先日、知人のうめーさんのお母さんが脳出血で入院された。
その話を聞き、ウチの母親も脳梗塞を経験している関係で他人事ではないな…と思っていたら、今日、ウチの父親が入院するという顛末となってしまった。
突然、病院から職場に電話がかかってきて、看護師がそのまま入院になりますと宣言してきた。医師より詳しい状態などの説明を聞いて欲しいと病院まですぐ来るように言われた。
その看護師の話では、心臓が正常な機能を果たしていないという事らしい。ま、とりあえずは入院して精密検査等を行う事となるだろう。
先日知人の所でも入院。
そして本日、今度はウチで入院。
この連続性に因果を感じずにはいられない。
今の段階では病名も何もわからない状態で、ただ病院から「説明を聞きに来てください」と言われたのみ。
その説明を聞く時には既に入院してしまった後になるわけだが、まずはその説明を聞かないことには始まらない。というわけで、急遽仕事を午前中で上がり、病院に急ぐ事とした。
———-ここまでが12:30までの話である。
Category: 医療と病・介護
その後の顔面神経麻痺
私が顔面神経麻痺(右半分)を患ったのが昨年2010年の7月12日。
その後、11月3日に、今でも原因がよくわからないのだが左半分の顔面神経麻痺になった。
すでに最初の疾患から半年以上が過ぎたワケだが、実のところ、ここ最近はその症状の改善は進んでいない。随分と良くなったとは思うが一定の所まで回復した段階でその改善が止まってしまった。
後から疾患した左半分の方も、驚異的な回復を見せたものの、一定の所で同じく改善頓挫。結局、両方とも中途半端な回復でその後停滞してしまった。
後発の疾患は、担当医も理由がよくわからないと言っていた。
というのも、右半分の治療中に反対側に症状が出るという事は、治療が効果なしという意味になる。しかし、右半分は(その時は)確実に回復進行していたし、そもそも左半分に症状が出た事そのものが治療と反する結果だという。確かに考えてみればその通りだ。
だから左半分の疾患に関しても、理由はものすごく単純でストレスが原因ではないか? という結論となった。釈然としないが、もともとこのベル麻痺と呼ばれる顔面神経麻痺のコレといった原因を特定するのが困難であるため、不特定な原因にはストレスという何とも曖昧な原因をあてがうしかないのだろう。
ま、理由はどうあれ、結果として病状が出た事は間違いのない話で、それをちょっとずつでも治療して行かなければならない。
免疫低下からくる可能性
今日、病院に行った。
先日の11月3日に救急医療にかかった、顔面神経麻痺と思しき症状の再診である。
救急外来にかかった時は、当直医が外科だった事もあり、平日に再診にくるよう言われていたため、今日正式に受診した、というわけである。
ちなみに診察はいつもの担当医だったため、担当医からすると反対側まで顔面神経麻痺と同じ症状が出る事に多少驚いていたようであった。
というのは、通常顔面神経麻痺というのは、ほとんどのケースで片側しか発症しないかららしい。もちろん、すべてが片側という事はなく、左右同時に発症するケースもないわけではないが、ほとんどは片側で、しかも片側が発症した後の半年以内に反対側が発症するケースはさらに稀らしい。
稀なのにはもちろん理由がある。
通常顔面神経麻痺、通称ベル麻痺は、免疫低下によってヘルペスウイルスが顔面神経を圧迫する事で発症するのだが、治療中は当然免疫低下の状態からある程度は回復しているはずであり、その状態で反対側が発症するケースは考えにくいのである。だから両側に発症する時はほぼ同時なのであり、片側治療中に反対側…というケースは可能性としては低いのである。
で、私の場合だが…医師は発症経過時期から考えて脳梗塞の可能性は限りなくゼロに近いと診断、代わりに免疫が低下する何かしらの原因があるのかもしれない、という判断を下した。
祝日に病院
昨日の通り、とりあえず病院に行ってきた。
顔の右半分の時と似た様な状況という事はわかってはいたが、左後頭部の違和感もあり、とりあえず脳梗塞かどうかの判断が欲しかったため、当直医師にその旨を伝えた上で診察してもらった。
この当直医、実は私がかつてこの病院の夜間受付の仕事をしていたときにいた医師で…私は知っていた。まぁ、向こうは憶えていないだろうが。
とりあえず、医師の診察から始まったのだが、開口一番「ああ、やっぱり顔の左半分が下がってきてる」と。
要するに、もう他人がパッと見てわかるレベルになっているという事だ。
手足のしびれなどがない為、まず脳梗塞ではないだろう、という予測は医師もしたようだが、念のために放射線科で撮影を、と言われた。
やはりMRIで脳内撮影かなと思ったのだが、今日は祝日でMRI技師がいないらしい。結局CTスキャンで簡易的に撮影。そこで重大な異変が見つかれば技師を呼んでMRI撮影する、という事だった。
結果から言えば、CTスキャンでは重大な問題は見つからなかった。
ただ、当直担当医は専門が外科で、しかも脳内撮影がCTスキャンという事で、専門医がいる時に再診するように言われた。まぁ、当然ですな。
つーわけで、また病院に行かなくてはならない。
大凡脳梗塞ではない事はわかったが、現状としては原因は特定できず、というのが今日の成果である。
顔の右半分もまだ完治していない状況で、左半分までもが顔面神経麻痺…。
既に顔の原型がどんななのかがわからないのではないかとすら思えてくる。
今回の左目は涙がひたすら出続け、口の動きが悪くなるためしゃべりづらく、また飲み物も飲みにくいだけでなく食べにくい、といった生活上の問題がぶり返した形である。
またしても異常事態か?
今から約4ヶ月前、私はいわゆる顔面神経麻痺にかかり、顔の右半分の動きに問題が出た。
脳内では顔面神経は左右に分かれていて、私の場合は左脳側の顔面神経に異常が出たわけである。
その時に担当医は「左右同時に顔面神経麻痺になるケースはまずない」と言っていたのだが、昨日から顔の左半分に何となく違和感があり、まさか…と思っていたのだが、今日になりさらに違和感が強くなってしまった。
まだ完全に顔面神経麻痺とは断定出来ないが、感覚が以前と同じく、実にマズイ状態である。
とりあえず、近々に病院に行く事になるだろうが、まだ右半分も治ってない状態でさらに左半分まで同じ顔面神経麻痺だったら、なんとも救い難い話である。
ただ一番最悪の展開は、今回の違和感が脳梗塞による場合。
それはまずないとは思うが、検査してみない事にはわからない。
まずは事の真偽を確かめる必要があるだろう。
それにしてもなんという災厄。
私、呪われてるんだろうか?
やはり原因は心的ストレスによるものなのか…
俳優の船越英一郎氏が末梢性顔面神経麻痺を患い、休業していることが今日Yahooニュースに載っていた。
末梢性顔面神経麻痺、別名ベル麻痺は、7月に私が患った病気と同じものである。
その時にもこの病気について詳細は書いたが、原因については不明と書きつつもウィルス性の神経麻痺である記述をした。
もちろん、それが原因の一つではあるのだが、実際のところではそのウィルスがヘルペスウィルスが原因で、ヘルペスウィルスそのものはほとんどの人が体内に持っているウィルスであり、では何故そのウィルスがその時になって突然神経を圧迫したのかの原因は謎とされている事が多い。
だが、ほとんどのケースで共通していると思われるのは、やはりストレスである。
私の時も今の生活にストレスがないかと言われれば、多分にあると言える。それは金銭的な問題もありつつ、業務上のストレスというのもある。
今回の船越英一郎氏の場合も、親類の不幸が原因ではないか、と言われていたりする。
船越英一郎氏は通院しながら自宅療養中との事で、回復を最優先にしているそうで、9月上旬には復帰の予定…らしいが、そんなに早く治るのか、と私は自分と比較して思ってしまった。
じゃあ、もっと早くから顔面神経麻痺になっている私は、本当に治るのだろうか? と逆に不安になってくるのも当然だろう。
実際、後遺症は覚悟しないといけないのかもしれない。
というか、日常のストレスを感じながらの回復で、どこまで回復するのだろう…という気が最近はしている。
症状の変化があまりない事で、そんな思いがあるのだが…。
何とも複雑な気分である。
後遺症が残るかも…
今日、顔面神経麻痺の治療経過を診てもらうために、神経内科を受診した。
医師はもちろん前回と同じ医師だが、医師は私の顔を見て一言「あんま変わらないなぁ…」と率直に言った。まぁ、隠されても仕方が無いので率直に言ってもらうほうが私的にはありがたいのだが、経過はあまり芳しくないらしい。
初めて治療を受けたのが7月12日だから、ちょうど2週間経過した事になる。
医師の話では2週間あれば、もう少し麻痺の程度が弱くなると思っていたらしい。
しかし、実際問題、私の顔は2週間前と比べてちょっと良くなかったかな? 程度で、未だ右目から涙は出るし、口も右半分の動きがほとんどない。
生活のやりにくさは相変わらずで、せめてもう少し動いてくれれば…と思わなくもない。
ステロイド系の薬を使う事でウィルスを弱める事はできているようだが、神経の回復にはまだまだ時間が掛かりそうだ。
だが、医師からすると最悪の想定をしなければならない可能性があるとの事。
2週間前、ほぼ治ると言われたのだが、後遺症が出るかもしれないと医師の口から出た。
死に至る病、そして
昨日、私が大病を患うかも…と、脳梗塞の疑いがあるという話を書いた。
今日はその可能性を調べるため、病院で検査してきたので、その話を書く事にする。
片目から涙が出て、鼻の片方から鼻水が出て、口の片方が麻痺したような感覚になる。
それが右側だけに現れたというこの現象は、たしかに昨日書いた通り脳梗塞の可能性を否定出来ない。
実際、訪れた病院でどの科に受診すればいいかと尋ねたところ、受付では判断が出来ず、医師に確認をとった上でまず内科受診から、という回答だった。
内科医の診察では、まず検査をしなければならないという極当たり前なところから始まるのだが、やはり脳梗塞の疑いがあるのは間違いないという話であった。
ただ医師は、私の手足にしびれがない事から、顔面神経麻痺の疑いもあるという判断をこの時点ではしていたようだ。しかし、その判断を鈍らせたのが、私が糖尿病の要素が強いという事。
糖尿病はあらゆる合併症を引き起こす病気だが、私は血糖値が高いため、そこから引き起こされる脳梗塞という疑いがどうしても残るようだった。
大病を患うかも…
まさか自分自身の事でこんな事を書くことがくるとは想像していなかった。
いや、数年、数十年先にはあり得るかもしれないが、まだその時期は訪れないだろうと思っていた。
だが、まさかの事態になりそうな感じがしてきた。
先週金曜日の午前中くらいからだろうか。
右目から涙が出るようになり、同じく鼻の右側からだけ鼻水が出るという状態になった。
過去にも似た様な事があり、その時は風邪だろうぐらいの感覚でいて、実際その後に風邪気味になり、薬を飲んで数日過ごした後、普通の生活に戻れた為、今回もそんな感じだろうぐらいに思っていた。
ところが、右目から涙が出る症状が進行…というか止まらず、右目まぶたが赤く腫れ上がってくるという状態になってしまった。これは明らかに前回とは異なるケース。
最初、右目にバイ菌などが入り、炎症を起こしたのかもしれないと思い、目の洗浄液と目薬で対応したが、土曜日の午後になっても状態変わらず。
この事を関西の知人にチャットで話したところ、その知人の友人がかつて蓄膿症が原因で涙が止まらなかったらしい話をしてくれた。
蓄膿症…可能性がゼロではないが、何か違う気がした。
気がしたというのは、感覚的なものであり、医者に診察してもらった結果ではないため、今以て可能性はゼロではない。しかし、土曜の深夜、それよりも深刻な問題が表面化してきた。
口の右半分に違和感を感じはじめたのである。
動きが鈍いというか、神経が麻痺しているというか…
惰性で生きること
タイトルからしてダメダメな記事になる事を先に言っておく。
悲観的すぎる話と言われるかもしれないが、これを前向きに考えられる人がいたならば、ある意味その人は相当なチャレンジャーであり、またひょっとしたら人生を大成させる事のできる人なのかもしれない。
残念ながら、私はそこまでには至らず、予測できる未来が自分にとってマイナスに進んでいくことしか考えられない。
なので、今日の内容は多分相当にダメな内容になるだろう。
父親が入院した。
左足親指の火傷による入院なのだが、この火傷、突発的な火傷ではなく、いわゆるストーブの前で自分の足を焼いたという感じ。…居眠りしていて気がつかなかったそうだ。
バカじゃないの? と言い放ってしまえばそれまでの事なのだが、問題はこの火傷が実は3週間前程に起きていたという事。
なぜ私がしらなかったのか?
理由は単純で、父親が私に隠していたのである。
母親は父親に口止めされていたようで、結局知らなかったのは私だけだった。
で、その足の状態があまりにも悪くなり、今日民間の小さな整形外科に出向いたところ、すでにその整形外科では治療する事が不可能という事で、もっと大きな総合病院に出向いたところ、即入院を通達され、仕事中の私に連絡が来たという次第。
そりゃ3週間も病院に行くこともなく、独自治療していれば悪くもなる。どちらかというと、この期間がなければもっと簡単に事が済んでいた可能性もあったが、結局放置した結果で入院という事となった。
なんだ、父親が入院しただけの事か。命にも別状はないみたいだし、とりあえず大騒ぎするほどの事じゃないんじゃない?
多分、ほとんどの人がそう思うかもしれない。
だが、それは金銭的に余裕のある家、もしくはそこまでの余裕はなくとも、家族3人にして働き手が1人という家でない場合だろう。
ウチは3人のウチ働き手は私1人であり、なおかつ借金を背負っているという状態。
そこにきて入院である。保険で何とかなるんじゃない? と思うかもしれないが、それはちゃんとした保険をかけている家の人の言葉だろう。
ただでさえ生活に問題のある我が家では、それすらもままならない状態だったりする。
金銭的な問題だけを挙げても、今の私にはとても前向きに考える事などできない。
一夜明けて
昨日の記事のアクセス数が600を超えていた。
日ごろ300ほどのアクセスしかない私のサイトとしては珍しい事である。まぁそもそも300もアクセスがある事そのものが私から言えば奇跡的な話であるのだが。
やはり「命」とかそういうキーワードをタイトルに入れると、みんな気になるのかもしれない。
かくいう私もそれは同じである。
一夜明けて、我が家は壮絶極まりない静けさの中にあった。
人間、いつの間にか自分の行動や思考の同意を得られる訳もないのに、自然と家の中にいる動物に話しかけているようで、それがいきなりなくなったのだから、家の中に全くと言っていいほど会話が生まれない。
隣に家族がいても、である。
犬や猫(人によってはそれ以外かもしれないが)の存在感というのは、それほどまでに大きいと言わざるを得ない。
あまりにも静かな朝であったため、私も家族に話す言葉を見つけなければならない。
自分も表面的には平静を装ってはいるものの、まだかなり堪えているようで、思い出せばかなり辛い。辛いのだが、これだけ沈みきった状態だと良いものも良くならないと思い、私は意図的に会話を作る。
そうでなければやっていられない。
命の尊さと責任と
生きるもの、いつかは死んでいく。
こんな事はわかりきった話である。
だが、生きている時にはそんな事を考えないのもまた事実だ。
そして、何かのきっかけで命散ったとき、人は命の尊さを知り、そしてそこにまつわる責任を感じる。
その責任が自責によるものであればあるほどに。
今日、我が家で飼っていた子犬(仔犬ではない)が亡くなった。
享年16才と11ヶ月。来月で丸17年生きるハズだった。
人間にして100才を超える大往生である。
だが、この100才を超える老犬の死因は、決して老衰ではない。
私が…殺したのである。


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