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Category: その他

あれから4年

東日本大震災。あれから4年が経過した。

日本は過去から学んだのか?

4年前。
私は今まで経験した事のない揺れを体験した。
しかし、私はまだ揺れを体験しただけと言えるだけ幸せだったと言えるだろう。
実際に被災に遭った東北の人々からすれば、まさしく人生をひっくり返す事象に出会ったのだ。
そしてその事象は未だに尾を引き、未解決のままの事さえある。これが現実であり、この現実が残る限り、解決したとは言えないと私は思う。

私が思うのは、この東日本大震災の恐ろしい所は実は地震ではなく、その後にきた津波であり、そしてその津波から発生した原子炉のメルトダウン問題である。
今更、私が言うほどの事ではないのだが、改めて考えた時、日本はこの天災から何を学んだのだろうか?
原子力発電所をなくす…という方向に進むのかと思えばそうでなく、津波が来るから津波の来ない所へと移動するという事でもない。
まぁ、津波の件に関しては、想定できる対策をもった上で新たな街作りが行われているのかもしれない。原子力発電所でも想定できる対策を施した上での再稼働を薦めているのかも知れない。
しかし、元々東日本大震災自体が、その想定を超えていた事象だった事を覚えているのだろうか?
街作りに関しては、ある程度被害想定をしての再構築が進んでいる、という事を何かの特番放送で見た。仮に被害のない地域へと移住して下さい、と土地の人に言ったところで納得できるものでもないだろうから、そうした方向性に進んで行くしかないという事情もあるだろう。
だが私にとって、原子力発電に拘る日本は過去から何を学んだのだろうか? とどうしても思ってしまうのである。

無知故に…

私は普段、こういう話題にはなるべく触れないようにしている。
私自身の無知故の発言で、的を射ていない話をする可能性があるからだが、今回はあえてその話をしてみようと思う。単純に私が思っている事を吐き出すだけの事ではあるが。

原子力発電の仕組みは核反応時に発生する熱で水蒸気を発生させ、その水蒸気でタービンを回して発電する、という仕組みである。
ものすごく単純に言えば、お湯を沸して上昇する水蒸気で羽を回してタービンを回すという、実に単純極まりない発電方法である。ただ、その水蒸気を発生させる熱の発生源として核反応を利用しているという事と、その発生する熱量がハンパなくデカいという事で発電量が大きいという事にすぎない。
まぁ「すぎない」という言葉が正しくないのはわかっている。日本の電気消費量を考えれば発電量が多い事に越した事はないワケであり、それで国も原子力発電に注力してきた経緯がある。

だが、原子力発電は、今回の東日本大震災を経験する前にも問題になっている件がある。それが使用済み核燃料の処分である。
その問題が完全解決する前に東日本大震災に遭い、そして今度はメルトダウンを経験する事で放射能問題を抱えることになる。
現地でこの対策に立ち向かっていった(いる)作業員の方々の勇気と努力には頭が下がる思いだが、こうした問題が解決できない状況下でありながら、未だ原子力発電を再開するという動きがある事に私は疑問を感じるのである。
前述の使用済み核燃料の処分も含めて、放射能汚染物質の処分がとても大きな問題としてのし掛かっているにも拘わらず、未だ原子力発電に頼らざるを得ないとする動きがあるのは、日本は過去から学んでいないように思えてならない。
もちろん、私だって電気がなければ生活に困る事は間違いない。だから自信を持って「原子力発電なんかやめてしまえ」と言い切れない部分もあるが、もっと安全な発電方法に国の施策を切り替えるという方向は考えられなかったのだろうか?

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PORTER CURRENT WALLET

吉田カバンから財布を買った。長年使っていた長財布からの切替である。

PORTER CURRENT WALLET

昨年…だったと思うが、家族用に吉田カバンから二つ折りの財布を買った。
それも確か商品名は“PORTER CURRENT WALLET”だったと思うが、同じ商品名でも違う型番があり、今回は財布表面の革にヘアライン加工している財布を購入した。

今まで使っていた長財布は、自分の中でもかなり長期に渡って使い続けた財布で、社会人になってすぐくらいの頃から使っていた財布である。
この財布、実は前々職の時に会社行事でお台場に行った際、駐車場で落とした事があり、落とした財布が何も欠損する事なく戻ってきた、という想い出もある。ある意味、縁起物みたいなものでもあったのだが、流石にいろいろな所が痛み出してきたため、切り替える事にした。
ま、切り替えた事で心機一転という事も狙いの一つである。

今回購入した財布は、吉田カバンの中でも商品番号が“052-02204”というもので、二つ折り、表面ヘアライン加工という特徴がある。
商品ページに使われている画像を見れば機能的な所は一通りわかる。機能的には十二分だが…二つ折りであるため、横からお札を入れ、側面には小銭入れとカードポケットが付く。
小銭入れは上側に開くタイプで口が大きく開くのが特徴。またカード入れも裏側に追加でカードを入れたりできるため、結構な収納力がある。
まぁ、このように商品ページでは多機能に言われるコノ手の財布だが、実際使うとどうなるのか?
今回はそういう視点で実際に手にした私の感触を書き留めてみたい。

収納力が多いように見えるが…

この先、私のコメントは比較的マイナス的イメージで書くことになるが、決してこの商品がダメなものだとは思っていない、という事だけ先に言っておきたい。
他の商品を選んでも同じ問題は出るだろうし、この商品はそれら問題を持つものの中でもかなり頑張って作られているものだと思っている。この点、勘違いしてしまうと、この商品がまるでダメなもののように思われるため、そうではない事だけ覚えておいて戴きたい。

まず、このPORTER CURRENT WALLETだが、二つ折り財布として実にスタンダードかつ手堅い作りである。
新品の割に革も堅すぎることもなく、お札も小銭もカードもすんなり入る。
だが、実際現状使っている環境をこの財布に移動しようとすると、カードポケットが少ない事に気がつく。ポケットで4枚、その裏側を使ったとしてもあと3~4枚程度入るぐらいである。
昨今、ポイントカードと呼ばれるものが多種多様に存在するが、そういうものを入れるとなるとそれでもポケットの数は少ないように思える。
まぁ、このポケットを増やすと別の問題がでるのだが、それは後述する。カードポケットは多い方が良いが多いと別の問題も…また、このカードポケット、カードサイズに合わせて作られているのだが、ここにも多少問題がある。
余裕があまりあるとは言えないポケットサイズで、カッチリ収まる良さはあるものの、カードの出し入れが困難になってしまっている。
いざレジ前でカードを取りだそうとしたり、ATM前で取りだそうとしたら、カードの取り出しに多少時間がかかるのは間違いない。
これは使い続ける事で革が柔らかくなったとしても、おそらく取り出しはあまり変わらないと思う。それぐらい基本的な問題である。

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趣味の再統合が必要か?

最近忙しくて何かしている感じがしない。

趣味が多すぎて追いついていない

私は昔から多趣味である。
これは自分でもよく分かっていて、過去に何度か趣味を整理した事がある。
この整理についてBlogで語った事は未だ一度足りとなかったと思うが、過去、苦渋の判断で切り捨てた趣味というものもある。
多趣味は悪い事ではない、という人もいるが、多趣味は同時に金遣いが荒くなる傾向にある。
上手く節約しながら多趣味を維持する人もいるが、私にはなかなかできない事である。
そういった予算的な問題や時間的な問題で、過去にも趣味を整理した経緯があるが、最近またそうした趣味の整理が必要になってきているように思える事がある。
しかも、今の趣味はどれも金がかかるのが問題。
車、バイク、PC、コンシューマゲーム機、カメラ…物理的にメカ物を扱う趣味だけでもざっと上げてこれだけあり、これら全て単体で事が済むものではない。付随して必要なものが上乗せされていく為、芋づる式に金がかかる。
再現なく金がかかるのは、間違いなくコンシューマゲーム機。何しろ単体では使えず、ソフトも徐々に増大し、挙句の果てに時間と共にハードも変わっていく、という、もっとも燃費の悪い趣味だが、これをヤメロと言われたら私は自分のアイデンティティを失うくらいのダメージを受けるため、今までの趣味の整理でも真っ先に対象外としている。
次に金がかかるものは…多分、車。車は日常的に使うものなので、車自体を手放すという事はできないが、カスタム等に金がかかる。しかも車のパーツは往々にして高額な物が多い。これは是正対象にできるだろう。
次は…多分バイク。購入する物品が(今まで)意外と多かった、という事もある。今後は…見直してもいいかもしれない。
そしてカメラ。この趣味は以前から趣味として持っていたが、本格化したのがここ2年くらいの話。カメラ関係の最大の弱点は、買う物それぞれが結構高額だと言う事。安いレンズやパーツもあるにはあるが、ダイレクトの画質に反映するため、妥協しにくいのが問題。
残るPCだが…実はコイツは思った以上にかかっていない。入れ替え時にかなり高額な出費にはなるが、使用年数等で割っていくと結果としては思ったほどの金額にならない。全体的な価格が下がっている事もあるし、これは対象外としても良いかも知れない。

縮小傾向にするもの

と、ここまで考えると、やはり車とバイクに関しては今後購入品を押さえていく方向で考えていくのが良いかも知れない。
バイクなどはある程度揃えてしまっているものもあるため、今後はこれらをどう使っていくか? という所に焦点を合わせるのが良いのかもしれない。
車に至っては、検討していたカスタムパーツを全てキャンセルする方向で考える事にする。
これでかかる予算はぐっと減る。
そして…コンシューマゲーム機のソフトは、もうほぼ絞り込む事にしようと考えている。ただ、心苦しいのは、今年に入ってPS4で面白いソフトが目白押しな所。もうね…どうして今になってこうなるのよ…的な魔性のラインナップである。その衝動をどうやって抑え込むかは、また考えないといけないかもしれない。
カメラに関しては…レンズの購入を完全に絞り込む事に決めた。1本の価格は高くなるかもしれないが、良質レンズに絞り込んで、そのレンズでの撮影に注力する事にする。ただ、2ndカメラの必要性があったり、持ち運ぶ為の手段としてのバッグなど、都度どうするか悩まなければならないのは、従来通りだろう。
…ここまで考えても、あまり大きな変化は生まれそうにないような気がしてきた orz

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時を刻むモノ

先日の腕時計の話のつづき。

正確さを採るか、それとも…

私が腕時計が欲しいと思っている理由等については以前書いたので割愛。
ではどんな腕時計が欲しいのか?
先日もちょっと書いたが、私の拘り故になかなか適合した製品が見つからない。
まず一つは文字盤にはローマ数字、しかも1~12まで全ての数字が入っているもの。
一つは3針のシンプルなもの。機能的には単機能でいい。
見た目で言えばこの程度のものである。色は黒文字盤でも白文字盤でも構わない。
とにかく派手でなく、シンプルで単機能。それだけである。
だが、時計というものの基本は見た目ではない。

時計はメカニズムこそ全てであり、古来より時計職人はこのメカニズムに相当の拘りと独自の技術を盛り込んでいる。
だが、総じて時間の狂いが少ないものはクォーツ時計が多い。これは電池駆動のもので微弱電気を水晶に発振してそこから得られる周波数で秒を計り針を動かす仕組み。発振による周波数コントロールであるため、狂いが出にくいが電池がなくなると止まるというのが最大の弱点。まぁ、2~3年は電池が保つ為、電池が切れれば交換すればよいだけの事だが、特殊な大きさの電池を使用している場合は、電池が市場から消えていた…なんて事もあり得るだけに、油断ならない。

対して昔からあるのが手巻きである。
これはゼンマイ駆動のもので、ゼンマイが巻き戻る力で針を動かす。昔は単純に手で巻いてゼンマイが伸びきったらまた手で巻いて…というものだったが、最近は価格がそこまで高くなくても自動巻と呼ばれる仕組みを備えているものが多い。
自動巻とはその名の通り、自動でゼンマイを巻く仕組み。
腕の動きに乗じてゼンマイを巻く仕組みで、毎日腕時計を使っていればほぼ途切れる事なく駆動を続ける仕組みである。
この自動巻、唯一の弱点はクォーツ時計のように電池切れがない替わりに時間の狂いが大きい事。ほぼ日単位で数秒狂うと言われている。まぁ…高級な自動巻時計だとそこまで狂わないらしいが、私が買えるぐらいの価格の場合は狂う事は間違いない。

ムーブメント

こうした駆動方式をムーブメントというが、このムーブメントを選ぶのは中々にして難しい。
どちらにもメリット・デメリットが確実に存在していて、前述した通りの弱点がそのままデメリットになり、メリットになる。
ではどっちが好みか? という話になると…私はやはり自動巻である。
私がいくら正確な時間を把握したいからといって、それは何も秒単位で正確な時刻が知りたいというわけではない。せいぜい分単位の話である。
そして何より電池切れがないのがいい。2~3年に1回とは言え、確実にメンテナンスが必要と分かっているものより、基本的には手入れだけで済むというのは魅力的である。

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時を見るために

私は学生の頃から腕時計をするという習慣がなかった。

縛られるのを嫌っていた

腕時計。
それは時間を確認する上でもっとも安易で最速なデバイスではないかと思う。
最近ではGoogle glassのようなウェアラブルコンピュータで時間だけでなくコンピューティング行為すべてを即座に行えるような近未来的な話もあるが、コスト対効果なんかを考えると、腕時計を超えるものはないと思う。
しかし、私はあの腕が縛られているかのような感覚が嫌いで、中学生の頃から腕時計をしていない。中学くらいになると、行動に時間管理が必要になるため、時計というものを身につけるようになるとは思うが、それでも腕時計を嫌って、私は時代を逆行するが如く、懐中時計を使っていた。
その懐中時計にしても私の拘りがあり、とにかく文字盤はシンプルで3針のもの、かつ本体はメッキ処理されていないもの、という条件のものを使用していた。メッキモノって基本的に嫌いなんですよ…。
そんな実にめんどくさい私の要望を叶えた懐中時計を使い続けていたのだが、社会人になった段階でケータイを持つようになると、懐中時計も持たなくなった。
何しろケータイにはデジタルではあるものの、時計機能が当たり前のように付いていて、しかもケータイは身につけてナンボというシロモノだから、時計を別に持つ必要がなくなったのである。
そしてスマートフォンになった今でも、時計はスマホで代用という状態が続いているわけだが、おそらくほとんどの人が私と同じような状態で、時計単体を別に身につけているという人は少ないのではないかと思う。
特に腕を縛られる事なく時計を身につけるという意味では、ケータイやスマホと時計が兼用であるという事は理想的な形なのかもしれない。

状況が変わってしまった

ところが、私が今使っているスマートフォンはiPhone6 Plusという5.5インチクラスの大きさを持つスマートフォンである。それを胸ポケットに入れて持ち歩いているのだが、結構ポケットサイズギリギリで入れている。
ギリギリだから気軽に取り出す、という事が実に難しく、前述の時間を確認するというだけに取り出すのも、僅かながら抵抗を感じるようになってしまった。
そのため、単に時間を確認したいだけなのに、気軽に見る事ができない、ただ取り出すだけなのに抵抗を感じる、というようになってしまった事で、この“時間を確認する”という行為そのものを何かに置き換えたい、という欲求が私の中で生まれたのである。
しかも、時短で時間を確認するという欲求まで飲み込むとなると…いよいよもって腕時計が必要か? とまで思うようになったのである。
ある意味、私の中では大きな進化と言える。

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何を撮りたいのか?

一眼デジカメ(ミラーレス)を買って一年。結局、何を撮りたいのか?

彷徨う心

オリンパスのOM-D E-M1を購入して一年経過するが、今だに「自分でコレが撮りたい」という決定的な被写体に出会えていない。
構造物を撮るのが好きではあるが、それだけにこだわりたいワケではない。
景色や風景を撮りたいという欲求もあるが、そういうロケーションに恵まれた場所に率先して行こうとしていたワケでもない。
かといって人物を撮るといっても、特定の被写体がいるワケでもなく、誰でもとなると肖像権の問題に引っかかる。
動物系を撮るという選択肢もあるが、風景などと同じでドコかに積極的に行ったワケでもない。

私は何を撮りたいのだろうか?
最近、自分でもよくわからなくなってしまっている。

好きと向くは違うのか?

好きこそものの上手なれ。
昔から言われている言葉だが、この意味はたぶん合っていると思う。
私の前々職がまさにそうだった。
今の職でもそうハズれてはいない。今は…たぶん向いてないから。
好きであれば、ソレに対して一定の行動とその結果はついてまわる。
しかし…しかしである。
私はカメラ好きである事は間違いないと自分で思ってはいるが、果たして撮影に向いているのだろうか?
前述した言葉を見るとわかるが、私は行動に出ていない。
E-M1という、オリンパスのフラッグシップ機を手にしていながら、ほぼ活用出来ていない。実にもったいない話である。
そして、撮影という行動に出られない時点で、私はカメラを買って何をしたかったのか、を今一度自分に問わなければならないように思える。

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記念SUICA

問題が起きない限りはメジャーにならなかったかもしれないが…

東京駅開業100周年記念

昨年12月20日、東京駅開業100周年を記念して記念Suicaの発売を行ったのだが、これがちょっとした事件になるぐらいの人気ぶりで、実際に事件なってしまったぐらいの混乱を招いた。
「徹夜は禁止」と、どこぞのイベントのような事を事前に連絡していたのだが、それを真に受けて当日の朝に買いに来た人は手遅れで買うことができなかった等、その記念Suicaの数量的問題なのか、それとも他の倫理的問題なのか、とにかく買えない人が駅に殺到し、暴動のような状態になってしまった。
混乱を沈める為、JRは発売を中止したのだが、これがまた問題だった。暴動は鎮まるどころか逆に過熱し、しまいにはJR職員にモノを投げるいい歳した大人が出る始末。
…ま、JR職員にこの混乱を鎮める事ができる人はいない(某イベントスタッフならできる人がいるかもしれない…)ワケで、結局後日改めて再発売、しかも今度は限定期間に申し込んだ人全員が買えるという仕組みで仕切り直されることになった。
仕切り直しの再発売この記念Suica、当初は15,000枚限定の発売になる所だったのだが、現時点で100,000枚の追加増刷を行う予定になった。つまり、順当に考えれば115,000枚が発行されるワケだが、実際にそこまでの数量を増刷するかはまだわからない。
昨年12月20日の時には15,000枚に対して、一人3枚まで購入できるという触れ込みだったわけで、そうなると実質手にできる人は最小5,000人、多く見積もっても10,000人程度しか手にできないものだった。だって…1枚買って終わりという人はほとんどいないと考えるべきだからだ。
こうした記念Suicaは、記念切手などと同じでコレクターが存在し、高値で売れる事は周知の事実である。だから15,000枚は事実上その3分の1の人にしか購入権がないと言っても不都合がない。ある種、鉄道マニアをおちょくっているかのようなJRの対応である。

新たな購入方法

追加増刷を行った記念Suicaだが、その購入方法が本日発表となった。
インターネットもしくは郵送にて事前申込を行い、予約販売を行うという方法になったようである。

JR 東京駅開業100周年記念Suicaの発売について
http://www.jreast.co.jp/aas/20150120suica100_hatsubai.html/ (現在リンク切れ)

価格は1枚2,000円で専用台紙が付いてくる。デジポット分500円を含み、Suicaには1,500円のチャージが行われている為、事実上タダで購入する事ができる事になる。
一応、一人につき1回の申込のみで、一度に購入できる枚数は最大で3枚という事になるようだ。
まぁ…ここまで増刷してしまうと、一人で3枚買う人は多分いないのではないかと思う。記念の為に保管しておきたい人がいたとしても、使う為のものと保管する為のもので2枚あれば十分である。3枚目をオークションに出品したところで…おそらく今回はプレミアなど付かないハズである。枚数が10万枚超えでは…ね。
他、注意点があるとすれば、コイツはオートチャージできるようなシロモノではないため、普通のSuicaとしてしか使用できない。またこども用のこどもSuicaにもできないため、その辺りは注意が必要だ。

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諏訪大社

初詣は毎年元日に北口本宮冨士浅間神社に行っていて、今年も行ってきたのだが…

諏訪大社に行く事に…

先日から予定はされていたのだが、長野県岡谷市にあるグループ会社に行くことになり、そこで2度目の新年の挨拶をする事になった。
というのも、社長がそのグループ会社に今年初めて出向いた為にそういう事態になったワケだが、その流れで何だかよく分からないウチに「お参りに行こう」という話になり、グループ会社の人と一緒に諏訪大社に行く事になった。
2度目の初詣…これって縁起的に何ら問題ないんだろうか?
そんな心配もしないでもないが、とりあえず向かったのは諏訪大社の下社秋宮。
諏訪大社下社秋宮よく知らない人の為に説明すると、諏訪大社というのは諏訪湖周辺にある二社四宮の総称で、神社としては実質上「別の神社」である。
二社四宮とは、まず上社と下社の二社に別れ、上社には本宮と前宮という二宮があり、下社には秋宮と春宮という二宮がある事を意味する。
上社と下社と書かれると、上社の方が格式が上というようなイメージができるかもしれないが、序列は存在しない。同じようにそれぞれの二宮にも序列というものはない。
これら二社四宮の創建年代は実は不明で、日本最古の神社の一つと言われるほど古い。
私が毎年行っている北口本宮冨士浅間神社は延暦7年(788年)に社殿が造営されたという記録があるそうだが、この北口本宮冨士浅間神社は当初は諏訪神社であったと考えられているそうで、そう考えると、少なくとも北口本宮冨士浅間神社より諏訪大社の方が古くからの歴史がある、と考えて間違いなさそうである。
おそらくは出雲大社並に古い神社ではないか? とも考えられ、その理由として、古事記に武甕槌命が大国主命に国譲りするように迫り、それに反対した建御名方命が武甕槌命に相撲を挑んだがそれに敗れ、建御名方命が諏訪まで逃れた、という記載がある為である。
つまり、諏訪大社の歴史は、考えようによっては天孫降臨の時代にまで遡る話であり、そう考えれば出雲大社並に古い神社ではないか? という仮説もあながち間違っていないのではないだろうか?

神でも嫉妬する?

まぁ、諏訪大社などの事については、Wikipediaで調べる方が遙かに詳しく載っているだろうから、そちらを参照して頂きたいのだが、今からの話は私も噂で聞いた話。
皆さんは初詣等に行く神社は、毎年決まった所にいくだろうか?
私は山梨に引っ越してきてから、ずっと同じ北口本宮冨士浅間神社に初詣に行っている。
で、ある時近所の人に「次は別の所に行ってみるかなぁ…」と言った所「いつも行っている神社の神様が嫉妬して悪い事が起きるよ」と言われたのである。
しかも、この嫉妬する傾向は、祀られている神様が女性神であればあるほど強いのだという。
ホントか?
そう思いながらも、今まで何気なしに同じ神社に行き続けているのだが、実際どうなんだろうか?
そういう噂は、他の地域でも言われているのだろうか?
ちなみに北口本宮冨士浅間神社は、主神が木花開耶姫命である。
で、今回行った諏訪大社の下社秋宮は、主神が前述の建御名方命の妃神である八坂刀売神との事で、なんと女性神だったりする。
もし祟られでもしたら…なんて事を真剣に考えることはないのだが、縁起担ぎという面で見れば、何かイヤな予感がしないでもない。

こんな話を聞いた事がある人、他にいます?

初夢と年賀状

一月一日から一月二日の間の夜に見る夢を初夢というが…夢、見た?

ある意味納得…

ここしばらく、私は夢を見ない日が続いていた。
諸説あるため、明確にコレという話はできないのだが、基本的に夢を明確に覚えているケースは少ないのだという。つまり、夢を見たという記憶はあっても、その内容が定かではない、というのである。
しかし、ここしばらく、私はその「夢を見た」という事そのものを感じない日々が続いていた。だから今年は初夢はないな、と思っていたのだが…なんと、今年は初夢を見たのである。

初夢の内容は、今にして思えば「ああ、納得」と言えるもの。
どんな内容かというと…仕事してました orz
これは「もっと仕事しろよ」的なアプローチなのか、それとも「もう仕事したくねーよ」的な感情なのか、「仕事のミスが恐ぇーよ…」的な心配事なのか…どれも当てはまってそうで、良い夢を見たという感じがしない。
で、この「仕事」というキーワードで夢診断してみると…前述の内容がそのまま書かれていたからシャレにならん…。
まぁ…多分「仕事のミスが恐ぇーよ…」的な心配事がカタチとなって夢に出た、といった所ではないかと思う。
今年は…とりあえず今の仕事(医療QMSの確立)がカタチになるまではこんな感じで進みそうである。

年賀状

私は基本的に年賀状を書かない人である。
これは毎年言っている事だが、年賀状は日頃あまり会わない人に「私は元気です」的な連絡が主目的だと思っているからだ。
どちらかというと、私は年賀状は平賀源内などが提唱した「土曜の丑の日」的なイベントだと思っていて、郵政の業績向上の一環としか見ていない。もっとも、郵便物の配付でアルバイトを大量雇用しなければならない現実からすれば、郵政の業績向上に寄与しているとも思えないのだが、昔からの風習で「何となくやっている」という感じのイベントにしか思えないのである。
Wikipediaで調べて見ると、どうも奈良時代くらいから行われてる新年の年始回りが発端で、平安時代に遠方などの人への年始回りを文書で行う様になった事が年賀状の始まりらしい。
当初は文書で行われていたこの年始回り発端のイベントも、1873年に郵便はがきが発行されるようになると、簡潔にしかも安価に書き送れるという事から、年賀状という今のスタイルが始まったらしい。
この歴史を見る限り、私が考えている「日頃あまり会わない人に元気です的連絡をする」目的という事を安価に行う為に年賀状という風習が行われている、と解釈しても間違いではないように思える。
だから、近年SNSやメールによる年始あいさつというのは、ある意味この歴史を考えれば当然の流れとも言えるかも知れない。

と、私から送る年賀状はこのように解釈できても、私に送られてくる年賀状となると、そのまま放置するワケにもいかない。
毎年…必ず数通は私にも物理的に年賀状が届くわけで、それを「年賀状を書かない主義だから」といって突っぱねるのも大人気ない。というわけで、そういう人向けにとりあえず年賀状を書く事にしている。
ただ…基本的に受け身体制での返信であるため、私宛に届いたら返信する、というスタイルを貫いている。なので当然だがそういう人には元旦には届かない。
毎年明けてからの年賀状投函投函した時間から察するに…多分届くのは早くても二日後である。…ごめんなさい。

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謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

初詣に行ってきたーよ

毎年の事ではあるが、今年も年が明けた4時間後には初詣に出かけた。
参拝する神社はいつもと同じ、富士浅間神社。
木花開耶姫命を祀っている、奈良時代から続く由緒ある神社である。
ホントは年明け直後に行けば、神楽舞とかやってるんだろうけど、そもそも人混みが嫌いな性分なので、人が少なくなってから参拝することにしている。
なので今年も神社に入ったのは4時30分頃の事で、気温は0度くらいである。
去年もこんなアングルだったような…この時間帯になると、大学生ぐらいの十数名が結構騒いでたりもするが、それ以外は実に静かな時間帯。
まぁ、この大学生ぐらいの人達の騒ぎ方にはちょっと問題はあるな、とは思うが、彼らが本格的に社会人になったらそんなにも騒げないだろうから、今のウチに騒げるだけ騒いでおけ、と考えるようにしている。…最近は社会人でも致命的に騒いでるヤツもいるが…。

毎年、この初詣でおみくじを引く事にしているのだが、今年は実に微妙な「末吉」が出た。しかも書いてある事はあまり良い事がない。2015年はそういう年になるのかもしれないが、希望は捨てない事として、はじめておみくじを木に結わえてきた。
というか、毎年「大吉」が出るが、あまりアテにもしていないし、当たったこともないため、結果には重きを置いていないのだが、それでも気分的な問題である。

良くも悪くも…

昨年は…ホントにあまり良い事がなかったように思う。いや、悪い事があったわけではなく、良い事がなかった、という事である。
自分的に良くなかったというのは、自分の内側の問題ももちろんあるが、外的要因も良くなかったと思っている。
一番自分の中でも致命的だったのは、仕事の事。ルーチン業務はほとんどなく、常に知らない事との格闘で明け暮れた。これによって私自身の精神がかなり衰弱したのは言う迄も無い。
分からなければ調べるしかない→どう調べれば良いのか皆目見当が付かない→誰か知っていないか?→知っている人がわからない→いないから自分で調べるしかない→どう調べればよいのか…と、エンドレスな状況が続くのである。
流石に毎日がコレではキツイという他ない状態だった。
ただ2014年の末頃になると強力な助っ人が現れ始めたため、その問題にも解決の目処が付いたのだが、2015年も結局進むべき方向は同じであるため、まだまだ挑戦が続いていくことになる。
おみくじが「末吉」だったとか、そういう事はもはや関係なく、困難が降り注いでくる事は予定路線なのである。

ま、何はともあれ、今年も苦労する事は決まっていて、あとは私の受け止め方次第でそれが苦難になるのか、それとも試練になるのかが決まる。
できるなら試練と捉えるポジティブな生き方が出来ればな、と思っている。
そう言いながら、毎年ネガティブになっていくわけだが…今年こそは、である。
おそらくそういう事は私だけの事ではないだろう。
ぜひ、皆さんもココロの持ち様で苦難を試練に換えて乗り越えて行って戴きたい。
重ね重ね、本年も宜しくお願い申し上げますm(_ _)m

年末の秋葉原

毎年2回、決まってお盆休みと年末に秋葉原に行っている。知人一同がソコに集まるからだ。

恒例行事

もう何年続けているだろうか?
私としてはよくこれだけ続くな…と思う事もあるのだが、毎回決まったメンバーがこの時期に秋葉原に集まってくる。
目的が明確にある訳でもなく、ただ過去に会った事がある、というたったソレだけの理由で、決まったメンバーが一同に会するのである。
何故このような事になったのかも今やメンバーの誰も答えられないのではないかと思う程に理由は希薄なんだと思うが、それでも決まった時期に決まったメンバーが集まるのだから、もはやコレは古より伝わる伝統的行事と変わらない恒例行事と言っても過言ではない、と私は思う。
よく「出会いは一期一会」とは言うが、このメンバーの出会いは一期一会どころの話ではない。何しろ毎年の事なのだ。しかも年2回、決まった時期に決まった場所で、である。
もはやこの事象は大自然の摂理と同等ではないかとすら思えてくる。

まぁ、たぶんこの事象と同じ事が他でも起きている事は容易に想像できる。
夏と冬の秋葉原は、ある特定の人種を引きつけ集積する魔都だと言える。

秋葉原でなくても…

実のところ、我々の場合は何も秋葉原でなくても良いのである。
つまり、魔都がもつ「人を集めるナニカ」とは今はもうほぼ無縁なのである。
一度メンバー内で「秋葉原以外でも問題ないね」という話も出たのだが、結局集まったのは秋葉原だった。
私が最初に「目的もなく」と言ったのはこのためである。目的を理由と置き換えても良いだろう。
兎に角、別にもっと良い街があればそちらでも良いのだが、今のところ最終的に秋葉原に落ち着いてしまう。
自然の摂理とも、因果とも、表現方法はいろいろあるが、人の理解を超えるナニカが秋葉原にはあるのかもしれない。

おそらく、来年もまた秋葉原に集まる事になるのだろうと思う。
前述したが、別に秋葉原でなくてもいいのだ。それでもおそらく…秋葉原に集まる事になるのではないかと予測する。
結局何か買おうとか見たいとか調べたいとかいろいろな理由を総括すると、一番便利な街が秋葉原になる、という事なのだと思うが、それにしたって秋葉原である必要はないのだ。いや、逆にいつもより秋葉原が人で一杯になるこの時期に、狙ったように秋葉原に来る事そのものが非効率であり、意味不明なのだ。
だからこそ、秋葉原に集まるその理由が分からない。分からないのに秋葉原に来る。
…だれかこの理由を私に教えてくれ…何故集まるのだろう?
人混みが嫌いな私であるにも関わらず、それでも集まるこの状況。
何故なんだ?(・_。)?(。_・)?
万世橋方面からの1ショット

本年の業務は終了

昨日仕事納めの人も多かったんではなかろうか?

大掃除が待っていた

今日はウチの会社の仕事納めだった。
例年だと午前中に大掃除して午後から納会、そして3時過ぎに解散という流れなのだが、今年は3時くらいまで大掃除してそこから納会というスケジュールに変わった。
どうしてそうなったのかは分からないが、まぁ体制としてそういう流れになったのだから致し方ない。
身の回りを整理したりする上でもちょぅどよかったのかもしれない。

だが、事務関係の大掃除というのは、そのほとんどが書類整理という事になる。通常3ヶ月変動がない文書類はもう使わないというのがほとんどだろうが、私の場合は実はそうではなく、設備の保守関係の書類などもあるため、廃棄できる書類とそうでない書類の仕分けに時間がかかる。
ただ…普通はそういう書類は総務の職に就いている人の業務のはずで、そもそも私がそれを持っているという事自体がオカシイ話なのだが…。問題は、私の状況がそういう状況下にあるという事を私の部門の周囲の人はなかなか理解してくれない…というかわからないという事で、多分社内の人の半分くらいは「この人何してる人なんだろう?」とか思われていても、私は驚く事はないだろう。…だって自分でもどの部門に所属すべき存在なのかがわからないのだから…。
そんなワケで、とりあえず書類関係をザッと整理した後は窓ふきなど一般的な大掃除へと流れ、今度は建屋周りの掃除を行った。いや…正確には行おうとしたのだが…。

いきなり業務システムの打合せ

営業部隊と一緒に建屋周りの掃除をしよう…という流れになった直後、いきなり上長から呼び出しがあり、打合せに参加するように言われた。
専務と事業統括が今後の会社の業務システム、一般的に「品質マネジメントシステム」と呼ばれるものを再構築しているのだが、その打合せに参加しろ、というのである。
もともと、医療機器製造販売業や製造業の業許可を取得したり、ISO13485という医療機器の品質マネジメントシステム(以下QMSと略)の構築のハンドリングを2年くらい前から言われて、私も業務として行っていたため、呼ばれた事の意味自体は理解しているのだが、何故に今日になってその打合せをしているのか? という所に若干の疑問を感じつつ、打合せに参加した。

いろいろな事情から、会社としては2月末までには医療機器製造販売業の許可を受けなければならないのだが、その為には今の組織体系を医療機器にも対応できる組織にじなければならない。しかも、今は旧来の業務に関しても組織や業務の流れなど、いろいろな所を見直さないと、その業務の品質そのものが末期的な状況にあり、それらを取り仕切る管理職側は、早急な組織の確立、業務の見直しを求められている。
しかし、急激に組織を変革させる事の難しさ故に、QMS(Quality Management Systemの略)のある程度の知識がないと、クリティカルに今何が必要で何をしなければならないか? が見えにくい。
そういう意味で、私が呼ばれたという事である。…私も専門家ではないのだが、2年の知識を活かせ、という事だろう。
話を聞くと…実はなんて事はなく、業務の流れを再確認した程度の話であった。
…やはり管理職と言えども、いざ自分がやらなければならない事は何なのか? という事を整理するにあたり、それに直面すると分からなくなるのかもしれない。

QMSの考え方は実に単純で、たとえばISO9001やISO13485といった国際規格が定めている原文にちゃんと何をしなければならないか? という事が書かれている。しかも、有り難い事に、やらなければならない順番は、その規格書の1章から順番に記載されている。
だから1章から要求されている事を明確にしてやれば、最初に何をやらなければならないのか? また次に何をしなければならにいのか? と順を追っていけば良いだけである。
まぁ…この考え方を身につける為には、一人の作業者の視点ではダメで、全体の業務の流れを意識できないと身につかないのだが…。

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