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自分でも久々に深く考えた

ウクライナを他人事として見ている場合ではないのだが…。

危機感が薄い

普段、私はあまり政治的な事をこのBlogに書くことはない。
理由は、政治には思想がついて回るものだし、その思想はどの方向から見ても正しくもあり間違ってもいて、答えがないからだ。
しかも、その思想によって時には批判、否定する事を余儀なくしなければならない事にもなったりするし、またその逆も起き得る。私がどう思ったか? という事で、確実に一方的な話になりかねない事になるので、可能な限り、政治的な話はしない事に決めている。
だが、時にどうしても話題に上げたいと思うときもある。
なので、そういう時は細心の注意を払って書くのだが、今日はまさしくそんな内容になる。
小難しい話は苦手…という人は、この先は読まなくても良い。ただの私の妄想が書いてあるだけの事である。

ロシアのウクライナ侵攻に関して、日本人があまりにも遠い話という感覚で、正直驚いている自分がいる。
もちろん、私だって厳戒態勢な気分かと言われればそうではないので、おそらく自分も驚かれる一人なのだろうな、とは思う。
ウクライナを侵攻しているロシアは、言わば日本も隣国になる。ただ海を隔てているので、隣国といっても状況は異なるが、ロシアが国境紛争の為に侵攻してくる可能性のある国である事を忘れてはならない。
由々しき事態であるそんな同じ隣国であるウクライナが今侵攻を受けている事に対し、日本がこんなに遠い国の出来事と考えている状況は、本当に危機感があるのか? という話にも繋がるし、何より日本は武力を保有するという事の意味を理解していないと思う。
自衛隊が終われている立場、米国との安全保障問題、憲法9条の意味…等々、考えるべき事は多々あり、知識人の方々においては、これらの考えるべきの方向性で常日頃から論争を繰り広げているのだが、そうした思想はまず置いておき、日本に必要なものとしてどう考えるべきかを事実をもって考えて見たい。

独立国

日本は独立国である。
少なくとも、日本国民でそう思っていない人はいないと思う。いや、いたら困るのだが。
では独立国とはどういう意味なのか?
辞書では「完全な主権を有する国家。国際法上の能力を完全にそなえた国際法主体。主権国」と説明されている。
で、この「国際法上の能力をそなえた」という意味で考えると、独立国は独立権を持つ事で独立国となっている事がわかる。独立権とは「国家が他国の干渉・拘束を受けないで内政・外交を処理する国際法上の権利」とある。
つまり、独立国はこの独立権を持っている事で国際法上、独立国として成立しているわけで、これを維持する為に政府機能や警察機能、軍、法治機能などを持ち、独立国として機能させるわけである。
警察機能や法治機能などは独立国内部で、治安維持の為に使われる事の多い能力だが、政府機能や軍は、内外に力を持つ機能であり、特に軍は自らの自治権を確立する為に、外部侵略から防衛するために持つ機能である。
つまり、独立国は外的要因から自らを守る為に必要な機能として、認められたものであり、日本で言えばこれが自衛隊に当たるワケだが、自衛隊は憲法9条との兼ね合いで残念ながら独立国の軍隊としての機能を保有していない事になっている。
日本の矛盾は、こうしたところから来ているという事を、改めて知る必要がある、と私は思っている。
だからといって、私はどちらの言い分も正しいとは言わない。軍隊を持つ事のメリットもデメリットもある事を理解はしている。

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変わる世界

緊急非常事態宣言解除県にいるが生活は変わらない。

元には戻らない

コロナ問題で生活が一変して既に2ヶ月ほど経過しているワケだが、日本の39県では今週緊急非常事態宣言が解除され、残す1都2府5県については未だ緊急非常事態宣言が継続している。
私は緊急非常事態宣言が解除された県に住んではいるが、正直、生活が元に戻ったという感覚は全くない。世間の人も恐らく同じ思いではないかと思う。
理由は、緊急非常事態宣言が解除されたからと言って、コロナウィルスの蔓延がなくなるかというとそうではないからだ。依然としてウィルスによる感染が考えられる世の中であり、どこで感染するかわからないという、見えない恐怖がどこかにある。
だからマスクの着用も変わらなければ、外出する基準も何も変わらない。いや、人によっては外出基準は若干変わったかもしれないが、少なくとも私に関して言えば全く変わっていない。逆を言えば、緊急非常事態宣言になる前から、外出に関しては同じレベルでしかしていなかった、という言い方ができるかもしれない。元々不用の外出というものをしないので、こんなものである。
変わらないと言えば、会社の業務スタイルが緊急非常事態宣言後に変わった事が、この解除になった後にも変わらず、相変わらず外に出ない業務が基本になっている。
つまり、オンラインによる連絡の取り合いだったり、テレワークといったものである。
私が勤める会社では、テレワークをしている人は限られた人だが、顧客とのやり取りは基本オンラインミーティングが当たり前になり、解除後もそのスタイルが定着してしまった。
おそらく、このビジネススタイルの変化は、今後このようなオンラインを活用する事が当たり前のようになり、今のスタイルをベースとした新たなスタイルへと進化していくのではないかと予想している。
それだけにWebカメラやヘッドセットの品薄は未だ続き、入手難が続いている。
私はこの騒ぎが起きる前に、小規模会議用のスピーカーフォンを持っていたが、今はそれが大人気でホントに入手難になっている。たまにAmazon.co.jpで入荷があっても、すぐに売り切れになる状態である。
つまり、人々は知ってしまったのである。オンラインでここまでできる、という事に。
おそらく、今のビジネススタイルが今後のスタンダードになるのは、もう目の前の話なのかもしれない。

マスク販売の格差

東京を中心とした人口密集地域では、マスクはもう普通に購入できる状態なのかもしれない。
品質管理が大切しかし、私は自分の身の回りで、マスクが普通に売られているところを見た事がない。
コンビニでちょっと売られている事を見かける事もあるが、それらは1~3枚入りとかいう小パッケージのもので、箱タイプで30~50枚入りというような製品ではない。
そのせいか、地方の役所では市民に配布するマスクを未だに買える業者に問い合わせていたりする。価格も安くないもので、それでも欲しいとする役所がいたりする。
人口密集地域で売られているマスクの出所がどこなのか、断言する事はできないが、品質管理面で安心できる製品が全体の何割あるのかが気になる所。
おそらく、中国生産品であろうとは思うが、問題はその品質管理をどの程度で行われているかが問題であり、真っ当に品質管理しているものが大量出品されている感覚は、残念ながら私にはない。
シャープ製マスクが3,000円以上で販売されていて、ネットでは高い買い物として叩かれる事があるが、日本の品質管理費込みで1枚60円のマスクというのは、ある意味妥当な価格かもしれない、と最近思うようになった。
マスクのような衛生製品は、その品質管理で差がついてしまうと、製品そのものを使いたくなくなる、という日本人は多いだろう。そう考えれば、安い=正義とは言い切れないのである。
だから、人口密集地域で大量に売られているマスクが地方にもバラ撒かれればいいのに…と思う事はあるが、同時に今急いで製造された製品は、どこまで安心できるのか? 安心できるものならもっと広がればいいのにな、と思ったりする。

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