(function() {function signalGooglefcPresent() {if (!window.frames['googlefcPresent']) {if (document.body) {const iframe = document.createElement('iframe'); iframe.style = 'width: 0; height: 0; border: none; z-index: -1000; left: -1000px; top: -1000px;'; iframe.style.display = 'none'; iframe.name = 'googlefcPresent'; document.body.appendChild(iframe);} else {setTimeout(signalGooglefcPresent, 0);}}}signalGooglefcPresent();})();

さよならPSP

PSPが6月で国内出荷を完了する。
あと半年もあれば、完全に10年という歳月を迎える話であった。

新スタイルを打ち出したPSP

2004年12月12日、この日携帯ゲーム機の歴史が変わる瞬間を迎えた。
従来、携帯ゲーム機は任天堂のゲームボーイ系が主で、他メーカーは波に乗れない時代だった。
そこに颯爽と現れたPSPは、見た目も実に素晴らしい個体だった。
シャープ製AVS液晶を搭載し、Wi-Fiを内蔵、新しいUMDというディスクメディアを背面にスロットインという、今までのプロダクトがなんて無骨なんだろう、と思えてしまうほどの、綺麗なスタイリングをしていた。
美しいプロダクト…記念すべき個体である。私は、この初代PSPを発売日に手に入れたが、ズッシリしたその個体を手にしたとき、その作りの美しさに感動すら覚えた。
□ボタンに接触問題を抱えていた個体もあったが、私の個体はそんな問題もなく、そのシッカリとした作りはまさに新世代プロダクトと言えた。
このPSPがWi-Fiを内蔵していた事で、アドホック通信による対戦や協力プレイが携帯機では当たり前になった。まさに時代を切り開いたのがPSPだったと言える。

初代から軽量化した二代目

限定色のディープレッドその後、PSPの二代目が2007年9月20日に登場した。
大幅な軽量化に伴い、背面のスロットも簡略化され、ディスクカバーのロックスイッチがなくなった。
意外に知られていないが、赤外線通信ポートが廃止されている。
また、メインメモリが初代の32MBから64MBへと倍加しているが、64MBのうち32MBはキャッシュバッファとして使用され、初代よりもそのローディング速度を高速化させている。
ちなみに上記画像として貼り付けた2代目PSP「ディープレッド」は限定色で、衝動買いしてしまった。
軽量化は良い結果をもたらしたと言えるが、ハードウェアとしての作り込みの美しさは、初代を超える事はないと私は思っている。

三代目は優等生

完成度の高い優等生その後、2008年10月16日に三代目が発売される。
液晶ディスプレイのコントラスト比が従来PSPの400:1から2000:1へと5倍に向上し、応答速度が従来の30msから8msと高速化、輝度も向上したものに交換された。
あとマイクを内蔵し、Skypeなどをそのまま利用する事ができるようになっている。
ある種、この三代目の3000型番は今までの集大成とも言えるハードだったように思える。
画像はパールホワイトで、どうしても白いPSPが欲しかったため購入した。
全ての国内発売PSPをオートコンプリートしてたんだな、私は…。

携帯ゲーム機としてその役目をPS VITAへ

SCE側としては、PSPの役目をPS VITAへ移行させ、新世代に移り変わったと位置付けたいのかもしれない。
実際、PSPのハードウェアとしての性能はもう限界点に達していると言える。
いや、任天堂が主軸だった時代ならまだまだPSPは戦えたかもしれないが、悲しい事にPSP自体が携帯ゲーム機のハードルを引き上げた事で、世代交代もやむなしという状況を生み出した。
だが、このPSPの登場によって、携帯ゲーム機の市場は大きく変化した。携帯ゲーム機のゲームだから多少チャチでも仕方が無い…なんて状況が許されていた市場は一気に高画質化、高精細化したグラフィックを持つゲームを要求し始めた。
任天堂は方向性をグラフィックスではなく、タッチパネルに舵を取ったが、もちろんそれもPSPという存在がそうさせた訳で、PSPの存在意義はとても大きかったと言える。

PS VITAは残念ながら、PSPほどのインパクトを市場に与えられないでいるように思える。
それはPSPが余りにもインパクトがあった存在だったからそう見えるのかも知れないが、新たに搭載された背面タッチパネルも今一つ使いどころを与えられていないように見えるし、ハードウェアを多少持て余しているように見える部分もある。
ただ、残念な事にPS VITAのメインコアは既にスマートフォンよりもスペック的に劣ってしまっているため、今後はゲーム専用機としての強みをもっと前面に押し出さないと携帯機としての存在を失いかねない。
PSPの時代より厳しい中に投入されたPS VITAに、PSPの役目を全て担わせなければならないのは、多少荷の重い話なのかもしれない。

余談だが、Sony製品というのは初代がもっともハードウェアとして豪華に作られているケースが多い。
PS2、PS3、PSP、PS VITA、どれをとっても、二代目以降はコストダウンとはいえ、あらゆる所が簡略化され、また作りも簡素化されていく傾向にあった。
初代PSPのハードとしての作りの美しさは、今みても色あせない美しさを持っていると私は思っている。
そんなPSPもこれでその役目を完全に終える。
時代を切り開いた名機の終焉に拍手を送りたい。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Share
アバター画像

武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

You may also like...

2 Responses

  1. ruser より:

    遂に生産終了ですか、感慨深いですねぇ。
    私も1000/2000/3000と手にして来て、息が長かっPS2と並んで最も使用したゲームハードかもしれません。
    ゲームソフトは暫く出続けるんでしょうけど、いずれ無くなってしまうと言うのはやむを得ないとは言え寂しいものです。
    一時代を作り上げた名ハードに拍手!

    • アバター画像 武上 より:

      元SCEの久夛良木氏が最初に作った初代PSPはホントに美しかった…。
      ボタンの問題があった事実あるけれど、あれだけ携帯機で綺麗なボディを持つものを今まで観たことがなかった。
      二代目、三代目は性能はよくなったかもしれないけど、プロダクトとしてはガッカリする部分も多くて、廉価版というイメージしかなかった。
      でもゲームはホントに良作が多かった様に思う。
      私自身はPS2よりずっと使っていたハードだった。

      PS VITAもこの流れに続ければよかったんだろうけど…無理だろうなぁ。時代が違いすぎて。

      とりあえずミレニアム世代を支えたハードの勇退をたたえたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントは承認待ちです。表示されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。

Desktop Version | Switch To Mobile Version