何かもうね、波乱に満ちた人生ですよ…。
イキナリの電話
昨日のBlog記事、30mmマクロレンズの事とかのんきな事を書いているが、実はそんな状況ではなかった。
昨日、仕事中にイキナリ警察から私のケータイに電話がかかってきた。
もちろん私自身がお世話になるような事は身に覚えがない。
何故? と思いつつも出ない訳にはいかないので、恐る恐る電話に出ると、警察から自宅で火災という突然の話が。
「は?」
火災…火事?…ウソでしょ!?
ただ、警察が言うには火災の事よりも私の母が火傷を負ったという事ばかりで、あまり火災の事には触れない。その事が不思議ではあったものの、警察がすぐ自宅に戻ってくるようにと言う話だったので、上長に警察から電話があった事を伝え、すぐに自宅に戻った。
私の頭の中では「火事」という文字ばかりが大きくなっていて、母の事ももちろん心配はしているものの、火事の規模が気になって仕方がなかった。
自宅方向の上空に煙りなど一切見えないので、ホントに火事なのか? という疑いも私の中にあったが、状況はいろいろ考えられる。
ボヤだったのかもしれないし、家が丸々焼けるような火事ではない感じなのかもしれない。そうであれば、少しは救われるか…などと思いながら、自宅近くまで来ると、大きな消防車が撤収を開始するところだった。
警察の車やら消防の車やらで、身動きが取れない状況だったので、広めの道路脇に車のハザードランプを点滅させて停め、自宅まで行き、状況の確認をしたところ、火災と言っても連絡が火災という連絡で来ただけで、実際には火という火は出ていないという事であった。
…何だ、それ?
スプレー缶爆発
で、警察の刑事課の人から状況を聞くと、どうも母がガスコンロでカレーを作りながらスプレー缶の処分をしようとしてスプレー缶に穴を開けたところ、残留ガスが引火して小規模爆発を起こしたらしい。
その際、私が6~7年前に取り付けた火災報知器がその爆発に反応して、大きな音を立てて火事だとわめきだし、それに驚いた母が火傷を負いながらも警察と消防に電話したらしい。
もちろん母はその爆発のほぼ中心地にいたため、瞬間的とは言え高温に焼かれたのは言うまでもない。私が自宅に着いた頃には救急車で運ばれていた。
私が見る限り、ホントに瞬間爆発だったんだろうな、という状況がいろいろな所から見て取れた。台所にあるナイロン系、樹脂系、プラスチック系のものの表面がジュッと溶かされている感じで、歯ブラシやコップ洗いのブラシなどの先端が丸く溶けた後焦げた感じになっていた。
刑事課の担当は、とりあえず状況を確認したいという事で写真をいろいろ撮ったのだが、その際、第三者の行動によってこの火災が起きたのではないか? という事を検証する必要があるという事で、窓は開いていたのか、網戸は最初から穴が空いていたのかなど聞いてきたが、もろもろ間違いなく今回の爆発で穴が空いたとしか思えない溶け方だった。またその勢いから隣の家の網戸も穴を開けていたので、火の周りはそこまで到達していた事もわかった。
だが、被害といえばその程度で、私が連想した火事とは程遠い状況だった。
ハッキリ言ってしまえば、溶けた部材だけが被害跡で、それ以外の被害がないのである。
不幸中の幸いといったところだが…問題は爆心地にいた母である。
一時はドクターヘリも…
救急隊から私のケータイに電話がかかってきて、母親が県立中央病院に運ばれた事を教えられ、すぐ来る要に言われた。
警察の事情徴収が終わり次第向かうと伝えたのだが、警察から一時ドクターヘリを呼ぶ事も検討した事を告げられ、私が被害状況から想像していたよりも酷い火傷なのではないかと焦ったが、本人は意識もあり、また自分で警察と消防に電話してきたという事もあり、ドクターヘリを呼ぼうかという話とは釣り合わない状況に思えてならなかった。母の状況も気になるが、とりあえず近隣の人達に謝罪もしなければならないし、警察に間に入ってもらって、隣の直接被害を出した人に謝罪をし、管理人(隣はアパートなのである)に被害となった網戸の交換の話をして、とりあえず状況沈静化を行った後、すぐに病院に向かう事に。
救急救命センターに運ばれているという事なので、病院の受付を済ませてすぐに向かうと、そこに母親は変わり果てた姿で寝ていた。
確かに火傷である。瞬間的に数百度の炎が周囲に広がったのだから、想像はしていたが、顔の左側と左手に見た目にすぐ分かる火傷を負っていた。
ただ、意識はハッキリしていて、話す事も出来た。当初、喉も高温の熱を吸って火傷を負っているかも知れないと医師から説明を受けたが、当人はいたって喉は大丈夫だと言っていた。ただ…一酸化炭素をそれなりに吸っていたらしいので、まだ表面化していないだけかも知れないという不安はあったが。
「今にして考えて見れば何でこんな事をしたんだろう」「バカな事をした…」と母はただそれだけを申し訳なさそうに話していたが、命が助かっただけ幸運だったと言う他ない。
車で病院まで移動している時に「バカな事をした」と叱る事も考えたが、おそらく自責の念に駆られている事は想像に難くなかったので、一切叱る事はしないと決めていたので、私は「これだけの火傷を負っても死ねないという事は、神様はまだ死ぬなと言っているのだから、今は直す事だけ考えて」とそれ以上の事は言わなかった。
検査の結果、喉はどうも大丈夫らしくとりあえず一晩だけICUに入院し、様子を見て一般病棟に移動するとの事で、医師からは大凡1~2週間は入院になるだろうと言われた。諸々の処置などを全て済ませた頃には、すっかりと日も暮れていた。
正直、ドッと疲れた(-_-;)
ここまでが23日の話である。
入院準備を一人で
翌日、私の孤独な戦いが始まった。
母が入院となると、その準備は全て私一人でやるしかないわけで、入院に必要なものなどの買い出し、家にあるものをかき集め、準備に奔走する事に。
しかも、日用品みたいなものばかりだが、そのほとんどを新しく買ってくる必要があった。
歯ブラシは爆発で溶けてるし、その周辺にあったものなども買い直した方が良いというものばかりである。
この月末に…と財布の中身と相談はしたのだが、そんな事を言っている場合でもなく、とにかく必要なものを全部洗い出して購入し、病院へ。
だが…ここで三連休が災いした。
何だ、この車の渋滞は… orz
山梨県の県立中央病院は甲府市の駅周辺からは離れているといったものの、私の住んでいるところからでは、甲府駅を越えて行く必要があり、街中の渋滞を避けようとするとどうしても昇仙峡という観光地に向かう道を途中まで使う事になる。
天気がいいので、とにかく車が多い。まさか病院の対応だけで日中の大部分が費やされるとは思わなかった…。この渋滞の最中を、実の所2往復したのだから、時間がかかるのは当たり前である。
自宅に戻って状況整理
母の入院対応の大部分を終えたので、自宅に戻ってから状況整理を始めた。
台所をいろいろ調べて見ると、結構煤だらけになっていたりして、焦げたものが床に散らばっていたので、一通り掃除をした。
タオルなんかも表面が焦げていたりして、使い物にならないものも多く、瞬間的とはいえ爆発時の温度が相当だったことが今更ながらよく分かる。
当初、火災だと言われたときは、家がまるまる焼け落ちてなくなっていたらどうするか? などと最悪の事態もよぎったが、結果からすれば表層的に焼けたものはあったものの、形としてはほぼほぼ被害はなく、どちらかというと人的被害の方が酷く、その人的被害も最悪の状況は回避できていた。
幸運と言えばそうなのだろうが、そもそもこんな事が起きた事を幸運とは言わない。…いや、生きているウチに起きる不幸を考えれば、大きな不幸が訪れた中では軽い被害で済んだと思うべきなのか。…結構複雑な心境である。
とにかく明日も一度は病院に行かねばならないので、まだしばらくは忙しい日々が訪れるだろう。
それにしても…そろそろ資金の事を心配しなければならないかもしれない。
今の状況もそうだが、入院とか今後係ってくる費用も考えると、頭の痛い日々は続きそうである。