小室哲哉という一人の偉人が地に堕ちたのはつい先日の話である。
詐欺罪という、何とも情けない結末となった彼が、なぜ詐欺という行為を働いたのかは明白だ。
その消費に対して収入が追いつかなかったからだ。
いや、近年は消費すらまともに出来ていなかったのではないかと思う。
そんな彼ではあるが、少なくとも1980年代から1990年代は日本音楽界で彼を超えた人はいないと思う。
J-POPSはまさに彼がその方向を定めたと言っても過言ではない…と私は思っている。
その独特のメロディラインは、今でこそ良く聞くラインではあるものの、1980年代ではかなり斬新であったし、1990年代ではそれがスタンダードだったと思う。
当然、売れに売れた楽曲で固められた彼の収入は、銀行の通帳では桁が足りないくらいと言われていたらしい。
まさに天才の名を恣(ほしいまま)にした、と表現できるだろう。
そんな彼の人生のターニングポイントはどこだったのか?
私はWikipediaを見ていてふと気がついた。
Wikipediaでは彼のデビュー当時から詐欺事件までの流れが意外にも詳しく書かれている。
まぁ、常に注目されていた人だから、ファンがいろいろ書きためた結果だろうとは思うが、この流れの中に彼の人生のターニングポイントがきっかり書かれていた。
人生のターニングポイントには必ずと言っていいほど人と人とのつながりの変化がある。
つまり、ある人とくっついたり離れたりする事で、その当人の人生が大きく変わり始めるワケである。
では小室哲哉という人物の人生を大きく変えたのは誰なのか?
私は1999年1月に破局した、華原朋美がそのキーパーソンではないかと考える。
不思議なことに、この1999年の華原朋美との破局までの中には、行動とその結果のマイナスポイントがないのである。
いや、一つだけマイナスがあるにはある。
それは1992年に一番最初に結婚した大谷香奈子との離婚なのだが、おそらくこの離別は彼にとってターニングポイントとなるほどの影響は無かったと言える。それは90年代の彼の活躍を見ればわかる話だ。
しかし、華原朋美との破局以降、彼の行動には何かとケチがついたように負の方向へと引っ張られているのである。
確かにUNODC親善大使を授与されたりもして良い方向もあるにはあるが、お金に関する事ではいろんな人のデビューに携わったりしているものの、成功の跡が全く見えない。
逆にTM NETWORKとKiss DestinationがTRUE KiSS DiSCレーベルから撤退したり、ネット配信と通信販売で新曲を発表したRojamのレコード販売事業が2001年に縮小したりと、常に負の方向に進んでいる。
本人も2000年以降に曲がまったく出てこないと言っていたそうだが、1990年代後半に彼に絡んできた人物が明らかに彼の流れを狂わせていったのではないかと私は見る。
…いや、彼自身が狂った道を歩み始めただけかもしれないが。
1990年、彼は角川映画の音楽を担当した。
その映画のタイトルは“天と地と”という。
彼は1990年に、既に自分の運命を決定づける作品と出会っていたとしか思えない。
天にも昇る栄華を極め、結果として地に堕ちた音楽家。
堕ち方にも色々あるが、彼の場合は評価できる堕ち方ではなかった。
せめて堕ちるなら個人破産という手段で堕ちて欲しかった。
多分、私でなくてもそう思う人は沢山いるはずである。
天(国)と地(獄)と
赤(字)と黒(字)のエクスタシー。
中盤まで押しに押した黒軍は補給路を断たれて終盤は失速。地道に力を蓄えていた赤軍に大逆転される。
起死回生をかけて仕掛けた罠も見破られ、捕らえられたとさ…。
…洒落にもならん。(>_<)
才能あったのになぁ。
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まぁ、刑事罰を受けてまた戻ってくるでしょう。
ここまで有名になってしまったら、普通の人として生きていくことはできないハズだから、しばらくしたらまたTVに出てくるだろうし、それでなければ音楽界に戻ってくるんじゃないかと思う。
もともと才能はあるわけだし、あとはインスピレーションの問題。
NDSで発売されたKORG DS-10をズラっと並べてそれで作曲とか、変わった事すればまた浮上するだろうさ(爆)
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