終戦の日

8月15日という日は、アジア圏にとって何かと騒がしい日なワケで…。

終戦という一つの区切りにおいて

今日の話題は今までずっと避けてきた内容である。
多分、この記事に猛烈に反対したい人もいるだろうし、或いは劇的に賛同してくれる人もいるだろうし、どちらとも言えないが意見を言いたいという人もいるに違いない。
そう考えるからこそ、今までずっとそれを避けてきたワケだが、最近読み始めた本の影響でやはりBlogに一言残しておきたい…そう思った次第。
だから、この記事を読んで反対したい人は反論してくれても良いが、私が書く内容はあくまでも私一個人の意見でしかなく、それを誰かに押しつけようとして書いているのではない、という事をまずご理解戴きたい。

私が読んでいる本は2013年7月10日初版、世界情勢を読む会著作の「【学校で教えない教科書】すべてわかる 図解 太平洋戦争」という本である。
「永遠の0」が話題になったとき、太平洋戦争そのものの知識を一度リセットしたくて購入し、忙しさにかまけてずっと読んでいなかった本である。
この本は、太平洋戦争に至るまでの世界の情勢とその中の日本の情勢、そして太平洋戦争に突入した後の世界情勢と日本の情勢、そして戦後の世界情勢とその際の日本の経緯が書かれている。
いつもの私なら、もっと軍事的な内容の本に傾倒する所だが、今回は何故戦争という道を選んだのか? という所を掘り下げると同時に、知っている知識が正しいのか間違っているのかを見直す意味で、小難しい社会情勢の本を選んだというワケである。
一応、一通りの事は学校の社会の時間に習ってきてはいる事だが、何分学校教育であるという事で、何かしらの国家意図が含まれていては困る為、あえて自らを再教育するぐらいの気持ちで読んでいる。
そうすると、今まで知らなかった事が結構出てきたりして、今までの認識を変えざるを得ない事が解ってきた。
終戦の日に、その解ってきた事を取り上げて、私が感じた事を書いていきたい。

戦争と侵略と権益獲得

どういった形で太平洋戦争へと突入し、迎えるべく結末に対してどのような情勢だったのか? という事は、前述の「【学校で教えない教科書】すべてわかる 図解 太平洋戦争」を見てもらうとして、まず考えなければならないのは、戦争によって何を得、何を失うのか? という事である。
日本は、中国国内に於ける権益を第一次世界大戦後に得たが、それを維持・拡大させる為に日中戦争へと突入し、そのまま太平洋戦争に向かっていった。
ではその日本が得た中国国内に於ける権益はどこのモノだったのか?
それはドイツの権益であり、ドイツは第一次世界大戦の敗戦によってその権益を剥奪され、第一次世界大戦に直接参加しなかったものの軍需物資等の支援で日本がその権益を得たのである。
だが、ここで私は一つの疑問にぶつかる。
ドイツが何故中国国内の権益を手にしていたのか?
そしてこの疑問は、他のアジア地域においても同じように存在する。
何故オランダはインドネシア国内に権益を持っていたのか?
何故英国はインドに権益を持っていたのか?
答えは非常に簡単で、これは植民地化による結果でしかない。つまり、戦争こそしていないかもしれないが、武力等による圧力で欧州がアジア圏の国々を植民地化し、その結果権益を認めさせていた、というのがその時の世界情勢だったワケである。
そして日本は、第一次世界大戦後にその権益の一部を得る事に成功したワケだが、迫り来る欧米列強に立ち並ぶには、少なくとも欧米が採っている施策を日本も採らざるを得ないという判断があっても不思議ではなく、その経緯の中で武力衝突が実際に行われ、それが戦争へと拡大していったと言える。
では、欧州がアジア圏の国々を植民地化した事と、日本がアジア圏において突入した戦争との違いは何なのだろうか?
私は思うのだが、そこに大きな差はないのではないか? と考えるのである。
もちろん人の生死においての差はあるだろう。戦争は結果的に失われる人命において許されるものではない。だが、植民地化の際の武力による圧力は、人命が損なわれないから許される、という事なのか? いや、決してそんな事はないのではないか?

調和の世界情勢下で考える

適切な言葉ではないかもしれないが、日本は戦争という侵略行為に及んだかも知れないが、実はその戦争以前に、欧州は植民地化という名の下に侵略行為を働いている。
その事実を前にして、何故日本だけが侵略した事の非を問われているのか?
今は調和の世界情勢下にある為、戦争という言葉や侵略という言葉はとにかく非難されるべき言葉になっているが、欧州がアジア圏を植民地化していた時の世界情勢下で考えると、力を持っている国が正義であり、力なき国は力ある国に屈服される時代だったと言える。
そして日本が戦争へと突き進んでいった時代もまた、そういった世界の中の列強として生きる為に武力行使をする時代だったと言えるように思う。
今のような、植民地という言葉がない時代とは違い、自国の権益を手に入れる為に、自国以外の場所に権益を求める時代だったが故に戦争は起き、侵略行為が行われたと言える。

時代がそうさせていた、とだけ言うつもりはない。
だが、地球規模で人類がまだ未熟だった頃に、植民地化という政策が採られ、そしてそこから得た権益から、人々はそれを獲得すべく争いへと突入していった。それが近代戦争であり、歯止めの効かなかった侵略行為だった、と私は感じている。
であるなら、今戦勝国として名を連ねている国々は侵略行為をしていなかったのか?
いや、そんな事はない。
侵略行為をしていたのだ。その結果が植民地政策であり、今その行為の非を大きな声で訴える人があまりいないだけの事である。

今、世界は急速に世界調和の道を歩み始めた。
アジアの一部では武力による海洋進出が見られたり、ロシアの一部分で武力衝突があったり、中東では宗教に纏わる武力行為が行われていたりと、完全な平和という形にはなっていないが、それでも人々の考え方そのものが世界調和へと向かっている。
つまり、基本となる人々の考え方そのものに、太平洋戦争時とは大きな隔たりがあり、その中にあって過去の責任を精算しようとしている。
私は過去の責任を精算するなら、何も敗戦の責任だけでなく、元々の侵略行為であるハズの植民地化の責任も精算すべきではないか? と思ったりする。
それが可能かどうかは別として、問題とすべき起点は何も敗戦だけの話ではないように思えてならないのである。

恐らく、私の意見に強烈なまでに反対意見を出す人もいるだろう。
また、同意しかねるという人もいるだろう。
だが、前述したようにコレはあくまでも私一個人の考えであり、それを他人に強制したり強要したりするつもりは毛頭ない。
考え方の一つとしてとりあえず書いてみた。
こんなヘンな事を言うヤツがいるのか…と思って戴ければ、それだけで十分である。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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