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盛り上がれない性格

 今日、遅れに遅れた会社の新年会が行われた。
 なぜ今頃…と思うかもしれない。
 実際私だってそう思っている。
 しかも、ウチの会社は新年会を毎年の恒例行事にしていない。
 昨年はそんなものなかったのだ。
 なぜ今年はそんな事をした?
 どこかにそんな気持ちがあったのだが、実は行われたのには理由がある。
 ウチの会社は、毎年9月で期末となる。10月から9月まで。まぁ、会社ではこのような時期に期末がくるというのはよくある話で、何も4月から3月までという、官公庁のようなスタイルがすべてではない。とある企業では6月が期末で7月からなんてところもある。
 で、10月から新しい期が始まったわけだが、そこでちょっとした人事異動が行われた。
 ウチの部署の課長の一人が本人希望の元、他部署へと異動し、私の所属する部署は新体制を余儀なくされた。
 問題はこの異動した課長であり、残念な話であるのだが、この異動した課長が事実上今の部署をまとめていたと言っても過言ではない状態だったため、新体制へと移行した私の部署は、ある種、まとまらない混沌とした状態にあった。
 さすがにこれではマズイという事もあり、昨年末からあらゆる方向からテコ入れが行われてきた。
 その中で、私が現課長直下のリーダーとなるというアイディアもあり、それは私の意思とは無関係に採択されたりもした。
 しかし、現課長の統率力の問題や問題提起力、意思伝達能力の問題などで、今ひとつまとめる事ができておらず、かといってリーダーとなった私にその権限があるわけでもないため、部署はより混迷していった。


 さすがにこの状況は良くない、と感じたウチの会社の専務が、もっとコミュニケーションをローレベルな部分で行う必要があると判断し、それで飲み会でもやるか…と、今回の新年会が計画された。
 安直ではあるが、もっとも原始的であり、また効果的でもある選択である。
 私もこのやり方に問題があるとは思えなかったし、それが理由にあるという事を考えたとき、至極真っ当な結論だなと思った。
 だが、そうした意図が全く読めない、あるいはそもそもそんな事は無関係という社員もおり、今回の新年会で不参加者が出てしまった。
 私はこの時点で計画の半分は失敗だったなと感じた。
 こういうのは、決起するのと同じで全員参加が基本的に絶対である。それが強制できないのがウチの会社であり、ダメな部分でもある。
 指導力や統率力のあるリーダーならば、たぶん強制参加させただろうし、仮に会社のトップがそういうタイプの人間だったなら、会社の風土として行事には絶対参加という雰囲気ができるはずだ。
 しかし、残念ながら今の会社ではそれができなかった。
 できないまま、今に至っているのである。
 そんな状況下ではあるものの、参加したメンバーには全員の結束力を高めるための新年会にしなければならない。
 そこで本音をぶちまけられる飲み会が利用される。たぶん、ほとんどの会社での飲み会は、そういう意図のもと行われているはずだ。
 なので、今回の新年会でもそうした事を念頭に行われるハズだった。
 だが…実際はただ飲んだだけ、そんな感じがしないでもない。
 現課長はラストのラストでみんなの結束力を上げようと必死だったようだが、実にタイミング的に遅すぎる。
 しかし、それを傍観していた私にも責任はある。
 私は不本意ながらもリーダーという位置づけにいる。だから課長が及ばないところは私が受け持たねばならない。だが、残念ながら私はこういう場を盛り上げる術を持ち合わせていない。
 もともと私は酒が飲めない。飲めないから酒飲みの気持ちはわからない。
 こういった無礼講のような飲み会であっても、どこか究極的に冷静な自分がいるのである。
 場を盛り上げるために何をしたらいいのか?
 それを全く知らないわけではない。だが、冷静な自分が周囲を冷ややかに見下ろしている為、自分で自分の行動をセーブし、また暴走をはじめそうな存在を冷ややかに見下し始めるのである。
 そもそも、暴走する人間は好き好んで暴走しているとばかりは言えない。
 場を何とかしようとして暴走を演じている事も多々ある。
 だが、それすらも冷ややかに見てしまう私がいるのである。
 これは私の重大な欠点である。
 自分が盛り上がれないだけでなく、周囲の盛り上がりすら冷めた目で見てしまうというのは、少なくともリーダーという立場上良くない事である。
 人を統率するというのは、非常に難しい事であり、ましてベクトルの全く異なる存在が入り交じっている状況では、それらを統率するなど、相当の技量と度量と判断力が必要な話である。
 そして冷ややかな私はこうした飲み会だけでなく、あらゆるところに潜んでいる。
 最近、自分でよくその存在を感じる事がある。
 みんながみんな、私と同じベクトルとは言えないのだから、ここはもっと広い視野で考えねばならないのだろうが、それが出来ていない。
 私の人の小ささと度量のなさ故の問題である。
 と言うわけで、盛り上がれない自分を何とかしなければならないなと感じた。
 だが、これは生まれ持ったものでもあり、どこをどうすればいいのかなんてのは分からない。
 とある人が言った言葉に「指導者とは孤独なものである」なんて言葉があったが、ある種、それに似ているのかもしれない。
 難しい問題である。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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