ふと、iPhoneに保存していた写真を見ていて、気がついた。
激変した人生
今日、ふとiPhoneに撮りためている写真を見返すという事をした。
別にいつも見返す事などないのだが、いらない写真が数点入っているのに気づいて、それを削除しようとしたところ、iPhoneのアルバムに保存していた写真は日付で分類されていたので、ふと、過去に撮影した写真が気になって振り返るなんて事をした。
2021年12月のフォルダに、母親が手書きで書いたメモの写真が入っていた。
この時は、不自由ではあったものの、歩く事そのものもまだ出来ていたし、自分で買ってきて欲しいものをメモに手書きで書いて、私に手渡すなんて事をしていた証拠が、まさしくこの写真だった。
この写真を見て、私はふと思った。
何という生活の変化、私の人生の変化だろうか、と。
半年ちょっと前は、母親は自分で歩くこともできていたし、手書きでメモを自分で書くこともできていた。
だが今はどうか?
歩く事もままならず、自分で文字を書く事はできたとしても、書く体勢をとる事もできなくなってしまった。
実際、文字を書こうと思っても、おそらく上手く書く事もできなくなっているだろう。最近は必要書類に署名をする時も、代理人として私が書いている始末である。
いつ頃からこんな事になったのか、思い出してみる。
すると、今のような状態になった最大のターニングポイントは、2月28日の入院である事がわかる。
全てはこの入院から始まった。
軽い脳梗塞から始まった
当Blogの2022年2月28日の記事にもその事を書いたが、この日、定期通院で内科にかかった際、母親が右手に力が入らない、と医師に伝え、医師がその違和感からMRIを撮ろうと言った。結果、軽い脳梗塞が見つかり、即時入院が決まった。
呂律が回らないなんて事はほとんどなかったが、何を言いたいのか判らなくなるなんて事があったため、脳梗塞の気配が以前からちょっとずつ出ていた事は間違いが無いのだろう。
その後、4月6日に母親は退院してきたが、その時には要介護1の区分で介護保険を申請した後だった。まだこの時には伝え歩きは出来ていたので、自分で歩こうと思えば歩けた時である。
ただ…この時、私は知らなかったのである。母親は今回の入院の時、病院の風呂場で尻餅をついていて、恐らくはこの尻餅が原因で圧迫骨折が出た…もしくは以前から圧迫骨折をしていたが、ここでそれが加速した、と考えられる。
というのも、退院後の4月21日に腰がどうしても痛いと言いだし、整形外科に通院したら脊椎圧迫骨折と診断された。
この診断から、結構大きいコルセットを着ける事を余儀なくされ、そのコルセットを着ける事によって、体の各所に痛みを訴えるようになった。
その痛みが内側からか、あるいは外側からかはわからないが、極度に痛みが酷くなり、5月10日に母親は救急搬送となり、そのまま原因がわからない事で精密検査をするという事でまた入院となった。だが、まだこの時は歩く事はできていたのである。
容体悪化が加速する
この5月10日の入院はとにかく私にとって不可解な事がとても多かった。
病院から、いつまで経っても医師の説明がないのである。入院した後、担当医はどのように治療していくのかなどを家族に説明するのだが、入院して2週間が経過した後も医師からの連絡がなく、結局6月8日にようやく医師からの説明を聞くこととなった。
結果としては、右足首が自分で動かせなくなり、歩く事が出来なくなる事が確定した。少なくとも車椅子は必須となり、また体力的にも寝たきりに近い状態になる事も見えた。
しかし、左足に関してはそれなりに動かせるようで、ベッド内では結構自在に自分で動けていたようではあった。
この事で介護保険の区分変更が必要となり、自宅に介護ベッドと車椅子を入れる事が確定した。と同時に、私の人生が大きく変わった事が確定した時である。
4月6日の退院の時も「介護」という言葉を覚悟はしたが、それでも自分で伝え歩きができる事から、まだ自宅内で自分が活動でき、ヘルパーさんも週2日入って貰う程度で済んでいたのに、そのわずか2ヶ月後には、介護ベッドで寝たきりという状況が確定したのである。
原因はほぼ圧迫骨折にある事は明白で、コイツが体を動かせなくなった直接原因と言えた。
この圧迫骨折によって体の自由が利かなくなった事で、あらゆる活動に支障が出てしまい、結果、内科的な部分でも変化がおき容体かどんどんと悪くなったと思われる。
言葉にしてしまえばそれだけの事ではあるが、これが周辺の人間の人生をも変えた要因だろう。
戻ってきたが…
7月9日、寝たきりになった母親が自宅に戻ってきた。私の介護生活はこの日から始まり、仕事、家事、介護を全て引き受ける事になった。
介護の部分は、まだヘルパーさんとデイサービスが対応してくれる内容だったので、ヘルパーさんの時間以外のところで、私は介護の補助的な事をする事になった。
だが、実際には夜中に母親の痛みが酷くなれば私は起こされ、都度対応する日々が続いた。
体の自由が利かない事で、何か不調が出れば結局それを紛らわす為にも他の人の手が必要になるので、そこを家族が引き受けるしかないのである。
私は比較的早い段階で寝不足になり、仕事から帰ってきてからの介護の時間もある程度まとまって必要となり、家事と合わせて時間がどんどんと削られていった。
そしてその生活は今も変わらないのだが、7月14日に母は再び入院となった。ただ、この入院は長引かない事が予想された。そもそも入院した原因が、便秘による腹痛だからだ。ただ、寝たきりの人で便秘というのは実の所致命的でもある。排泄できないという事が原因でいろんな副次的問題が発生するからだ。なので、この部分をどのようにケアしていくかは一定の調査や検査が必要になる。今回の入院は、それが中心であり、結果、入院した翌日には退院に向けたカンファレンスを実施する日程まで決まった。
なので、今週そのカンファレンスを受け、今後がまたどのような生活になるかが決まる。
足りない時間
まぁ、どう足掻いたところで半年前の環境を手にできるわけではないので、まず介護の内容がどのように変わるのかを中心に話が行われるだろう。
介護保険の区分が変わる事も多分ないだろうから、介護時に気をつけなければならない事の話ではないかと思うが、まずはコレを聞いて今後の計画をいろいろ考える必要がある。
それにしても半年、たった半年で、この状況の変化である。
母親自身も変化に付いていくのも大変だろうが、私自身もこの変化から生活が激変した事への順応がまだ足りていない。
全てにおいて時間とお金が足りていない。
せめて時間だけは、十二分に把握してどのように介護していく必要があるのか、再検討である。
ホント、まとまったお金がドカンとどこからか来てくれれば、まだ救いようがあるのだが…人生、そんなに上手くは出来ていないようである。