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Tagged: おみくじ

謹賀新年、2024

あけましておめでとうございます。

毎年恒例

2024年が幕を開けた。
正月と言えば、毎年北口本宮冨士浅間神社に初詣に行くという事を毎年欠かさずに行っているのだが、今年も例に漏れず初詣に行ってきた。

今年は毎年よりも少し早めに行こうと思い、午前2時ぐらいには自宅を出かけ、3時くらいに初詣に行ければぐらいに思っていたのだが、最近はこの時間帯がかなり混むという事がわかり、少し焦る事態に陥った。
いつもなら車でスイスイ入っていけるところまで問題なく入れるのだが、何故か今年はその道には車がズラリと並び、人の多さがそれだけで分かるという状態に。
ただ、私はその道の奥に臨時駐車場がある事を知っているので、それら車を横から追い越し、一気に奥まで入り込んだ。
案の定、臨時駐車場は車が少なく、無事そこに停める事ができたのだが、初詣は午前4時くらいに来るのがもっとも人が少ない時間帯なんだという事を改めて知った。
毎年恒例かつ同じアングルの浅間神社
昨年の御札と御守りを処分するところに御賽銭、手水舎に御賽銭、そして本堂に御賽銭といつもの流れで進み、本堂でお参り、その後おみくじと新しい御札の購入、干支の置物を購入という、まさにいつも通りの流れで参拝した。
今年は昨年よりは寒いという感じがしなかったが、それは人が多かったからだろうか。
日中に来ると、観光バスが乗り入れるので、人が多いなんてものではなくなる事から、深夜に参拝する事にしているのだが、その深夜でもこの盛況ぶりである。
静かに厳かに…と思っていても、なかなかそれを許してくれるような状況ではないようである。

恒例のおみくじ

そして…これも毎年恒例で私はかならずおみくじを引くことにしている。
ここ数年は大した結果に終わっていないのだが、今年もまた微妙な結果だったと言える。
一応「小吉」と書かれてはいるが、その内容たるや散々な書かれようである。
しかも自らの努力をしても願いはなかなか叶わないと言い切り、挙げ句、その内容は全く良い方向に書かれていない。
ヒドイ書かれようである。コレ、凶じゃねーの?(爆)
これで「小吉」って、運がなさすぎだろ?
ま、あくまでもおみくじ運なので、一年の計にはならないと思ってはいるが、ここまでダメな内容だと心も折れるというものである。
今まで、おみくじ通りの運勢で一年が過ごせた事はないので、あくまでも戒めとして受け止める事にしているが、その戒めにしても手厳しい内容である。

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謹賀新年 in 2023

毎年恒例の元日記事。

昨年は激動の年だった

正直、2022年は私にとって実にしんどい年だった。
母親が要介護4という介護保険受給者としても重度な存在になってしまった事で、私の日常生活の全てが変わってしまった事がとても大きい。
この事で、今まで日常生活を送る上で必須な家事をほとんどしなくてよかった私が、一切合切すべて私のみが実施しなければならない生活を送る事となり、またその事で母親を支えていかねばならなくなったことで、自分が今まで好きに活動してきた事の大部分を諦めざるを得なくなった。
ま、今までそれだけ母親に依存してきたという事だが、同時に母親に感謝しなければならなかったという事を今実感している。
また、自分の住環境が実はとんでもなくヤバイところに来ているという事も知ることに。
だが、この環境から抜け出すには、自分の状況をいろいろと変えねばならない事もわかった。それにはある程度の予算もかかれば覚悟も必要だという事も。
それらを今年、成し得ることになるのか、は今のところまだ判らない。
だが、変わらねばならない事は事実である。

あけましておめでとうございます

というわけで、2023年がやってきた。
今年は昨年のしんどかった状況から大きく変わっていきたいと思っている。
その思いを感じつつ、恒例の冨士浅間神社へ初詣に行ってきた。
このポジションが一番しっくりくる
あまり変わり映えしない写真を撮影してきたワケだが、実は社務所近辺は結構変化が著しい。毎年、多数の参拝者を捌く必要がある為か、結構システマチックになってきている。ま、処理はアナログだが。
神棚の御札と車につける交通安全の御守り、あとはその年の干支をかたどった置物を購入する。〆て3,000円だが、これはもうお布施みたいなものである。
私が訪れたのは午前4時30分ごろ。もっと早く行くつもりだったが、母親の介護をした後にすぐ寝る事ができなかったため、睡眠時間的にこの時間になってしまった。
ただ、タイミングがよかったのか、例年より空いていて何一つ待つ事なく終える事ができた。
あと4時間も経てば、たくさんの人でごった返すことになるのだろうが。

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謹賀新年 in 2022

新年、あけましておめでとうございます。
旧年中もいろいろとお世話になりました。今年も何卒、宜しくお願い申し上げます。

迎春

毎年、この日は同じような事を書いているので、今年もそれに倣っていくことにはなるが、それが日本の恒例なので仕方が無いと思って戴きたい。
毎年、私は初詣に冨士浅間神社に初詣に行く。
もう恒例行事なので、昨年もこのように同じ事を書いている
なので初詣に行った記録として残している画像もほとんど同じ構図のものばかりなので、今年はちょっと変えてみた。
まずはココからまずは参道の大鳥居。暗闇にこの鳥居だけが浮かんで見えるのが特徴で、コレを目指して進んで行けば本殿に迷うことなく進める。
今年は右側からのショットそして…今年は右側からのショット。
参道から進んでくると、左側からこの本殿を見る事になるので、本来は逆側を最初に見る事になる。なのでこの写真は既に参拝を終えた後のものになる。

今年もコロナ禍影響

毎年、同じ事をつらつらと書き続けているので、いい加減ネタ切れになる新年の書き出しなのだが、昨年、今年はそれにちょっとした情報が上乗せできる。
それがコロナ禍での参拝だという事。
昨年も参拝客が極端に少なかったが、今年も相変わらず少ない。もっとも、私が参拝した時間が午前4時少し前という事も影響しているのかもしれないが、コロナ前だとその時間でも結構な人が参拝に来ていた。
おそらく、太陽が昇り日中になれば参拝客は激増する可能性はあるが、今の時点では非常に人の出は少ないといえる。
また昨年同様、手水舎に柄杓が見当たらなかった。代わりに柄杓を使わずとも水を使えるように木枠で水を導いて水道のように流していた。おそらくほとんどの神社で同じような対策をしているのではないかと思う。
また、御札を販売しているところにいろいろとアクリルの仕切り板を用意していたり、というのは昨年同様である。
最近はそういうのも慣れた、と言えてしまうのが恐ろしい。逆にコレが日常生活のスタンダードになってしまったら、それはそれでイヤな感じがするのは私だけだろうか?

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謹賀新年 in 2021

新年、あけましておめでとうございます。

コロナ禍の初詣

毎年、私は決まって冨士浅間神社に初詣に行く。
昨年もこの書き出しで新年初のBlogを書いているぐらい、恒例の話。ココを見れば昨年の記事と同じだという事がわかるだろう。
正確に言えば、昨年だけでなく、毎年の1月1日の記事は同じような書き出しで始まっているハズである。
これは私の行動の既定路線なので、変わりようがなく、毎年同じになるのはある意味必然である。
なので、掲載する写真もほぼ同じになる。
人がいない…ただ、今年は毎年とは異なるところがある。
そう、参拝客が非常に少ないのである。おそらく、毎年撮影する社殿写真の中で、今年が唯一、人が写り込んでいないのではないかと思う。今年も昨年と同じAM4:30~5:30という時間帯での参拝だが、昨年は短いとはいえ行列があったものが、今年はこの有様である。
とは言っても、この規模の神社なら太陽が出て日中になればおそらくある程度まとまって人はやってくるだろうと思う。
ただ、コロナ禍という事もあって、いつもの参拝と異なる部分がいろいろあった。
まずは手水舎に柄杓が見当たらなかったという事。予想はしていたが、やはり感染の恐れが出やすいものは撤去されていた。
また、御札を販売しているところなどはアクリル版で仕切っていて、飛沫対策をしていた。これも今ではよく見る光景である。不特定多数の人が出入するところなので、こういった取組みは当たり前なのだろうが、この微妙な距離感が感じられる生活には慣れたくないなぁと個人的には思っている。
早くいつもどおりの生活に戻ってくれないかなぁと思っているのだが、例えワクチンがいつでも使える状態になったとしても、以前のような生活スタイルに戻る事はないのだろうか?
一度このように変わってしまったなら、清潔感第一で今みたいな生活が続くのだろうか?
感染の恐れがなくなれば、人同士はもっと距離を詰めても良いのではないかと思うが、戻れるのだろうか?

今年のおみくじ

さて、私は初詣に行くと必ずおみくじを引いてくる。
引くといっても、100円を投入したらガサッとおみくじが入れられた箱から一つおみくじをツマミ取るというものなので、六角振出箱から引くというおみくじではないのだが、毎年同じおみくじを引いている。
で今年はというと…
昨年と同じ吉であったこんな感じ。
昨年も「吉」だったので、今年も同じである。昨年は第40番だったが、今年は少しズレて38番。なんかこの近い番号というのは因縁でもあるのだろうか?
神社本庁が公開している「神道いろは」では、順番として「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶」と書かれている。あくまでも一例の解釈として考えれば、大吉の一つ下、という感じ。解釈によっては中吉や小吉の方が上という見方もあるが、個人的には「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶」が正しかろうと思っている。
こうしたおみくじにとって重要なのはその本文に書かれている事。今年は「目上の人の引き立てによって幸運に恵まれます」とある。誰か好意的な上司によって好転するのだろうか?
また「元気を出して事にあたること」とある。これが私には難しい。元々、私の日常は結構淡々としていて、覇気がある方ではないのだ。
「いかし勢いにまかせると心におごりをうみわざわいがおこります」というのは、多分大丈夫ではないかと思うが、より新調に行けという意味では心に留めておく必要はあるだろう。
と、素直に受け止めて今年を生きていけばいいのだが、あえて冷静に言ってしまうと、実は占いも同じなのだが、当たり前の事がそのまま書かれているだけの事であり、大なり小なり全ての人に当てはまりそうな事が書かれていて、人はそれぞれ勝手に自分に当てはめて解釈しているに過ぎない…というのが、こうしたものの本質だ、と誰かが言っていた。
ひねくれた解釈とも言えるが…事実そうなのかもしれない。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」とは上手く言ったものである。

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