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HONDA好きならこのCMに悶えろ!

 日本国内で放送されていないのが実に悔やまれるCMが、UKで放送されている。
 Honda UKが公開したCMで、一つのボルトから今までHONDAが作り出してきたものを2分間にわたり紹介するCMである。
 本田技研工業は今年で設立65年になる。この65年のウチに世に産み落としてきたものが次々と変化して現れる様は、HONDA好きだったらたまらないものがある。

 自転車に湯たんぽとエンジンを乗せたホンダAこと通称“バタバタ”から始まり、カブ、DREAM 50、NSRへと繋がり、そこから4輪のシビック等、途中ASIMOなどを経由して最終的にはHONDA JETまで、実に様々なものを生み出してきた事がわかる。
 この動画を見ていて、NSXが登場したとき「アレッ!」とある事に気づいた人はかなりのホンダ通だと思う。というのは、登場するNSXのナンバープレートに書かれたナンバー“BSS-8888”は、あのアイルトン・セナに贈られたNSXのナンバーだったりする。ま、その時のBGMとしてブラジル国歌が流れているため、それで気づいた人もいるかもしれないが…。

 私は自分が乗った最初の車はトヨタだった。
 その後に自分の車として乗った車はビートだった。この時から私のホンダ好きは加速した。その後、自分の都合以外の理由でRVのパジェロ(ロングボディ)に乗り換え、その後東京での生活で7年以上車に乗る機会がなくなったが、結局その後に乗った車もVAMOS、その次にN Boxとホンダを継承している。
 不思議と日産車やマツダ車、三菱車に乗ってないのだが、知人の車を試乗したりしているため、その乗り味やフィーリングは知っているつもり。日産車は内装が比較的豪華な感じがするが、個人的にR32のGT-Rに試乗した時、あのターボの爆発的なパワー感が好きになれなかった(基本的に私がNA好きになったのはコレが原因かもしれない)。
 マツダ車としては、知人が所有していたRX-7のFD3Sを運転させてもらったとき、そのエンジンブレーキのかかりの悪さに驚いて、ロータリーエンジンは技術的に好きだけれども乗れないと感じた(でもユーノスロードスターは好きだった)。
 三菱車は、FTOがものすごく好きなデザインだったのだが、FF故に乗る気がなくなった。知人が乗っていたGTOに試乗した時は、その車体の重さ故にターボが必要だったんだろうな、とは理解するものの、重さとパワーのバランス感覚がどうも好きになれなかった。
 トヨタ車は、知人が所有していた最終型のスープラに乗ってみたが、パワーを持て余す感じがしてイマイチ…という感じだった。ただ、この頃の私は既にビートの感覚を知ってしまっていた後だったため、少ないパワーを限界まで引き出して走るという事の面白さにのめり込んでいた時期であるため、それ故あわなかったのかもしれない。
 そういえば、初めて買った二輪もホンダのNSR250Rだった。今でこそカワサキのKSRだが、未だに12Vモンキー(ゴリラ)に憧れる事も多いし、125ccで登場するGROMにちょっと惹かれてたり…。

 と多少こじつけな部分もあるものの、自分の今までの車遍歴を振り返ってみても一番親和性が高いのがホンダだと思う。
 多分、このホンダとの親和性は、私の中にある、憧れるべき技術志向をホンダの中に見たからではないかと思う。
 似たような感覚でスバルも好きだったりするのだが、本田宗一郎という人に対する憧れの方が先に立っているのは事実だ。

 と言うわけで、このHonda UKのCMが日本版となって日本で放映される事を切に願いたい。人はもっとHONDAの事を理解しても良いように思う。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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