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今年最後の日曜日

何だかんだと今年最後の日曜日がやってきた。そろそろ今年の総まとめでもやろうかと。

自粛と言う名の日常活動

今年2020年というのは、全世界的に実に不幸な年だったとしか言いようがない。
3月頃から世界的に新型コロナウィルスが本格化し、その活動が自粛へと向かう流れとなっていった。
今でこそ、これがとんでもないダメージを引き起こすパンデミックだと言えたが、正直、3月頃の私はまだここまでの話になるという認識が全くなかった。
だが、4月に入るとついに緊急非常事態宣言が出され、生活活動そのものに影響が出るようになった。
観光業はこの時点でアウト、飲食業にも影響が出始めたが、実の所、私の生活そのものは、日常にマスクをするという事以外、何も変わらなかった。
日頃の私は、そもそもあまり外出しないし、ほとんど家にいるだけ。活動範囲がほぼ自宅であり、つまり世間でいうところの引き籠もりだったわけである。なので私自身は通常の生活を強いられるだけの事で、私自身に変化など起きようがなかったのである。
その後5月、6月と月日は過ぎ、当時の日本は世界的に見ても影響があまりない国と言われていたが、それでも私の勤務先含めて新型コロナの感染に対して自粛活動せよという命が出ていた事もあって、あまり大がかりな活動というものをしなかった。
私はといえば、当時はノートPCの買い替えを思案している真っ最中で、その候補としていたMacBook ProをApple Siliconに変わる前に購入すべきか、それとも待つかという事をひたすら議論し、シミュレートしていた。ある意味、実に生産性のない活動を繰り返していたことか…。
その後、7月に入って結局私はIntelコアを搭載したMacBook Proの購入を決め、7月末から8月にかけてはMacBook Proを実用的にすべくいろいろな試行錯誤を繰り返していた。
その後、9月、10月、11月と月日は過ぎ、自粛ムードは変わらず続くわけだが、その間も私は別に日常生活と変わる事など一切していない。前述したとおり、マスクが日常に入り込んだのみである。
12月に入り、日本でもコロナの感染者が増加を始め、世間ではより強い自粛が要求されるようになった。だが、その強い自粛という活動にしても、私の日常生活と変わらない活動でしかないので、私の生活に変化は全くない。唯一変わったのは、より扱いやすい製品にするため、加湿器を新しいものと交換したぐらいである。

令和という時代

こんな事を書くと、不謹慎とか思われるかも知れないが、私自身は令和という時代に入った途端、実に良くない事ばかりが起きる時代になったように思えてならない。
令和元年もちろん、それは時代が悪いわけではなく、本当に何かの歯車が狂い始めた事が原因なのかもしれないが、世界中で今までなかった事が起き始めたように思えてくる。
あまりこの事に深く突っ込んでいくと、世界情勢だの国政だの国際問題だのと、話が大きくなり、政治的な話が全面に出てきてしまうのだが、とにかく生活していて今までと異なる情勢の中で生きていく事を強いられている感じがより強くなったように思う。
これを変化だというのなら、確かに令和は変化の時代なのかもしれない。少なくとも、もうすぐ終わる令和2年までは、実に目まぐるしい変化の中にあったと言わざるを得ない。
その変化の時代の真っ只中で、私は一体どれだけ変わったのだろうか?
前述した通り、コロナ禍の中、私の生活スタイルは実に何も変わっていない。ある意味、時代が私の生活スタイルに歩み寄ってきた、という表現ができてしまうワケだが、シンプルに、非活動的に粛々と生きる生活スタイルに、この令和2年はマッチしたという事になる。
変化の時代なのに、私には変化がなく、しかもその変化のない私の生活様式が求められる時代になってしまった。
この結果でもって、令和3年を私はどう生きる事になるのか?
全く以て予想できない事態である。

目指すべき事

令和3年に目指す事は、自分の変化である。
変化の時代である令和で、今強制的に世間が変わり始めた。
しかし、私自身に何も変化がない状況なので、令和3年は私にとって何かを変えていく年にしなければならないのではないかと考えている。
そこで、私は令和3年にいくつかの資格取得に動こうと思っている。
以前にも資格の為に勉強しようと動いた事はあるが、結局その時には時間が作れず途中で挫折してしまった。そう、受験に至る前に撤退したのである。
なので、令和3年は別のものに再挑戦しようと考えている。
このまま進んでも、私自身の生活はおそらく変わらない。
変化の時代にあって、変わらない日々を過ごすという事では、令和2年と同じ生き方になる。
なのでここで強制的に自分に変化を与えたいと思っている。
それが良い結果をもたらすのか、それともダメな結果で終わってしまうのかはまた別の話になるが、まずは内なる部分から変化を求めていきたいと思う。
上手くいくかはわからない。
ただ、変化を求めるために自らに変化を与える事に決めた。
ただそれだけの事である。

正直、学生時代から自宅で勉強など一切してこなかった私なので、資格取得の勉強というものをどのようにして行けばいいのかもよく分かっていない。
さて、そんな状況下で私はどうすべきか?
あと数日ある年内にその答えを見出していきたい。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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