(function() {function signalGooglefcPresent() {if (!window.frames['googlefcPresent']) {if (document.body) {const iframe = document.createElement('iframe'); iframe.style = 'width: 0; height: 0; border: none; z-index: -1000; left: -1000px; top: -1000px;'; iframe.style.display = 'none'; iframe.name = 'googlefcPresent'; document.body.appendChild(iframe);} else {setTimeout(signalGooglefcPresent, 0);}}}signalGooglefcPresent();})();

命の尊さと責任と

 生きるもの、いつかは死んでいく。
 こんな事はわかりきった話である。
 だが、生きている時にはそんな事を考えないのもまた事実だ。
 そして、何かのきっかけで命散ったとき、人は命の尊さを知り、そしてそこにまつわる責任を感じる。
 その責任が自責によるものであればあるほどに。
 今日、我が家で飼っていた子犬(仔犬ではない)が亡くなった。
 享年16才と11ヶ月。来月で丸17年生きるハズだった。
 人間にして100才を超える大往生である。
 だが、この100才を超える老犬の死因は、決して老衰ではない。
 私が…殺したのである。


 我が家で飼っていた子犬はシーズー犬のオスである。
 16年前の5月、我が家にやってきた。
 その時、まだ生まれて3ヶ月で、とびきり元気な暴れん坊であった。
 それでもあまり吠え立てない犬で、その後大人になっても吠えるという行動をあまりしなかった。ある意味、犬らしくない犬である。
 そう、例えるなら猫のような犬である。
 体が柔らかく、人にすぐ擦り寄ってくる行動は、まさに猫に近いと言えた。
 頭はあまり良くなかったが、それでも躾がちゃんと出来ていたため、室内で飼っていてもトイレの問題はオークルクリア。人懐っこく、来客があっても吠えずにしっぽを振って出迎える。
 番犬には決してなれなかった犬である。
 この犬が我が家に来て5年後、私は家を出て東京に進出。
 成犬してもっとも楽しい時期を私は一人離れて暮らしていた。
 そして6年前、まさに魔の期間とも呼べる7年間の積み重ねで、我が家は財政的に破綻し、父がうつ病という状態の中、私が実家に戻ることになった。
 その時の我が家の犬は年齢的に12才。ある意味、この時点で老犬の仲間入りといったところである。
 だが、その時はまだ老衰という言葉が信じられないような状態。
 まだまだ元気なオスの12才。老人力ならぬ、老犬力バツグンの犬であった。
 そこからの生活は最低を極めたと言っては言い過ぎかもしれないが、経済先進国の日本にあって実に低レベルな生活を余儀なくされた。
 それ以前より、我が家の犬へロクにケアする事もできない状態がつづいていたが、幸いにして我が家の犬は体が強かったせいか、病院に世話になる事が少なかった。ただ、爪は伸び放題になり、時々自分たちで切ってあげていたぐらいだが、うまく切れずじまいだった。
 そんな事を続けて4年、最近口周りのニオイなどが気になるなと感じていた。
 いや、実のところ、口臭は昔からあったのだ。歯磨きさせていなかった事や、そもそもしない家もあるかと思うが、そういう犬は10年も生きれば歯が抜けたりするだけでなく、残った歯も半分腐っているような状態だ。
 犬というのは、そもそも噛まなくても生きていけるぐらいの消化能力があるそうで、室内犬のみならず、人が飼っている犬であれば、歯がなくても生きていける。
 だから、口臭はそれが原因だと思っていた。
 だが、ここに大きな落とし穴があった。
 知らなかったとはいえ、この落とし穴に気付かなかった時点で、私の責任は非常に大きく重いものであると言える。
 4年ほど前、犬の口内が炎症を起こしていることに気づいた。
 たまたまフィラリアの薬を貰いに動物病院に行った際、その炎症の事を獣医に話をしたのだが、年齢も年齢なのでこの時点から治療するよりは様子見にした方がいいといわれた。
 たしかにその炎症はそう重大なものではないと見て取れた。
 実際、その後の3年と半年は問題がなかったのだ。
 だが、半年前から、その炎症が口内にとどまらず、頬のあたりにまで進んできた事に気づいたのである。
 この「気づいた時点」で手を打てば、あるいは我が家の犬は天寿を全うできたかもしれない。
 手を打たなかったのである。金銭的余裕がなくて…。
 当時の我が家は一家無理心中しかねない雰囲気の真っ只中だった。
 余裕がないというレベルの話ではない。だから…手の打ちようがなかったのである。
 この頬まで進行した炎症の原因は歯にあった。
 歯肉炎と言えばいいかもしれない。歯が残っているばかりに、歯肉炎が悪化、そこからバイキンが入り込み、炎症はより進行したわけである。
 15才を超えたあたりで、まだ歯が残っているという事も驚異的な話ではあるのだが、残っていたならば、抜歯すべきだってのである。
 抜歯して炎症している部分の進行を食い止める。ただこれだけで治療できた事である。
 しかし、私はその決断をしなかった。
 いや、金銭的に苦しいというだけで、その決断を蹴ったのである。
 そしてここ1週間、炎症の病状は悪化、口の周りが痛むのか、毎晩なくようになったのである。
 昼間はなきつかれて寝てしまい、夜起きだしてなきだす。
 この繰り返しが続いた。
 そして3日ほど前、とうとう昼もうろうろと動き始め、時になき、を繰り返し、夜も寝られない状況となっていった。
 そうなると、自分がした事とはいえ、見ていられないというのが飼い主である。
 無責任な飼い主だが、何もしてやらなかったクセに、見ていられないのである。
 そして2日前、私は借金する覚悟で(というか、もうそんな事を言っていられないと今更ながら決断して)、病院に駆け込んだ。
 状態を見た獣医は“その時点で”もう気がついていたのかもしれない。
 手遅れである、と。
 その時の治療は抗生剤の点滴をして終わり。抜歯する事で炎症の進行は止められるとの話もしてくれたが、年齢が年齢であるため、全身麻酔に耐えられないだろうという事で、抗生剤の処置のみで一度我が家に戻ってきた。
 だが、抗生剤を点滴したとしても、痛みがなくなるわけではない。その夜もいつもと同じ感じであった。
 いや、いつもと同じならまだマシである。口内が炎症で痛みもあるわけだから、もう食べられないのである。
 結局、体は衰弱する一方で、痛みに耐えるのにもそろそろ限界がきた感じもあった。
 私は今更ながらに決断した。
 抜歯しかない、と。
 麻酔に耐えられないかもしれない。だが、この苦しんでいる姿を見ている事は到底できない。
 当人(犬)だって、もう楽にしてほしいと思っている…かもしれない。
 そして私はその昨日の夜、動物病院に電話して、抜歯してもらうようお願いした。
 今更だが、出来ることはしてあげないといけない。17年という犬の一生を預かった者として、無責任に終わらせたくない。…ある意味、私の自己満足である。最後まで私のわがままに振り回してしまったのである。
 本日、私は会社を休むワケには行かず、親に病院に連れていってもらう事にした。
 出勤前、我が家の犬はすでに憔悴しきっていた。
 手(前足)を握ると、すでにそれは冷たく、生きているのか? と疑いたくなるほどであった。
 だが、呼吸はしていた。耳が遠いため、声に反応はしなかったが、触ると反応があった。
 これが最後の姿になるかもしれない。多少、そんな思いがあった。
 だから覚悟していたつもりであった。
 後ろ髪ひかれる思いで出社して、11時ちょっと前にケータイに電話がきた。
 私はミーティング中だったため、出ることなく切った。
 だが、心の中で最悪のシナリオを読んでいた。そう、原稿は朝の時点で書き上げていたのだ。
 結局、お昼すぎまでミーティングがあり、それが終わってから家に電話した。
 母親が出て…期待したくない言葉を私に告げた。
 仕事に手をつけられなかった。
 泣かないつもりでいた。でもそんな事できるはずがなかった。
 とても平常心ではいられない。
 自分が、決断を鈍らせた結果が招いた事だけに、耐えようのない責任の重さで潰れてしまいそうだった。
 結局、仕事にならないため、半日で早退した。
 家に帰り、その動かなくなった体を見たとき、私は言葉を詰まらせた。
 自分の責任で死ぬことになってしまった我が家の犬。
 たしかに17年生きれば長生きだったかもしれない。
 しかし、寿命で死んだわけではないし、この一週間は辛く苦しい時間を過ごし、多分私に助けを求めていたハズである。
 言葉が言えないばかりに、その辛さを伝える事ができず、苦しんでいたのである。
 それを考えると、その前に手を打たなかった私がこの犬を殺したのだと、私は思わざるをえないし、そうとしか考えられなかった。
 私が一番自分を許せないのは、最後の最後でこんなに苦しい思いをさせてしまったという事に尽きるのである。
 終わりよければすべてよし。
 結果論でしかないが、この言葉はある意味真実を伝えている。
 その後、となりの市のあるお寺で、犬や猫の葬儀を取り仕切ってくれるという話を聞き出し、そのお寺に葬儀をお願いした。
 火葬である。ただし、合同葬でやらないとコストが見合わないという事で、合同葬となった。
 若干、合同葬という所に自分の中で犬に対して冷たい終わらせ方だとまた責任を感じたのだが、許されない経済状況からその道を選んでしまった。
 こんな私を、あの犬は許してくれるだろうか…
 16年と11ヶ月。
 この犬から学ぶことは多かったと私は思っている。
 この犬がこれだけ長生きだったのは、常に満腹になるまで食べる事がないという事であり、決まった生活は守り通したという事である。
 そしてわが道を往く。
 マイペースといわれようがわが道は貫き通した犬であった。
 そして、お金は大切だという事。
 お金がなくて医者につれていけないという状況が最悪の状態を産んだ。この意味は大きい。
 私がアルバイトに出る事に二の足を踏んでいたという事が引き起こした問題とも言える。
 世間が苦しい状況だという事はわかるが、働くことができるなら、何でもやれという事である。
 せめて、この意味を理解した事であの犬が私を許してくれるなら、どんなに私は救われることだろう。
 この記事を読んだ人へ。
 ほとんどの人が反省をする時というのは、すでに手遅れとなってからの事である。
 優れた人ほど、手遅れになる前に状況を理解し、反省するのである。
 大切なものを失ってからでは遅すぎる。
 常に自分を振り返れ。
 おそらくそういう事なのだろうと思う。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Share
アバター画像

武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントは承認待ちです。表示されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。

Desktop Version | Switch To Mobile Version