雑誌記事の原稿を書くことになるとは…

  6月末に話は遡る。
 仕事で展示会を行った際、ウチの会社の専務にある出版社が近づいていた。
 別に命を狙うとかそういう類のものではないが(爆)、どうもウチの会社で取り組んでいる事を記事にして欲しいという原稿依頼のようだった。
 出版社が何故…と展示会当日にはそう思っていたのだが、展示会終了後、記事を書くとか書かないとかそういう話がチラリと出ていたのを私も聞いていた。
 その後、そんな話も全く聞かなくなり、私やその周辺の人々も記事を書くとか書かないなんて話をすっかり忘れていた8月末の頃、一つの事件が起きていた。
 ウチの会社の専務宛に送られたはずのメールが、ウチのメールサーバに迷惑メールとしてシャットアウトされていたのである。
 そして9月第2週頭の頃、専務宛に一本の電話がかかってきた。
 どうも、メールを発信した出版社からの電話で、原稿依頼したがその後のリアクションがないため確認の電話をした、というのである。
 社内のメールサーバ管理は私の仕事(というか、これもいつの間にか私の仕事として位置づけられているだけ。別に私でなくてもいいはずなのだが)なので、その止められていたメールを追跡・発見し、専務に見せたところ、原稿執筆の正式な依頼と共に、原稿の締め切りが9月24日となっていた事が判明した。
 専務は頼まれていた記事を書かないワケにはいかないと考えていたようで、残り2週間で原稿を仕上げねばならない状態にある現状を、どう乗り切るか考え始めた。そしてその結論として…私は予想もしなかった答えを聞かされるハメになった。
 それが…私に原稿を書け、という専務命令である。


  製造業で記事を書く。
 古くから私を知っている人からすると、私には到底無理だろうという事は想像に難くないだろう。というのは、私は製造業の営業としてまだ3年に満たっていない実績しかなく、しかも営業だから技術的な事など何も分からないに等しい。
 その私が製造業の記事を書くという事がどれだけ困難な事か…。
 一応、記事のテーマに関してはある程度決まっているという事で、そのテーマに沿った話題を集めるため、日々の業務の中からヒントになる事を洗い出すしか方法がなかった。
 ある程度の情報を持っていない事には書きようのない記事ではあるが、書かねばならない文字数も決まっていた。
 最低4,900字。400字詰原稿用紙約12枚。
 テーマが私の得意とする分野であれば、何の問題もない文字量である。
 しかし、全くベクトルの違うテーマを元に書かねばならない文字量としては結構しんどい量でもある。
 これを2週間、いや、厳密に言えば通常業務をしながらの話であるため、悠長な事は言っていられない期間で書き上げねばならなかった。


 とりあえず考えていても仕方がないため、とにかく集めるべき情報を集め、文字に落とし込む事から始めた。
 ある程度文字に落とし込んでしまえば、あとはそれを連結していけばいい。
 問題はソコに起承転結を求めねばならない事であり、記事とはその起承転結があるかないかで読んでいて面白いかどうかが決まる。
 ただ今の場合、起承転結に拘っていては書ける文字数も書けなくなるため、兎にも角にも文字に落とし込むしかない。
 落とし込んでから、連結して話の起伏を考慮する。それをほぼぶっつけ本番でやらなければならないのだから結構しんどい作業となった。


 締め切りまであと1週間というところで、ある程度まとめた原稿が仕上がった。
 私的には驚異的な速度であり、よく文字に落とし込めたなといった感じだったのだが、当然原稿を元々依頼された専務の確認を通らなければ完成とはいかない。
 専務に見せた所、使って欲しいキーワードがある、とこの時点で言われてしまった。
 そんな語句があるなら最初から言ってくれよ…と心の中で叫んだのは言うまでもないが、それでも入れねば完成しないのだから入れるしかない。
 そのキーワードを使うために、文章の再構成や配置換え、また部分的に書き直しという作業を終え、なんとか締め切り4日前までに、文章として及第点の出せる内容に仕上がった。
 専務に見せた所、文字に関しては問題はない、という判断をもらったが、ココで再びダメ出しが出た。
 ラストに課題を載せるのはいいが、営業的に課題がありすぎると問題がある、というのである。
 …起承転結の結の部分は、指し示す内容が完結しているものであれば完全で問題はない。しかし、扱っている内容がこれから先も継続していくものである場合、今後どう展開していくか? という事を取り上げないと、テーマとして面白みに欠けると私は思っていたのだが…
 問題と言われたが、結果として私は課題を掲載する事を強行した。命令ではあったが、この部分を書き直すとなると全体的なバランスをもっと違う形にまとめ直さなければならない為、時間的に無理と押し切ったのである。
 だが、もっと問題である部分を専務は提示してきた。
 この原稿に使用する写真や図などを用意しなければならない、というのである。


 …それ、分かっていたなら最初から言って欲しかった orz
 結果として、記事の中に織り込んだ集めた情報に関する図と写真を用意したのである。ちなみに図に関しては急ピッチで私が図表ソフトで作成した。
 前職の時、何度か原稿の依頼が来ていろいろ書いたことはあるが、ここまで急ピッチに、しかも周辺の素材含めて全て用意したのは今回が初めてである。
 まして…数日のウチにである。
 こうして、なんとか締め切りの9月24日には編集部に5,200文字を超える文字原稿と関連する図と写真を送る事となった。


 その記事が掲載されたのが、前述の画像にある雑誌『ツールエンジニア』である。
 大河出版から10月27日に発売されている。
 記事だけならそうでもなかったが、全てにおいて苦労したものである。
 その辺りの苦労が周囲の人に理解されているのかどうか…理解されていなければ、報われない業務としか言いようがない話である。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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