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シン・エヴァンゲリオン劇場版

Amazon Prime Videoで配信されてたので観てみた。

良くも悪くもEva

シン・エヴァンゲリオン劇場版を観た。
劇場に観に行く事も考えたが、コロナ禍という事もあって結局は劇場に行くことはなかった。ただ、全世界に向けてAmazon Prime Videoにて配信する事となったので、それで観てみた。
結論はわかってた感じがするシン・エヴァンゲリオン劇場版に思う事はただ一つ。
ようやく、一つの結論に至ったのか、という事。
これは長い間Evaという作品と共に歩んできた者ならば、ほとんどの人が同じ事を考えるのではないかと思う。
TV版から劇場版へと新たに作り直されたEvaは、表現技法こそ新しくなり、ヴィジュアルとしては大進化を遂げたが、その訴える内容は私としては変わっていないという印象でしかない。
なので、TV版で酷評されたあの25話、26話をどのような形で決着を付けるのか?
おそらく劇場版へと作り直される事が決まった時、ほとんどの人はそこに注目したのではないかと思う。
そしてその劇場版は第3作目の「Q」で大きく内容が変化する。その変化が、新たな展開と面白さを予見させるが、結局物語は登場人物の内面への訴求という部分において変化はなかったように思う。
そしてラストとなるシン・エヴァンゲリオンにおいても、その部分に違いはない。少なくとも観る前でもそう思った。
Evaは、良くも悪くもEvaであり、その深い部分は何も変わらないのではないかと思う。

答えのない世界の終着点

Evaは、その物語の中核にユダヤ教やキリスト教のエッセンスを取り込み、世界の終末と新しく作られる新世界の構築とを一つのモチーフとして人間の内面の変化とシンクロさせた物語ではないかと私は思っている。
一人の少年の、生きづらい世界の中で他人から傷つけられる事から逃げ、自らが傷つけるかもしれない事から逃げ、自分の存在を認めてくれる人を求め、自らが必要とされる世界を求めるその生き方を表現する上で、世界の終末と新世界の構築を人の想いと重ねるという作品がEvaではないかと思う。
そう考えると、この作品には答えがなく、もしあるとしたら、それは監督である庵野秀明氏の中にしかないものである。
この解釈は、TV版のEvaが話題になった時から言われていた事であり、そして今年になってNHKで放送された「さようならエヴァンゲリオン」でも言われている。
結局は、庵野秀明という人の生きる道を模索する作品がEvaであり、生きていく上で何を受け入れ、何と戦っていくのかを表現したのがEvaである。
私は2013年に「Q」を観た時、当Blogで似たような事を書いている
一つ、当時と異なる見解があるとしたら、庵野秀明という人を取り巻く周辺環境が変わった事で、結論に行き着くまでの過程に変化が起きたという事。それでも、最終的に行き着く結論は、取り巻く環境から登場するであろうキャスティングに変化はありつつも、結局は同じ終着点へと向かっているという事である。

100億超えの興行収入

Evaという作品は、TV版の時にも社会現象を引き起こした作品であり、そこに集まるお金の額は他アニメとは全く異なるものだった。ラスト数話分を作り直して劇場版にしてみたり…なんて事は、今までのアニメでは考えにくい事ではあるが、それが出来たのも、偏にTV版の人気ゆえの話である。
結果的に、それがリビルドとなる劇場版を制作するキッカケにもなるわけだが、今回の劇場版でも最後はゴリ押しな面もみえつつも数値的には100億を超える興行収入となり、大ヒットと言える結果となった。
ただ、残念なのはその前に鬼滅の刃でとんでもない興行収入が記録されてしまった事で、100億という数字もそんなに大きな数字に見えなくなってしまったという事。
今の時代は、SNSで話題になれば人気が一気に集中する流れとなるため、一つ爆発が始まると連鎖する事があり、鬼滅の刃のような作品がポンと生まれてきたりする。それはそれで結果として業界が潤うキッカケにはなるが、少なくともシン・エヴァンゲリオン劇場版はSNSで話題にならなくても認知度で言えばずっと上を行くので、100億という数字の意味は、まさしくその認知度が生み出したものではないかと思う。
そして100億という数字を生み出した事で、この長きにわたる庵野秀明という人物の一つの到達点がようやく終点を迎えたのではないかと思う。
制作スタッフの方々は、本当にお疲れ様、としか言いようがない。答えの見えない作品を長期に渡って作り続ける事の難しさは、Productという枠からは完全に外れたものではないかと思う。人ごとながら、ずっと観てきた者として、感謝しかない。本当にお疲れ様である。

最後に。
私はTV版の20話以降を再制作した時点で、Evaという作品は一つの答えを得ていると思っている。
それをあえて劇場版という形でリビルドするというのは、個人的には正気の沙汰ではなかったかな、とも思うのだが、多くの納得しなかった人たちへ答えを示す為に戦い続けたという事なのだろう。
表現者とは、実に困難な道を歩む者達である。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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