(function() {function signalGooglefcPresent() {if (!window.frames['googlefcPresent']) {if (document.body) {const iframe = document.createElement('iframe'); iframe.style = 'width: 0; height: 0; border: none; z-index: -1000; left: -1000px; top: -1000px;'; iframe.style.display = 'none'; iframe.name = 'googlefcPresent'; document.body.appendChild(iframe);} else {setTimeout(signalGooglefcPresent, 0);}}}signalGooglefcPresent();})();

ふと考える恐怖

ホラーとかそういうのではないが、現実的に恐怖を感じる。

今私が倒れたら…

この三連休の間、いろいろ身の回りを再整理する時間が採れた。
母親が自宅に戻ってきて、介護生活が始まったはいいが、そこでいろんな問題が浮上し、必要なものが足りなかったり、必要だったものが間違っていたり、もっと便利なものでないとダメだったり、とそれこそ想定していた事との食い違いを是正しないといけない事が多数あった。
なので、この三連休はそうした食い違いの是正だったり、母親が戻ってきても大丈夫なように準備をしたり、という時間に費やした。
その結果として、一昨日の車の買い換えの話があったり、母親の急激な変化を思い出したりしたワケだが、ここにきてふと自分が考えていなかったそもそもの前提を気にすべきだという事に気がついた。
それは、私という存在が倒れるような事があった時の事である。
私一人なら、私が倒れても家の中の事はそう気にすることはない。単に時間が止まるだけの事である。
だが、介護が必要な母親がそこにいる、という事になると、話は別で、今の母親の介護生活は私という存在が確実に機能していて成立しているところがある。
しかも、そこにはバックアップがない。つまり、私が倒れるような事があると、母親の生活が成立しなくなるのである。
残念だが、私は五体満足ではあるものの、健康体かと言われたなら、声を大にしてそうだといえるほど、健康体ではない。
いや、むしろ不健康体だと言えるだろう。倒れる事はないかもしれないが、蜂窩織炎(実際にはその手前の状態だが)も発症するかもしれないし、肝臓や腎臓系の病気になる可能性も否定はできない。
そんな状態にありながら、母親の介護生活を円滑に行っていかなければならないと考えた時、私の中には恐怖以外ナニモノも出てこなかった。
介護の覚悟
今の介護保険で賄えている支援は、支援いただける限度額を使い切っている。これ以上は実費になる。その時、もし私が入院という事になったなら、どうすれば良いのだろうか?

解決策は見えない

実際問題、私が倒れたとしたら、ケアマネージャーと相談してどんな対応策があるかを話し合う必要がある。
当然だが、知らない事には対応はできないので、まだまだ調べる必要はあるが、私のように被介護者が一人しかおらず、介護生活を送っていて被介護者が介護できなくなるなんてケースは他にもあるはずである。
預貯金があれば切り抜ける事は簡単だが、そうでない家庭は前にも後ろにも進めなくなる。だからそうした家庭の為に何か方法があるハズではないか? と思っている。
まぁ…実際の所はどうなのかはわからないが。
とりあえず、まずは自分の健康管理は今まで以上に考えないとダメだな、という事は間違いない。そこに留意しつつ、何かしらの支援がないか、探っていこうと思う。

できる事をするしかない

こうして自分がもし倒れたら…と考えはじめると、その事が現実になった時の事を想像して相当な恐怖になる。
自分が…というより、残された介護を必要とする家族が…と考えると、自分の事ではないが故にその恐怖もさらに高まる。
なるようにしかならない、と考える事を放棄する事もできるが、性格上、そうした考えが基本的に出来ない私は、、何かあったときの最悪のケースを想像してしまう。これはもう性分だからどうする事もできないのだが、だからといって考えて答えが出るものでもない。
まずは自分ができる事、つまり自分の健康管理からやっていくしかない。

費用はバカにならない

こうして考えると、介護にかかる費用というのは実にバカにならないものが多い。
しかもそこには必ずと言っていいほど医療費が絡んでくる。
医療費は、高額療養費制度や高齢者受給の制度があったりして制度的に費用が減額される制度があり、介護保険はその介護区分に沿って負担額が決まっているが、これらが重なったときに思わぬ費用になる事も十分考えられる。
そうした時、今は高額医療・高額介護合算療養費制度というものがあるのだそう。これは世帯内の同一の医療保険の加入者について、毎年8月から1年間にかかった医療保険と介護保険の自己負担を合計し、基準額を超えた場合に、その超えた金額を支給する制度だそうで、年単位で負担を軽減できる制度だという。
まず市町村に高額介護合算療養日制度を申請し、それが受理されると市町村から介護自己負担額証明書が送られてきて、この介護自己負担額証明書を添えて医療保険者、この場合保険証が出ている事業者に申請書を提出するという事になるようだ。
私もまだハッキリと調べたわけではないが、介護と医療の双方で相当額を出費する事は間違いが無く、それが負担になる事は避けられない。
なので、少しでも負担額が下がれば…という状況であれば、各所に説明を聞いて利用するのも手ではないかと思う。

正直、制度がいろいろありすぎて、しかもそれらの制度が複雑にからみ合っているものもあったりすると、理解する事そのものが難しい事になるのだが、使った医療費や介護費用にかかる領収書や請求書などは、ちゃんと保管しておき、いざという時に利用できるようにしておきたいものである。
にしても…私の健康留意も必要だが、こうした医療費や介護費の事も考えて立ち回るのは、結構しんどいものである。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Share
アバター画像

武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


コメントは承認待ちです。表示されるまでしばらく時間がかかるかもしれません。

Desktop Version | Switch To Mobile Version