今日、ようやく展示会が終了した。
天気は晴れていても季節と海沿いという環境からかなりジメジメした中で、会場は盛況だった事からとにかく暑い一日だった。
会場は盛況…と書くと展示会は成功した、ととられるかもしれないが、実際問題として展示会の結果は過去最低の記録となってしまった。
おそらく展示会そのものの動員数は去年よりは多かったと思うが、我々が獲得出来た顧客は過去最低。つまり努力が足りなかった、という事だろう。
この努力が足りなかった、という所にはいろいろな要因がある。
それは参加する前の準備段階での要因もあれば、当日の要因もある。しかもそれらは我々の中の問題、つまり内的要因もあれば、状況的、つまり外的要因もあるだろう。
それらが全て重なった結果が、最後に残ったに過ぎない。
我々で変えられる所はもちろん内的要因の部分だが、それらの分析も含めて結果的に会社の誰がやるかといえば、多分私一人という事になる。
展示会の件に関しては、不思議と私の上司も終わってしまえば知らんぷり。周囲の人も私がやってるだろうぐらいにしか考えていない節がある。
ホントにいいのか、それで?
私は過去数年展示会関係で動いているが、毎回私だけが動いているようにしか思えない。
もちろん、当日の実際の作業などは私の方が非力だ。私は何も出来ていないだろう。だが段取り八分。こういうものは段取りで80%が決まると昔から言われている通り、その80%をみんながほとんど放棄してしまっているところに問題があるのである。
私はと言えば、その80%をほとんど一人でやっているのである。
だが、誰もそこに問題がある事を言わない。
上司すら言わない。
私を信頼しているのかもしれないが、それは私から見れば責任を私に押しつけているようにしか見えない。
いや、責任者は私だからそれも間違いではないのか…?
結果として、過去最低という記録は今更どうする事もできない。
だが、その過去最低の記録に対する責任は何かしらの形で示さねばならない。
責任者である私は、その責任をどう結論づけるか、今いろいろと模索している。
逃げるワケではないが、私には返上するものがないため、自分の進退をかけるしかないだろう。だが、それだけではただ逃げるだけになってしまうから、あくまでも逃げるのではなく、何がダメだったのか? という事を分析し、その結果をもって自分の進退を経営者に預けようと思っている。
ウチの会社では責任という言葉がものすごく軽く見られている。結果が出せなかった事に対し、その責任を取るべき人が次回がんばるから、という事を述べて今回のチャンスをフェードアウトさせてしまっている。
だがそれは責任を取っている事にはならない。次があるかどうかを決めるのは経営者であり、当の本人ではないのである。今、自分の手持ちのカードだけで幕引きをしなければならないのである。
今私が持っているカードは、わずか自分の進退しかない。だから私は自らの進退をかけて責任を全うしなければならない。
余人を以て代えがたし。
経営者がそう考えるのなら、私は続投するだろうし、替え時と判断されれば、自ら去って行かざるを得ない。それが責任を果たすという事である。
とりあえず展示会は終わった。
私の役割はコレで終わりである。
あとは責任を果たすのみ。
私がこれだけの覚悟の上で行っているという事を周囲の人が知るのみである。