチの母親の場合、そのコルセットを今現在着けていられないような状況にあり、外している事が多いのだが、当然それだと崩れた腰椎が刺激で動く事になるので、痛みが出てくる。
当人曰く、鈍痛が常にあるらしいが、これがずっと続くと想像してもらいたい。歯の痛みは刺さるような痛みがある事が多いが、ビリッとする痛みのない、ジリジリと刺激してくるような痛みがずっと続いていると考えればわかりやすいだろうか?
私は尿管結石の痛みを知っているが、あれもものすごい鈍痛で、酷い時には歩けなくなるのだが、そうした痛みが今の母親をずっと蝕んでいるのである。
医学ではこうした痛みの事を疼痛と言うが、薬によってその痛みを緩和させる事はできるものの、完全に痛みを抑えることができない場合は、その痛みをずっと感じ続ける事になる。
これが我慢できるレベルであれば、ストレスは感じるかも知れないが、まだマシな方である。もし我慢できるレベルを超えてしまった時、人はじっとしていられなくなるのである。
そしてそのストレスが一定の限度を超えた時、今度はイライラするような感情的な変化が現れ、気が狂いそうになる。
パニック障害もそうだが、精神が侵食されると、これはもう抑える事のできない衝動になってくるので、ココロの中では「頼むから気絶させてくれ」とか、酷い時には「頼むから殺してくれ」とさえ思うようになる。
その痛みとココロの衝動が理解出来た時、家族であればこれほど耐えがたい辛さはないと言える。

せめて痛みだけでも…

この圧迫骨折に関しては、整形外科を今後通院するしかないと言われていて、今週の火曜日に受診する予定なのだが、介護をしていく上で、この圧迫骨折と向き合っていく事が今はとても重要なポイントだと思っている。
崩れてしまっている腰椎を外科的手術で治療する方法もあるとの事だが、手術をしたからといって確実に直るという保証もなく、まして麻痺している脚が治る可能性はとても低いと言わざるを得ない。
ただ、私はこの痛みを感じているという部分がもし解消される可能性が少しでもあるならば、手術をする方向で考えたいと今は思っている。
自分がパニック障害の時に感じる、マトモではいられない衝動というものを知っているだけに、母親のこの疼痛からくる耐え難き痛みからの精神的苦痛を何とかしてやりたい、と願わずにはいられないのである。
痛みは他人には伝わらない。
一番の問題はそこで、代わってあげられるものでもない。
だからこそツライのである。
この痛みをどうにかする事ができるなら、手術費用とかそういう事は後で考えて、まずはその可能性にすがりたい。私は真剣にそう思っている。

眠剤で

とりあえず、痛みがあるという事がわかった段階で、それを何とか紛らわす方法として、強引だが寝てしまうという方法がある。
病院から「眠剤」が処方されていたのは、こういう理由だったんだ、と改めて知った。
とりあえず、母親のその痛みも何とか耐えられるレベルで落ち着いている時が多いとの事なので、耐えられそうもないとなった時はとにかく寝てしまうという方法で逃げるしかない。
ただ、この方法がいつまで使えるのかはわからないので、早めに整形外科で状況を説明、対処していきたい。

もうお金の問題では済まされない話だと思っている。
とにかく痛みを何とかしなければ。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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