何がってそれはニンテンドーDSが、である。
国内出荷台数2000万台突破という、ある種普及限界点といわれていた2000万台という大台を超えたというこの事実は、まさに歴史的な発表とも言える。
じゃあどうして2000万台が普及限界点と言われていたのかというと、それはゲーム人口がそこまでいないという、ただそれだけの事。
つまり、ニンテンドーDSはゲーム以外を目的にした層にちゃんと訴求できていたという事実が今更ながら明らかになっただけの事である。
じゃあどうしてそれよりもハードウェアスペックが高度なPSPがそこまで普及していないのかというと、そこには任天堂とSony両社の、最初のアプローチの仕方に大きな違いからあるからである。
私は任天堂という会社は実に上手いなぁと思うことがある。
それは身の丈の高さの商売を始めて、そこから踏み台を徐々に高くしていくやり方を取っている事に起因する。
Sonyはというと、まず届かない高さの商売を掲げて、そこからちょっとずつ踏み台を積み上げて上っていくという手法を採る。
もちろん到達しようという目的点はどちらも同じなんだと思う。
しかし、そこには外部から見た印象というものに大きな違いを生む。
たとえばSonyのPSPは発売前からその高度なハードウェアスペックが注目された。
据置機のPSを遙かに超え、PS2と匹敵するぐらいの処理能力を持ち、16:9の高精細液晶ディスプレイを搭載、挙句の果てに無線LANを搭載し(登場当初では)大容量のUMDドライブを装備した携帯機という、夢のようなスペックで始まった。
そこから一般市民が得る感触は、まさに夢のようなハイスペックマシンである。何でもできるという印象が根強かったに違いない。
一方、ニンテンドーDSはというと、GBAと同じARM系コアを2つ搭載し、液晶ディスプレイが2面、その内一面がタッチパネルとなっていてペンによる入力を可能にした…ぐらいのスペックで登場した。無線LANが搭載されるという話も含まれていたが、それは独自プロトコルによる通信で、インターネットと単独で接続できるというものではないという発表だった。
そこから一般市民が得る感触はというと、2面の液晶とペン入力が新しいというぐらいのものである。
ところがいざ発売されてみると、ニンテンドーDSはソフトの供給も早く、またペン入力という新しいインターフェースで、今までとは全く違うソフトが次々と生まれていった。
PSPはというと、たしかに高スペックではあったものの、ソフトの供給は遅く、またハードウェアにもいろいろな部分で無理があったのか、不具合もちらほらと見え、印象としてあまり良いという感触がなかった。
ソフトの供給という面においては、従来と同じARM系コアを使用したニンテンドーDSは開発が楽だっただろうし、ペン入力に関しても別段新しいテクノロジーというワケでもないため、ソフト開発が容易だった事は間違いない。
しかしPSPはそのコアからして新設計で、UMDからの読み出しデータをどういった手順でメモリに書き込んでいくか?というところから模索しなければならないという、開発上の問題点が大きく前面に出てきていた。
ソフト開発・供給で躓けば、当然ユーザーからの反応はダイレクトに響いてくる。
つまり、ニンテンドーDSは1の性能に対しその評価は2にも3にもなったが、PSPは5の性能に対しその評価が4にも3にも、あるいはもっと低い2にもなってしまったと考えられる。
想定していた性能と比較して、大きな評価を得られれば当然その印象はより良くなる。逆に想定していた性能と比較してその評価が低ければ、印象はより悪くなる。
任天堂とSonyの携帯機展開には、この差が大きく出たと見て間違いない。
まぁ、ペン入力という、従来のゲーム層とは違った層にアプローチする上でのアドバンテージがあったというのも、ニンテンドーDSの強みになったのは間違いない。
扱いやすさは、ユーザーがハードに触れる際もっとも顕著に反応が出る部分でもあるため、そこの敷居が低ければ低いほど、コア層以外を吸収しやすい引き金になる。
この引き金が到達限界点と言われていた2000万台を突破させた最大の要因に違いないだろう。