それは突然やってきた。
突然の腹痛
昨日、残業中に突然私のスマホに電話がかかってきた。話す事のできないハズの母親からの電話で、ああ、これはヘルパーさんが欠けてきたんだな、とすぐに察した。
案の定、ヘルパーさんからの電話で、話を聞くと、どうも母親が排尿の為のカテーテルが入っている部分をしきりに触ろうとして痛がっているという。
はて?
カテーテルがグッと奥にでも入ったか?
どうにもならない感じだったので、残業を切り上げて自宅に戻ると、母親が泣いて痛がっている現場を見る事となった。
確かにやばそうな雰囲気があり、これは私やヘルパーさんではどうにもならないなと感じ、母親に「救急車を呼ぼう」と言ったら、母親は途端に泣き止み、あからさまに我慢する体制を見せた。
どうにも救急車は呼ばれたくないらしい。
しかし、カテーテルをどうにかできるのは看護師でなければならないので、我々ではどうする事もできない。今その場を凌いでも、絶対に後から病院にいくなりしないといけなくなる。
ならば痛いのを我慢するよりは、今救急車を呼んだ方が最終的には良い結果になると私は考えたのだが、とりあえずヘルパーさんにアメニティ関係を交換してくれれば良いようなそぶりを母親が見せたので、交換したところ、痛みが治まったようで、母親が頑として救急車を呼ぶことに反意を示した。
なので、とりあえずその場は救急車を呼ばない事にして、ヘルパーさんには帰って貰った。
だが、その状況はわずか1時間後には大きく変わるのである。
受け入れ先がない
結局、20時30分を過ぎた頃に、母親は再び痛みを訴えてきた。しかもその痛み方は、先程より酷く、今度はカテーテルが入っている部分ではなく、あきらかに腹痛を示していた。
この時点で私はもう自分ではどうする事もできないと判断。母親が拒否するのも構わず、救急車を呼ぶことにした。救急隊はすぐにやってきてくれ、母親のバイタルなどを確認した後、救急車に運んでいった。
私は本来なら救急車に一緒に同乗する事になるのだが、救急車から降りた後の事を考え、自分の車で受け入れ先に出向きますとして、同乗しなかった。
救急隊は受け入れ先が見つかり次第私に連絡する、として、そこで私と別れる事に。
その後、受け入れ先を聞いた私は驚く事になる。
かかりつけの病院ではなく、2つ離れた市立病院だったのである。
どうも、いつものかかりつけ病院は生死を彷徨う患者が運ばれていたようで、受け入れて貰えなかったのである。
いつもと異なる病院に運ばれ、そこの当直医からいろいろ説明を受けるのだが、最終的にはいつもかかっている病院で見てもらった方が良いと言いだし、応急処置として痛み止めの薬を処方しただけに留まった。…何の為に救急車を呼んだのやら…と思ったが、一時的とは言え母親が痛みから解放されたのだから、その場はヨシとするしかなかった
原因は…
結局、救急病院では痛みの原因の核心には触れられず、かかりつけ医師への紹介状を書いてくれ、その日は自宅に戻ることに。
介護タクシーではない私の車に載せるのは一苦労だったが、とりあえず何とか乗せる事ができ、また自宅に戻ってから、母親を車椅子に移乗させられた。
その日の晩は、時間だけがかかった感じで、なんだか私も疲れたのだが、母の容体が急変したのはその翌日の朝である。7:30ごろ、母がまたしても腹痛を訴え始め、何とか飲み屑すりで痛みを軽減させたが、またしても病院に行くこととした。
今度はかかりつけ医に見てもらうため、日中に受診する事となったのだが、結局、内科に受診した結果、入院となった。
どうも大腸内が便で詰まっている事が原因で、相当に固くなっている状態らしく、それで内臓を圧迫していたようだ。まぁ…便秘の強烈なヤツというヤツだ。これさえ排除できれば入院は不要かも…と循環器科の医師からはそう告げられたのだが、他にも悪い所があるはずなので、様子見という形で今日は入院する事となった。
正直…疲れた。
淡々と事実を書いたが、ここまでの間に係った時間がまずものすごく長いという事と、当然だがそれに加えて日常やらなければならない事が重なっているので、昨晩解放されたのはAM2:00だった。
とりあえず重大な問題、特に死に至る病ではなかった事は安堵すべき事である。
今後も、こういった事は良く起きるんだろうな、と半ば諦めモードである。