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PCが使えるという事

ずっと前にネタにしたっけか?

PCが使えるとは?

以前、最近の若い人でPCが使えない人が増えているという話をしたことがある。
世間一般の環境がそうさせているのだろうが、私はもちろん最近の若い人ではないので、それらの状況とは真逆の路線をひた走っている。
私が基本的にこのBlogを書くために使っている機材はWindows10をOSとした自作PCである。どっちかというと、スマホやタブレットよりPCの使用頻度が高いワケで、自分がもっと利用するものがPCになる。
そういう状況下で、仕事でMicrosoftのOfficeを使用して文書を作成したりしているわけだが、それだけでなく、ネットワークの設定やサーバの維持管理、ソフトウェアのメンテナンスなども行っている。
そういう状況だから、私の職場の周囲の人達は、私を「PCが使える人」というだけでなく「理解している人」という認識で見ているのだが、世間一般で「PCが使える」というのは、もうちょっと意味が異なっていると思う。
では、そもそもPCが使えるっていうのは、どういう事を意味するのだろうか?
世間では、最近の若者はPCが使えない、というのだが、そもそもその「PCが使える」というのは、何をもって使えていて、何が問題だと使えないという事になるのか?
結構気になる所でもあるので、世間一般の認識というものがどこにあるのかを、職場で聞いてみた。

基本はOffice

なんてことはない。
ほとんどの人は「Officeが使える人=PCが使える人」と認識していた。いや、もっと端的に言えば、WordとExcelがそこそこ使える人はPCを使えると考えているようである。
…OfficeってPowerPointもあれば他にもいろいろあるんですけど(-_-;)
まぁ、それは良いとして、ネットワーク設定とかその他デバイス設定ができる人というのは、PCが使えるという事ではなく「PCに詳しい人」という認識なんだそうだ。
つまり…「使える人≠詳しい人」という事のようである。
では、現在世間一般で言われている「若者にPCが使える人が減っている」という事を、この認識で考えてみたら、単純にWordとExcelがそこそこ使えれば「PCが使える人」という事になる。
…これって、そんなに大変な事なんだろうか?
Wordは普通に文章を打っていくアプリケーションだし、Excelは計算機の大きいもの…というと語弊があるかもしれないが、表を作成しつつ計算が必要であれば計算式を入れて作表するアプリケーションである。
使う上でいろいろ高度な事をしなければならない時にはそれなりのスキルは必要かも知れないが、体裁を整えるレベルの使用では驚く程高度な事は必要ないハズである。
もし、これ以外にPC特有の操作の理解が必要だとするならば…キーボードの使い方とマウスの使い方(或いはタッチパッドか)…それぐらいではないだろうか?

意味を知り、使い方を知る

ただ、私のように普段何気なく使っている人では、こういう事は理解が難しいのかも知れない。普段使わないからこそ難しいという部分があるのであり、未知の部分が即ち理解に繋がっていない事で使えない、という事に繋がるのかも…と考えると、この「PCが使える」という事は意外と奥が深いのかも知れない。
特に、WordやExcelのワザと思っていた事が、実はWindowsの基本機能だった、という事はよくある話で、私の職場でも未だにキーボードショートカットキーで実現できるワザの中でWindows標準のものをWord特有とかExcel特有だと思っている人が多数いる。
これは何も変な話ではなく、汎用OSの上で動く場合は誤解する人がいても不思議ではない事である。
だが、総じてキーボードショートカットキーを知っている人はまだ詳しいほうである。
ほとんどの人はその存在すら知らないというのが常で、これが世間一般の常識なのかもしれない。
こういう常識というのは、その個人の環境によって変わってくるもので、私の知り合いのIT関係者たちの常識でいえば、知っていて当然、使っていて当然、知らないのが非常識、ということになる。だからそういう環境の人は、知らない電子的あるいは機械的なものに直面した時、自分の知っている知識を動員してとりあえず触ってみる、という行為に及ぶ。
だが、私の周辺ではそれは真逆で、電子的あるいは機械的なことで知らないことに直面すると、ほとんどの人はまず硬直するところから始まる。そして自分が何かやらかすと元に戻れなくなるかもしれないという恐怖から、ちょっとでも詳しい人にどう対応するかをまず聞くという行為に及ぶ。
私の職場だと、例えば無料アンチウィルスソフトの代名詞的ソフトである「avast」が有料化を求めてきているだけの画面が表示されても、どう判断してよいかわからず、私に救援を求めてくる。私としては、それぐらいは自分で何とかして欲しいなぁ…と思うのだが、それができないらしい。
そういう人達に総じて言えることは、自ら調べる、という事をしないという事。
調べてもわからないから…というのがその理由だそうだが、まずもって「わかろうとしない」事を問題だと認識している人は少ない。

基本から考える

電子的あるいは機械的、という、専門知識を要するという事は単に後付の状況に過ぎない。
この「わかろうとしない」事の問題の根底は、もっと別の所にあると私は見ている。
便利な世の中になればなるほど、人は「不思議に思う感性」がどんどんと低下していっていると思う。今ある状況が当たり前になり、それが何故そうあり得ているのか? という事を疑問に思わなくなる。
だから、例えば「液晶テレビは何故映像が映るのか?」という事に疑問を感じる人はあまりいない。今の若い人でいうならば、生まれた時からそれがそこに存在し、それが当たり前になっているからだ。
これと同じことがPCにも言えていて、とにかくこのPCという箱の中で高度な事が行われていて、自分では理解できない事をやっているのだから、分からない事があってもそれは当たり前であり、知る必要がない、とココロのどこかで考えている人が多数いるという事である。
世の中の事が高度になり、専門家でないとわからない事が多くなると、専門外の事は専門家に任せてしまえばそれで良い、という認識が当たり前になったのかもしれない。
現在の状況が全体的にそういう流れになっている事を批判的に言うつもりはないが、せめて基本的な事ぐらい、いや、漠然とした事だけでも自分の知識として知っておいても良いと思う。そうする事で、ちょっとした事は自分でできるようになるハズなのである。

若い人だけの問題じゃない

今の若い人がPCの使い方がわからないという問題は、実は若い人だけの問題ではない。前述したように、世間全体の問題であり、それが「PCのような電子デバイスの事は若者なら知っていて当然」と考えている世間が、勝手に若者に繋げているだけの事である。
若者はスマホやタブレットという更なる新しいデバイスに自分の生活を紐付けたため、PCというものが利用するデバイスの主役から遠ざかっただけの事である。
では、今その一般社会の中核にいる人たちが若者だった時はどうだったか?
PCなんてモノはなかったかもしれないが、同じように若者の時に使っていたデバイスとかがあったハズで、形は違えど同じ状況を作っていたにすぎない。
ただ、今はデバイスの進化が極端に早いため、世の中核にいる人がその変化から生まれた食い違いに驚いているに過ぎない。
だから若い人がPCが使えない事を驚く事そのものが、間違いであり、それはその事を驚いている人たちと何ら変わらない状況が目の前にあるだけの話である。
だから、職場に若い人が入ってきて、PCの使い方がわからない、という状況が目の前にきたなら、そこはもう新人に仕事を教えるが如く、教えていくしかないのである。
仕事を効率よく行っていくための道具の使い方を教えるのと、何ら変わらない新人教育の一環である。
私の職場でもそういう状況が実はあって、私はそういうつもりで教えている。
ただその際、私がPCの使い方以外に教えている事があるとすれば、それは「世の中、不思議に思う気持ちを忘れてはいけない」という事と「何気ない日常において何故それがそうなのか? という事に気づけるようになれ」という事である。
そして、不思議に思った事は調べる、という事である。自ら調べるという行為をしないと、意味がないのである。
だが、これは若い人に必要な事というだけの話ではない。
社会に生きる人全てに共通して言えることではないだろうか?

ま、世間で言われている事をそのまま鵜呑みにしてはいけない、と私は思っているに過ぎない。周りばかり見て、自分を振り返らないという事自体、もっと問題視しないといけないと私は思うのだが…如何だろうか?

 

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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2 Responses

  1. うめー より:

    オイラは「PCが使えない人」の区分に成るなー
    PCは100%趣味にしか使わないからOfficeなんて使わないし使ったこともない
    PCはnetに繋がっていれば出来ることは無限だから
    何に使おうと自由だし

    • アバター画像 武上 より:

      いや、この世間一般の認識とPC技術にある程度知識があるという問題は同一視できないと思いますよ。

      一般の人の大部分は、既にネットで情報を得るという事そのものはスマホやタブレットでできる、と考えていて、PCは業務をしたり趣味のコンテンツを作成したりする道具という認識が強くて、特に社会人は業務に使う事を中心に考えるので、結果として「使える人=Officeを使える人」という構図を作っているに過ぎないです。
      つまり、ネットからの情報端末という枠組みの中に既にPCはいない、という事ですな。

      それだけ世間一般は手軽に扱えるデバイスに移行している、という事ですよ。

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