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G、大地に立てるか?

3月20日、ガンダム35周年記念として、新作が作られる事が発表された。
一つは総監督が御大、富野由悠季。もう一つは待ち焦がれたTHE ORIGINだった。

Gのレコンギスタ

総監督、富野由悠季と語られる作品は久々ではないかと思う。
私は個人的に幾度か本人にお会いしたことがあるが、普段は普通の人であ…いや、やはりどこか風変わりな感じはする人物である。
だが、この風変わりな人があのガンダムの生みの親であり、このシリーズを立ち上げた張本人である。
35年前に制作、放送した頃は、おそらくここまでの長寿シリーズになるなど想いもしなかっただろう。というか、当人も以前にそのような事を言っていた。
だが、積み重ねて35年、続けてきたのである。
世界観が変わり、監督が変わり、時には根底が覆った事もあったが、それでもシリーズとして続けてこれたのは、偏にこのシリーズが初代の強烈なエッセンスを根底に流がしていて、そこに惹かれた強烈なファンが根付いていたからだろうと思う。
そんな強烈なファンの一人が私。ま、本当に強烈な人ほどではないかもしれないが、好きなモノは好きなんだからしょうがないじゃない(爆)

話を戻すが、そんなシリーズ最新作を御大が総監督となって開始する。
レコンキスタなんだけどなぁGのレコンギスタと題された新シリーズは、御大曰く「ユニコーンやORIGINのファンとは違う、あなた方が育てているお子たちにみせていただきたい」と言っているのだそうだ。
…ソレってどういう意味だ?
まぁ、それは後で考えるとして、GのレコンギスタのGとは、初代のガンダム第1話である「ガンダム、大地に立つ」のタイトルにもあるように、大地のG(Ground)の意味が最大であるという。この真意も分かったようで分からない。
新たな世紀に新たなMSおそらく、ここに富野監督流の深い真意が隠されているように思えてならない。

一つのコンテンツに群がる今のシステム

35周年記念新作発表会で、スペシャルゲストとして招かれた富野監督は、登壇一発目にぶっ放す。
「スペシャルゲストじゃないだろう、当事者なんだから。直してくれと言ったのに直っていない」
全くそのとおりだ。この人がいなければ新作の一つは進行しないのだ。
ただ、今までの富野監督なら、これで怒り頂点のまま進行していったかもしれないが、今回はそうでもない様子。
「……という話をできるのは幸せだ。個人事業だったらここまで続けられなかった。キャラビジネスという形で35年続けられたのは関係各位の努力があったから」
ちょっといつもの監督とは違う感じがしてならないが、この言葉の裏を読めば、監督が何を言いたいかが解ってくる。
その一つのヒントが、監督のこの言葉。
「関係各位、参入する方々はこのシステムがどういうものか、それは見抜いていただきたい。そういう目線が業界に育っているとは思えない。ガンダムのコラボはもう少し続く業務形態、いやな言い方ですが、と思う」
正直、私も富野監督が言うところの“キャラビジネス”に携わっていた側だから思うのだが、この富野監督の言わんとする意味を、業界関係者はもっと深く意識した方がいい。
というのは、キャラビジネスに参画する業者は、とかく売れるタイトルにしか乗らない、という事だ。
商売だからそれが絶対的に悪いとは言わない。だが、本当に必要なのは、全体を通してコンテンツを育てていくという事である。
今まで影に消えていった名作の卵は数知れず。だが、それらに手を差し伸べた業者がいないのが現実である。
もし、制作側単独でなく、キャラビジネスを行う業者がタイアップしてコンテンツを盛り上げる事が出来たなら、そうやって消えてしまわずに、大きなコンテンツに育った可能性が高いのである。
逆に、地道な地下活動から人気を得た作品もある。そういう作品は、総じて業者の力を使わずに地下活動が行われ、コンテンツ消費者がコンテンツを盛り上げているのである。そして盛り上がったところで業者が割り込み、さらにコンテンツを大きくする…か、もしくは刈り取って終わるのである。
制作側だって売れないものを作っている意識はないだろう。力及ばず鳴かず飛ばずになる事もあるだろう。それに消費者ニーズから外れてしまう事もあるだろう。だから全てが売れる事などあり得ないのも事実だ。
だが、時に時代に対して早すぎる内容(テーマやデザイン)のものが、早々に消えていくことがある。そういう名作の卵は、本来失ってはならないものである。
しかし、現実はそうではない。業者は売れるタイトルにしか付かない。
ガンダムは売れたから業者が多数付いてくる。今まで通りの業界の流れだ。コンテンツを育てるのではなく、育ったコンテンツから刈り取る為に。
だから御大は言うのである。「もう少し続く業務形態」だと。

THE ORIGINは4部作

安彦良和氏がマンガ化した「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」が映像化するという話は結構前から存在していたが、ようやく形が見えてきた。
正式タイトルは「機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル」となり、4部作となる。
サブタイトルにあるように、後に赤い彗星と呼ばれることになるキャスバルとその妹アルテイシアの物語となるようだ。
やはりキャスバルとアルテイシアの話だったか……まぁ、想像できてたけどさ(-_-;)
個人的には、キャスバルとアルテイシアの物語を含めた、ファーストガンダムの完全リプレースだったのだが、どうもそうはならないようだ。
ガンダムUCのクォリティでファーストガンダムをリプレースすると、とんでもない作品になると思うのだが…やはりハードルが相当に高いという事か。
どちらにしろ、既にオリジナルの声優が亡くなっている事もあるし、リプレースと共に新世代に向けて再発信するものと思っていたが、どうもその役目は「Gのレコンギスタ」になりそうだ。
「機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル」は来年2015年の春に公開される予定だという。

世代を超える

今回、御大が総監督となる「ガンダム Gのレコンギスタ」は、御大がガンダム以降、世代をどう乗り越えてメッセージを伝えるべきか、15年かけてようやく見えてきた輪郭をカタチにしたものと言える。
世代を超える。
一言で言えばそれまでの言葉だが、作品に込めたメッセージを伝えるとなると、その意味はとてつもなく重い。
御大は言う。
「ガンダムを35年やってきて、今の大人がやってるビジネススタイルが50年続くとは思っていない。コンテンツを改めて打ち出す必要があると思った。それがレコンギスタ」
この言葉の本当に意味するところは、作品を見ないとわからないのかもしれない。
だが、一つの答えが前述の話とリンクする。
御大は「もう少し続く業務形態」という時間を15年くらいに見ているのかも知れない。そうすればガンダムは50周年になる。
今の大人がやってるビジネススタイルが50年続くと思っていないなら、この50周年の先にあるものは何だ?
おそらく、その答えがGのレコンギスタにあるのだろう。
御大はさらに言う。
「明らかにORIGINやユニコーンのファンとは違う、あなた方が育てているお子たちに見せていただきたい。そういうものがガンダムというフィールドからできるのではないかと思う」
「評価はまだ出ていないが、この年でよくやったと思うと、うぬぼれている。お子たちに、お孫に、こういう物語があるよと伝えていただきたい」
表現者として、今できる精一杯を未来に向けて発信する。
今の時代の人の為でなく、未来の世代の人の為に。
多分、そういう事なのだろう。
そしてその思いはGのレコンギスタの公式サイトに富野監督の自筆メッセージとして表されている。
この想いを次世代に…

ガンダムという作品が生み出した言葉に「ニュータイプ」という言葉がある。
文字通り、新しい枠組みの存在である。
ニュータイプはわかり合える存在。そこに古い伝達手段は必要ない。感じ合う事で互いが理解できる。ニュータイプはそういう存在として作品に登場する。
そしてニュータイプたちはその時代の中にまみれ、時には淘汰され、それでも畏怖すべき存在として扱われる。
ガンダムUCでは、ニュータイプは最終的に抹殺すべき対象として扱われている。ユニコーンに搭載されているNT-Dシステムが“ニュータイプデストロイヤー”システムである事を考えると、今に生きる古き人は、やはりニュータイプを畏怖し、今という時代を守るためにこのシステムを搭載した、と見ていいだろう(ちなみにこれはMSユニコーンを製造した際の設定で、劇中では戦闘で利用されているだけのシステムである)。
こうした、ニュータイプに纏わるガンダムの過去作品を顧みると、一つの考えが浮かんでくる。
即ち、ガンダムという作品そのものが、古き世代の人から新しい世代の人への過渡期の物語という事ではないか? という事だ。
そしてそれが「世代を超える」という事に繋がるように思えてならない。

コンテンツビジネスに関わる人へ

普段、いろんな媒体で御大の辛口コメントを聞く(読む)が、そこで語られる内容は、いつも一つ必ず繋がっているものがある。
妙にリアルで、妙に偏っていて、それでいて真実を突いている。
御大が今回のコメントで伝えようとした事を、業界全ての人がその真意をちゃんと理解してくれる事を私は切に願う。
売れるものを自ら生み出す。
これからのビジネスは、そうして自ら立ち上がっていかねばならない所にあるだろうから。

※本記事中の富野氏のコメントは下記URLの記事より使わせて戴いた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1403/20/news143.html

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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