父親が急逝して翌日。
私自身が恐ろしく冷静で居続けている事に自分自身でも驚いているが、冷静だ、として何もしなくても良ければ何ら問題はない。
だが、実際には後片付けしなければならないわけで、一人の葬儀を出すという事の大変さはそういう所に行き着く。ただ、私の場合はウチ自体が地元民でない事から、今回の葬儀は家族葬に留め、所謂「通夜」や「告別式」は行わない方向で纏めた。
そうすると…実は思った程やることがない事に気がつく。
つまり、誰か親族が亡くなり、葬儀で大変…という事そのものは、実は法的な手続き云々ではなく、近隣への対応が大部分だという事になる。
実際、法定で必要な手続きは後でまだまとめてBlogに記事に書こうと思うが、葬儀屋さんに入ってもらうと、家族はほとんどする事がない。というか、葬儀屋さんが役所への死亡届を出してくれる場合は、その手続きが終わってからでないと、年金などの停止等の公的な手続きができない。
だからホントにする事が現時点ではないのである。
ココで一つ注意。
これはあくまでも私のケースであり、普通に通夜や告別式、葬式と手順を踏む場合は、葬儀屋さんや寺院等の手続き、その他知人や各所への連絡等、やるべき事は爆発的に増える。
ウチの場合は、通夜や告別式を行わず、葬式すら簡易的なものに絞り込んだ結果、葬儀屋さんへの連絡と最低限の各所への連絡ぐらいしかやることがないのである。最近流行の家族葬、と呼ばれる葬儀の大部分は、私と同じかこれに少人数規模の通夜と葬式を加えたパターンであり、昔からよくある葬儀、つまり地区の人々などを巻き込む大がかりな葬儀はこの比ではないぐらい大変な事をする事になる。
なので、人によっては私のとった選択は「人としてあまりにも冷酷だ」と言われるかもしれない。
通夜なく、告別式なく、葬儀も簡易的。
逝く者を送る者としての責任をほぼ果たさない形での葬儀は、人として確かに冷酷かもしれない。
ただ、この簡易的な葬儀は、残る者の負担を限りなく軽くする事だけは間違いない。
通常、葬儀は100万円クラスの予算が必要とよく言われるが、最近は家族葬で30~50万円くらいで済むという話もある。だが、私のケースではもっと低価格にする事が出来ている。
ここらへんは考え方の違いによって異なる。
逝く者を送る者がどんな思いで送るのか?
周囲の人々に対してどう対応するのか?
見栄と世間体、実際と事実、実利と虚栄、言い方はいろいろあるが、そういった残った者とその周囲の人との関係で、逝く者を盛大に送るのか、それとも実利を採って思いを膨らませるのか?
宗教なんかも関係するかもしれないし、この結論には答えは絶対に出ない。
もし、身近な人を送る事がある際には、そうした周辺状況で採るべき道を決めねばならないと心得た方が良いだろう。
とりあえず、ここ最近で私がやるべき事(やった事)は、葬儀屋さんを決める事と法定手続き、あとは遠方に住む親戚などへの連絡、あとは私の勤め先への連絡ぐらいである。
問題は、今後の生活の収入と支出の見直しになるが、これはとりあえず葬儀を終わらせてから、地道に見ていくしかない。
結局は簡単にサッと終わる事ではない。
人が一人死を迎えるという事は、つまりはそういう事だと、改めて知った。