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Tagged: 令和6年能登半島地震

どうなる? 2024年

いきなりの大地震に羽田で航空機炎上…いったいどうなってる?

新年早々から

昨日、つまり元旦の午後4時10分ごろ、私も体に揺れを感じた地震が発生した。
これが石川県能登では震度7の地震だった事を知ったのは、その後ではあるのだが、何故この地震を特に気にしたのかというと、私がもともと石川県金沢市の出身だから、というだけでなく、会社の旧知の人が能登の羽咋市出身という事で、ちょうど年末に帰省した事を知っていたからだ。
私はその旧知の人に4時16分にはLINEで安否の連絡をしたが、結局返信は今日になってからだった。
私が住んでいた頃…もう30年以上も前の話だが、その時には石川県は体に感じる地震は年に数回ぐらいしかない、実に穏やかな土地だった。実際の地震はもっと回数はあったかもしれないが、震度1程度の地震ばかりで、体感できる地震はホントに少なかったのである。
しかも災害もそんなになく、住みやすさだけで言えば日本でも有数の場所ではないのかと思えるほどの古都である。
だが、私が石川県から山梨県に引っ越してからである。
大雪になったり、台風の直撃を受けるようになり、兼六園の昔からの木々をなぎ倒したなんて被害が頻発するようになった。
そして極めつけがこの令和6年能登半島地震である。
正月早々、痛ましい天災としかいいようがない
今の時点で石川県だけで48人が亡くなり、重傷者17人、軽傷者90人という報告があるが、これも表面的なものではないかと思われる。
正直、あの穏やかな金沢を知る私からすると、最近どうなってるんだ? と思える出来事である。
しかもタイミングが悪すぎる。
正月の元旦、それも夕刻に入るちょっと前というタイミングである。
被害が拡大する頃には真っ暗になり、状況の把握が難しくなるタイミングだった。
2日の日中に見えてきた被害は、潸潸たる有様で、今回の地震被害がどれだけ大きなものだったかに驚き、そして今まだその状況と戦わねばならない状態にあるという現実とぶつかった。

広がる災厄

だが、今日になってその災厄は全く別の形で広がった。
羽田空港で海上保安庁の航空機「JA772A」と日本航空JAL516便、エアバス350型機が羽田空港のC滑走路上で衝突、日航機が炎上しながら着陸し、乗員乗客は避難して人的被害は大きくなかったものの、海上保安庁の職員6人の内5人が死亡、1人は重い火傷で救急搬送された。
この海上保安庁の航空機は、令和6年能登半島地震に対応すべく救援物資を運ぶ予定だったという。
状況として、起きた事のみを伝えればこんな感じだが、当然だが何故こんな事が起きたのか、という理由についても今後は調査が行われるだろう。
おそらくは能登半島地震が発生し、その対応の為に滑走路の利用予定が大きく変更され、それらの情報の周知が足りていなかった、という事ではないかと予測する。
つまり、C滑走路の利用に関して、羽田空港の管制塔はどのような指示を出していたのか、というところが大きなポイントになるのではないかと思う。
どちらにしても、年始からとんでもない事故が発生した事実に驚いた。

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