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Category: その他

東京2020オリンピック、開幕

イロイロな意味でキタナイモノが見え隠れする宴の始まり。

利権と無責任

東京2020オリンピックが開幕となった。
実際には2021年だが、開催年が2020だから、とりあえず名称は「東京2020オリンピック」というのが公式の名称のようだ。
残念な大会になったと思うのは私だけではあるまい今回の東京2020オリンピックほど、すべての人に祝福されない大会はないんじゃないかと思うほど、最初からイロイロな意見が飛び出し、挙げ句開催中止のデモまで起こったオリンピックになった事は、やはりその原因は新型コロナウィルスの影響と言えるだろう。
だが、この新型コロナウィルスが世界的に蔓延した事で、今まであまり見えてこなかった事が見えるようになり、改めてオリンピックというもののその裏で蠢くものも見えてきたのではないかと思う。
まずは利権である。
人がこれだけ集まったり、また注目されるという事は、そこに大きなお金が動くという事を意味する。そうした金銭の動きは、オリンピックというそこに政治的意図を含まない事を前提とした大会ではあまり意識しない事が多いはずだが、今回は中止か、延期か、強制執行かという動きの中で、観客を入れる入れないという事も含めてどれだけのお金が動くのかという事が見えてしまった。これで大損するところが出てくる、という損失がチラついた事で改めて大きなお金が動いていて利権が絡んだが故に何かを犠牲にしてまでやらねばならぬという風潮が見えてしまった。
また、運営組織に関しても、無責任な体質がどうしても見えてしまう。
実際には責任者は責任があると自覚はしているだろうが、演出メンバーの中に過去の問題から不適切、なんて事が出たりすれば、それを知らなかった、考えていなかった、など、責任がないかの如く立ち位置を変えつつ、のらりくらりとしている。それだけならいざしらず、我々が選んだワケではないとかいう話まで出たりする。何なの、ソレ?
それと、これに関して私は世間の受け止め方もマズイと思う。
人は一体どけだけ潔癖なんだ? と。
過去に一切の穢れもなく、精錬潔癖でいる人はどれだけいるのか? と。
そういう人にしか任せる事ができないなら、そんな大会やめてしまえ、と私は思う。
日本には、金継ぎという割れた茶碗などを修復して使用する古来からの技術があるが、それじゃダメなのか?
これは日本国民全体に思う事で、そこに一般国民も政治家も区別はない。全ての人に感じる事である。

あらゆる意見を飲み込んで

こんなイロイロな意味でキタナイモノが見え隠れするスポーツの祭典であっても、始まってしまった事に違いは無い。
始まった以上、その始まったモノをどう受け止め、どう感じるかは人それぞれだが、それでも忘れてはいけないモノがある、という事を完結かつ名言として発した人がいる。
日テレの藤井貴彦アナウンサーである。


ニュース番組「news every」でのコメントだが、実に的確に、かつ全ての人に響くのではないかと思う名言である。
「「せっかくやるなら応援しましょう」というつもりはありません。」と言い切れる所が個人的にはスゴイな、と。少なくとも公共の放送でコメントする人が、ここまで言い切る事ができるというのがとてつもなくスゴイと思った。
報道とは、本来こうあるべきではないかと改めて思う。
難しい仕事だと思うと同時に、その難しさ故に今のマスコミがどんどんダメになっていくんだろうな、とも思う。
そしてその難しさは、世間の声がピーキーになってきたからだとも思う。

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堅実に貯める事は夢なのか

借金を完済できた事は喜ばしい話だが、今から資産形成する為に何をすべきなのか?

資産運用の難しさ

昨日、借金完済の口座振り込み手続きが終了したと書いたが、本日、その金額が返済口座に入金された。あとは銀行に対して精算してもらう話をするだけ。これで私は肩の荷が下りた事になる。
でもそれで人生における貯蓄が終わったわけではない
いや、むしろ今からが本番である。
その昔、日本の財務大臣が老後の資金として2,000万円が必要だと言った事件があったが、もしそれが事実なら、私はもう戦う前から負けている事になる。
この2,000万円の老後資金には、数多くの落とし穴的な話があり、当時の60歳以上の人達の生活スタイルを顧みて、その生活を維持するならば、月々の不足金などを考えた結果、老後には2,000万円が追加で必要という条件が付く。
その後、コロナ禍となり、人々の生活様式がガラリと変わった事で、今同じ内容の試算をすると、何と老後に必要な資産額はわずか5万円になった、という資料も出てきているようである。最初の2,000万円の話は何処行ったんだ? と。
こうなると、何が真実なのかがわからない。
もともと2,000万円が必要と言った時の参考指標が、とても一般的な65歳以上の生活とは思えない指標を参照して計算した可能性は高い。しかも、この数年で世界情勢が大きく変わってきてしまっている。
今後何が必要で、どのように備えるべきか、なんて事は、昔の常識は通用しなくなってきたのが、今の状況と言える。
そんなワケでここ最近、やたらと「副業」の話が出てきている。
投資やら投信やらのトレード関係が大多数を占めるが、中には転売ビジネスもあったりと、実に多様化している。
預貯金という金融商品がアテにならなくなった今の時代、どうやって資産運用していくべきか、悩んでいる人も多いのではないかと思う。

うさんくささ、炸裂

YouTubeなどに、最近はやたらと広告が入るようになった。
その広告の多くは、副収入を得る為のコンサルティングビジネスがほとんどで、失敗しない投資術を謳っていたり、FXトレードだったり、前述した転売ビジネスだったりと、とても素直な人が見ていたなら、どれも素晴らしいぐらいに設けられそうなビジネスばかりである。
これを怪しいと思わない人はいないのではないか?だが、どう聞いても怪しさしか感じられないものばかりで、とても活用できるような話ではない。もしこれに「乗ってみよう」とか思えるなら、その人はどれだけ警戒心のない人なんだろうとすら思えるし、逆に心配になる。
ただ、そうした投資や投信、その他のサイドビジネスで稼いでいる人がいるという事実もまた然りで、そうした情報にあやかりたい、という思いもある。
このジレンマを相手に、こうした広告を出している人たちはビジネスをしているのだろうが、世の常としてそんなに上手い話があるわけがない、というのは紛れもない事実ではないかと思う。
世の中、バカでは立ちゆけないという事なんだろうな(-_-;)

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負債、完済?

今日の話はいつもと異なり、私の個人的な問題に関して話をしよう。

自分の借金じゃないのに?

私は長年、自分の借金ではない(だろう)借金を返済しつづけている。
自分の借金ではない、と言い切っていないのは、一部、私の生活費用にも関係があった為であり、全部を私は無関係と言い切るのには無理があるだろう、と考えての事である。
だが、この返済を父が存命の頃から、それこそ20年以上にわたって返済しつづけている。
重く苦しい返済状況この借金は、民主党時代の「公共事業の仕分け」によって、親の仕事が薄くなった事により、個人経営会社が立ちゆかなくなった事で膨れあがったものである。問題は、その個人経営会社の代表取締役を未来を考えて私にしていた事で、会社の借金は親名義の借金ではなく、私名義の借金になっていた事である。
内訳として実際には数多くの金融機関(それこそ銀行だけでなくカード会社などを含めて)に鏤められて借り入れ先があったのだが、父が存命の頃に一度その借金を一括化する事が運良く出来、そこで一括化した事で返済できる金額にはなったものの、返済期間が延びた事で長期化した。この一括化が可能になったのは、いわゆる街金からは借りていなかった事が理由である。
そして問題はさらに増える。
その長期化した返済の中で、親が再び私の知らないところで私のカード含めた親たちのカードを使って借金していた事が発覚した。これらも複数のカード会社への返済で、次第に自転車操業状態に支払いが横に広がり、手に負えなくなった。そこでこれも何とか銀行に相談して再度一括化し、先程の返済をしつつもこちらも返済していくという地獄の返済マラソンとなった。ハッキリ言って終わりが見えないマラソンをしている気分である。
とりあえず父が亡くなる前に最初の返済は完済し、残るはもう一つの返済のみとなったのだが、これもかなり長期にわたるもので、現在も実はあと数年は返済しつづける必要がある。
2度目のカード利用による借金が発覚した際、何故こうなったのかを親に問いただしたところ、生活苦だと言った。
私自身も一緒に生活していたのだが、私はそんなに苦しい家計状況だという事を知らなかったし、それならもっと節約していく生き方もあったのだが、何も親は言わないので気づかなかったのである。
親からすると、子供に生活が苦しい、という事を言い出す事ができなかったのかもしれない。だが、私はこの親の判断はバカだと一刀両断した。
それからの生活は基本的に月末に私に報告してもらうようにして、健全化を図った。
その後、父が亡くなり、母が入院した時に、家計の支出を全て私が手続きしなければならなくなった時から、一部の家計を私が預かるようにした。公的な支払いは母に任せ、食費などの支払いは全て私が預かったのである。
自分の借金ではない、と言い切れない部分はあるにせよ、親に振り回された返済人生であると私は言いたい。ただ、自分が関与してきた事で、ここにきてようやく先が見えてきた。

お金の管理

基本的に私はあまりお金の管理を緻密にしない。
ホント、他人から見れば「ザル」なんじゃないかと思うぐらい、大雑把な管理である。
ウチは2週に一度スーパーで買い物をしてくる買いだめ型なのだが、一度買い物にいくと大凡いくら支払うから、今月はこれぐらいの食費、他ドラッグストアに月に4回出かけるので大凡これぐらいの雑費、など、その程度の管理である。
だが、案外お金を貯めている人というのは、このような管理の人が多い、という人もいる。
緻密に家計簿を付けて分析して…というのが、おそらくファイナンシャルプランナーなどの指導にもあるようだが、そこまで緻密に果たして実現できるものなのか?
私は、人間は結構テキトーな生き物なので、そこまで計画的に活動できるとは思っていない。ただ、大枠としてある程度のまとまりで数字の動きは見ていく必要はあるという自覚はあるので、毎月の口座の入出金履歴だけは欠かさずチェックし、大きな支出がないかの確認はしている。
それが良い結果を招いたのか、私の口座に気がつけば結構な金額の残金が確認できるようになった。自分でも驚いている。これなら残りの借金の返済ができるのでは? と考えたのは、つい先日の事である。
そこで借り入れ先の金融機会に現在の返済残金を確認したところ、全ての返済を精算したとしても、まだいくらか私の口座に残るという事が判明した。
私としては、口座から全ての残金がなくなるというのは問題だと感じている。私のようなザルのような管理では、一時的に支出がドンとくる場合がある。もちろんそれは一定期間で平均すればいつも通りの支払い額になるのだが、一時的に纏まってくると、思いの外、大きな支払いになる。だから残金ゼロはあり得ない。
なので、一定金額、例えば給料二ヶ月分程度は残しておきたい。そんな感じである。
まぁ、給料二ヶ月分で足りるのか? と言われれば心許ないのだが、それによって余計な金利がかかる返済を残すのか、それともその心許ない残金でやりくりするのかとなれば、考え方は人それぞれかもしれないが、支払いがなくなる分を心許なさを埋めるものとして運用していく事を考える方が、私としては建設的かな、と判断している。

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不便な時代

ふと、日常で気づいた事を書いてみる。

レジ袋有料化は本当にエコなのか?

コロナ禍になってからというもの、元々外出をあまりしない私はさらに外出頻度が下がり、最近では生活必需品を買いだしに行く時ぐらいしか外出しなくなった。
ドラッグストア、スーパー、あとちょっとした買い物でコンビニ…今思いついた外出先を上げてみたら、たった3つしか出てこない。もしこの3箇所以外で買えないものが出た時は、ネットショッピングで購入という手段を執るので、ホントに外出といえばこの3箇所くらいである。
最終的に効果があるのか?で、最近はこれら買い物先で品物を購入しても、その持ち帰りにはマイバッグを使う事が多い。その理由は言うまでもなくレジ袋が有料化した為だが、有料化した最大の理由はレジ袋など石油から精製された袋を環境の観点から使わないように、という国の方針に従ったためだ。
だが、このマイバッグのおかけで、生活が不便になったと私は思っている。いや、ほとんどの人がそう思っているのではないかと思う。
レジ袋を使わないようになった事で、一度の買い物のついでに複数の店に行く、いわゆる“はしご”をしなくなった。
モノを購入しても入れる袋を複数持ち歩かないので、一つの店でマイバッグを利用すると、もう一つの店では使えないためである。
なら複数のマイバッグを用意すれば…と思うかも知れないが、私はマイバッグは所謂布製のものではなく、スーパーのカゴと同等のものを使用している。スーパーで買い物した時、精算と同時に持ち帰る準備が整うので便利なのである。なのでこのカゴを複数持っていくという事そのものが大変であるため、私はレジ袋が有料化してからというもの、いわゆる買い物の“はしご”をしなくなった。
コレ、この事で二つのマイナス要素が発生している事に環境庁は気づいているのだろうか?
まず一つは、経済的に縮小してしまうという事。今まで2つ3つと店舗で買い物をしていた消費者が、一度の外出で1つの店しか立ち寄らなくなれば、当然経済は縮小する。
そしてもう一つは、仮にこの買い物の“はしご”をしなくなったとしても、買い物に2度出かけるという事が発生為た場合、結局自動車による移動距離が伸びる事になるため、排気ガスで環境を悪化させるという事。
そしてもう一つ…(あれ、2つじゃなかったかw)、マイバッグに購入品を入れるという行為を消費者側が行う事で、レジにかかる時間が延びるため、時間的ロスが発生する事、というのもマイナス点と言えよう。
マイバッグは消費者の持ち物なので、店員が勝手にマイバッグを手に取って品物を入れるという行為はあまりしない。なので消費者側が精算をした後に購入した品物を自分でマイバッグに入れるため、レジでの処理時間がかなり延びるのである。

さらに考えてみる

この3点だけ見ても、本当に環境上良くなったのか、という点に多少の疑問が湧いてくるが、考えるとさらに疑問が出てくる。
まずレジ袋だが、コンビニなどの店舗での消費は確かに減ったが、かわりにホームセンターなどで大量のレジ袋が売れるようになったという。
これはつまり、今まで店で入手できたレジ袋がなくなったため、レジ袋の利便性を求めて自らがホームセンターで購入するという流れを生み出した。これでは環境省の掲げている、本来のレジ袋削減になっていない。
私は、この政策によって、本当にレジ袋の利用が削減されたのか、環境省には調査をしてもらいたいと思っている。
もし仮にレジ袋の利用が劇的に減り、環境上非常に改善されたと言われるのなら、この政策には大きな意味があり、まず石油製品の利用を一つ無くす事ができた、と全世界にアピールしてもらいたい。
もし劇的に削減されていないのなら、やっている意味がどこにあるのか、説明してもらいたい。
このマイバッグの利用で、スーパーなどの万引きがよりやりやすくなり、被害が多数でているという状況もある中、やって意味が余りなかった、では、この今大変な時期にかけている労力をどう考えるのか?
もし環境の事をどうしても何とかする必要があるのなら、そもそもレジ袋の環境的負荷をより削減する成分の方に技術転換を求めていく開発をすべきではなかろうか?

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PayPay銀行、発足

なぜこの名前になったのか? 前の名前ではダメだったのか?

ブランド統一

ジャパンネット銀行が4月5日付で「PayPay銀行」と名称変更した。
変更となったのはほぼ名称のみで、既存のキャッシュカード、トークンアプリ、VISAデビットをそのまま利用可能で、銀行コードや支店名、各支店番号、口座番号なども一切変わらない。
ただ、唯一変更となったのは、スマホで利用するアプリが変わり、ジャパンネット銀行の「残高確認アプリ」が「PayPay銀行アプリ」と名称が変わり、その機能としてキャッシュカード不要でセブン銀行ATMでの入出金やカードローンの借り入れや返済が可能になった。
スマホだけでのやり取りこの機能、スマホATMという機能で、キャッシュカードをATMに挿入する代わりに、アプリでATM画面に表示されるQRコードを読み取る事で、入出金やカードローンの借り入れ、返済が可能になるのである。
このアプリは当然だが振り込みも可能で、このアプリ一つでネット銀行の機能のほとんどを賄う事ができる。それは特別新しいものではなく、ジャパンネット銀行から引き続いた機能だが、今回の「PayPay銀行アプリ」になった事で、ネット銀行統合アプリとして新生した、という感じで受け止めれば良いかも知れない。
このように、機能などを統合したように、Zホールディングス傘下の金融サービスをすべてPayPayブランドに統一する取組みの一環として、今回ジャパンネット銀行がPayPay銀行に名称変更した、というワケである。
ちなみに同傘下の証券会社「One Tap BUY」も「PayPay証券」へ名称変更している。

提携ATM

名称変更した事で、私的にはちょっと残念な感じはある。
何より、名称としてあまりにもキャッチーすぎて受け付けにくいというのがその理由である。
何故PayPayという名称にしたんだろう…。そんな疑問は、そもそもPayPayが始まったときにも感じたが、まさかこれが統一ブランドの名称になるなど、その時には思ってもみなかった。
個人的にはジャパンネット銀行の方が名称的には良い名称だと思うのだが、Zホールディングスからすると、キャッチーな名称ゆえにPayPayに決めたのだろうと思う。
で、このPayPay銀行の取引を利用できる提携ATMだが、セブン銀行の他にもイオン銀行、ローソン銀行、ファミマ系Enet、ゆうちょ銀行、三井住友銀行と以前と変わらないATMが利用可能だが、先程説明した「スマホATM」機能が利用できるのは、あくまでもセブン銀行ATMだけのようである。
これがもっと他提携ATMでも利用できるようになれば、スマホATM機能も便利になるのだろうが、今の状態だと普通にキャッシュカードを使って取引した方が手軽かも、と感じるかも知れない。
ただ、スマホ一つ持って外出し、出先で出金する必要性が出た際、セブン銀行でスマホだけで出金できる環境があるというのは、便利な状況かもしれない。

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災害対策

2月13日夜遅くに起きたM.7.3の地震で改めて考える地震対策。

ライフラインをどうするか

福島県沖で震度6強の地震が発生した。
内陸であるウチでも、ちょっと長めの揺れが感じられるほどに揺れたので、その地震エネルギーは決して小さいものではなく、被災した地域にいた方々は相当な揺れの中にあったのではないかと思う。
一度でも地震体験車で地震を感じてみるといい。震度6レベルの地震がどれだけ揺れるのかを身を以て知る事ができる。あれはもう何かを考えるとかそういう事ができるレベルの揺れではない。
東日本大震災の時もそうだったが、被災レベルが大きすぎると、周辺全体の機能が麻痺しはじめるので、ライフラインなど必要なインフラを公共に頼りすぎると生きる事に詰んでしまう事もある。
それでも日本は比較的周囲の助け合いがあるので何とかなる場合も多いが、備えがある事に越した事はない。
だが、実際に地震対策として常備しておくライフラインは、地震が起きた直後などはそれを気にして準備するのだが、いざ平穏な日々が過ぎていくと、途端に常備食や飲料水などの更新が滞る。人間、常にトレンドの中に生きているので、一番難しいのはそうした準備の維持だったりするのである。
普通はこんな感じだが…この備えるべきライフラインの維持に関して、もっと効率良くする事は出来ないのだろうか?
面倒で忘れてしまう維持という活動をもっと日常の中に組み込む事が出来れば、いざその時になっても、ちゃんと準備された状態になるのではないか?
ちょっとそんな事を思った次第である。

日常で保存

例えば、水道水は蛇口をひねれば水が出てくる。だが、これは水道管と直接繋がっていて、そこからくる水圧によって出てくる仕組みになっている。
だからこの水圧がなくなると水は出てこないのだが、災害に備えるべき水道水を確保するなら、この水道管からくる水そのものを貯水できるようにし、日々使用する生活水はこの貯蔵水から使用する仕組みにできないのだろうか?
貯水タンクに常に一定の水を溜めておき、オーバーフローする分を日々の生活水として利用し、災害があった際にはその貯水タンクそのものがライフラインとなる、そんなイメージである。もちろん、ここでいう貯水タンクは持ち運びが出来る形状で、複数連結して量を稼ぐという仕組みである。
この場合、その貯水タンクの水の循環や、貯める事によって起きる水質の問題が課題になると思うが、その課題をクリアさえすれば、生活の中で常に水道水を確保する事が可能になる。
食料については、保存食を常日頃から日常の食卓に出す事が必要になるだろう。そうする事で、保存食をローテーションする事ができるので、期限切れの食料になる事を防ぐ事ができる。
飲料水と食料、この二つを常に更新できる仕組みが構築されていれば、いざというときの備えが出来ていない、という事はなくなり、最低限の準備は整うのではないかと思う。

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銃の歴史が変わる?

名門コルトがチェコのCZに買収される時代。

移り変わる時代

昨年11月、チェコ共和国の銃器メーカーであるチェスカー・ズブロヨフカ(CeskaZbrojovka、通称:CZ)が、米国の銃器メーカーであるコルト(olt Manufacturing LLC)社の買収を計画している、という報道があった。
CZは昨年末までに実行の準備ができている、としていたが、ついにこの話が纏まり、CZがコルトを買収する事に合意した。
時代の変化コルトという銃器メーカーは、日本人であってもミリタリー系の情報を知っている人ならほとんどの人が知っているメーカーである。
米国の政府系に採用されその名が有名になった「Colt Government」は、オートマチック拳銃のスタイルとしてもっとも知られた存在だと言えるし、米軍が採用したアサルトライフルである「Colt M16」や「M4 カービン」も、世界でもっとも有名なアサルトライフルと言っても過言ではないかと思う。
もちろんそれだけではなく、Coltといえば日本のコミックでもある「CITY HUNTER」の主人公、冴羽獠が使用する銃「Colt Python」も有名な銃である。
コルトの歴史は常に米軍と共にある、とも言えるほどで、その関係は175年以上とも言われる。それぐらいの名門銃器メーカーであった。
だが、このコルトの拳銃部門は2000年以降にライバルに大きくシェアを奪われていて、2015年に倒産している。
一方、CZはサブマシンガンの「スコーピオンVz61」やアサルトライフル「CZ BREN」、また様々なバリエーションで法執行官からスポーツまで多用途に使われるオートマチック拳銃「CZ75」が有名である。
CZは元々チェコの国営企業だったが、その後民営化され1997年にCZ-USAを設立した事で、米国でも大きな市場を獲得した。
実は米国の銃器メーカーは、諸外国から流入した同業メーカーの影響で、大手メーカーがいくつか倒産している。ショットガンなどで有名なレミントンもその一つである。
今まで米国を支えてきた銃器メーカーも、この時代の流れでその様相が移り変わってきている。まさに変化の時代である。

銃のない世界へ?

このように、米国の大手銃器メーカーが次々と倒産し、その数が減っていく背景に、米国でも銃のない世界に向かっているかのような印象も受けるが、実際の所はそういうわけではないと思う。
米国では政治家の大きな得票業界として銃器メーカー業界がある。これが機能しているという事は、企業の中身が変わっていたとしても、その存在はまだまだ大きなもので、決して米国で銃のない世界へと向かっているという事は言えないと思う。
個人的には、民間に銃は必要ないと私も思っているが、米国の成り立ちと日本の日常ではその根底が異なる事から、米国で銃がなくなる事は今の時点では考えにくい。米国は自由の国であるという大前提から、武装する自由もあり、自分たちの身を守るためにどうしても銃が必要だという認識が消えることはないのだろう。
日本の歴史では、こうした自分の身を守るために武装する、という行為は全くなかったわけではないが、それが地方豪族の武士団がテリトリーを守護し、その庇護の元、農民が生きていたという歴史がある。成り立ちが全く異なるのだから、その考え方やスタイルも同じという訳にはいかない。
だが、この現代になり、そうした歴史認識にも変化が現れ、米国でも徐々にではあるが銃を持たないという道が提示されてきた。
おそらく、銃器メーカーはその影響力を民間ではなく、もう軍需に頼るしかない状況になっていて、そうした事から合理的にメーカーが淘汰されていったものと考えられる。

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VTuberがもっと身近に?

1枚の画像からVTuberとして使える画像をAIで生成するという猛者が現れた。

恐るべき技術

2月4日、Twitterで妙なツイートを見つけた。
「一枚の画像でVTuberになれるシステム(v2)を作りました」と書かれたツイートが、私のタイムラインに拡散されてきたのである。
https://twitter.com/dragonmeteor/status/1357093243989626880
ツイートからその中身を見てみると、どうもGoogleでソフトウェアエンジニアとして働くプラムック・カンガーンさんが1枚のキャラクター画像から多彩な表情を作り上げることができるシステムを開発したとの事。
普通、VTuberとして2D画像を利用するような場合、動きのパーツをいくつか準備し、一定のルールに従ってパーツを連携させて使用するLive2D(とFaceRig)のようなソフトウェアが必要なわけだが、カンガーンさんが作ったシステムで同じような事がたった一枚の画像で可能になるというのである。
で、リンクされていた動画を見てみると…確かに動いている。
これはある意味スゴイ事ではなかろうか?
これをシェアウェアのような形で出せば、Live2Dを駆逐する事も可能かもしれない。
Live2D用画像を販売しているクリエイターにも大打撃を与えそうな感じである。

日本語サイト
https://pkhungurn.github.io/talking-head-anime-2/index-ja.html
(現在リンク切れ)

AIならではの問題

ただ、一件完璧なシステムのような本システムだが、まだ問題がないわけではない。
いつくかある問題で致命的なのは、GPU負荷がとても大きい事である。
これはパターンを生成する時にGPUの演算を必要とする為であるが、その処理が最適化されていないのだろう。まぁ、まだ実験的な状態なので、これは今後洗練させていけば負荷は下がってくるハズだ。
もう一つの問題は、キャラクターの肌色で人型と認識しているところがあるので、肌色でない画像で試すと、とんでもない結果が待っているという事。つまり、人型でないのもダメ、という事である。
VTuberのモデルになるキャラクターは人型とは限定されないので、人型でないと使えないというのは残念である。深層学習を繰り返す事で人型でないキャラクターでも可能になる日がくると良いが、それは結構大変な課題ではないかと思う。
他にもまだいくつか問題はあるのだろうが、システムとしてはかなり完成度も高く、今後の発展が期待されるのは間違いない。
わざわざパーツを作って動かしているLive2Dの事を考えると、本システムは実に画期的である。

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今年の降雪

とうとう降ってしまった。できれば降って欲しくはなかった。

積もる雪

昨日、一時的だが私の地域で雪が降り、一時そこら中が白くなったのだが、その後太陽が出た事でとりあえず積雪という程の雪にはならなかった。
しかし、この雪が降るであろう天気は翌日にも予想されていて、できれば降って欲しくはない、というのが私の気持ちだった。
私は北陸生まれで、北陸でも私が住んでいた時期の金沢は、雪が降っても驚く程積もる事もなく、また降ったとしても雪質は水っぽい感じで凍るという事はまずなかった。
ところが関東、山梨にきてからというもの、雪そのものは金沢より降らないものの、一度雪が降ると、その雪質は水っぽいというよりは、その状態になるとすぐに凍り付き、長期に渡って雪が残るという感じである。
なのでここに済んでからというもの、雪はできれば降って欲しくない、というように思うようになり、一度降ったなら凍ってしまった雪をさてどうするか? と頭を悩ます事が多くなった。
で、今日の天気だが…ものの見事に雪となった。
こうなると、ちょっとした外出…コロナ禍なので生活必需品のみ購入の為の外出だが、それすらも雪という障害と闘う羽目になった。
今年、豪雪となった日本海側の人からすれば、大した雪ではない、と言われてしまうだろうが、もともと雪が多い地域と違い生活のほとんどが積雪を考慮していない地域の雪は、生活に大ダメージを与える。誠に残念な結果である。

湿度が上がらない

ま、もともと積雪があるかもしれない、という事からスタッドレスタイヤには履き替えているわけで、雪の中、走る事そのものはあまり大きな問題にはならない。
私が気にしているのは、降った後の路面であり、明日の朝に凍結している事を問題視している。
問題は降った後の路面関東の冬は風がとてつもなく冷たいという感じ。同じ冬でも、北陸の方が暖かい感じがするのは、おそらく湿度の問題ではないかと思う。
とにかく乾燥し、それ故に冷たい風がダイレクトに吹いてくる。どれぐらい乾燥しているかというと…北陸では乾燥で手足がカサつくという事を経験した事がないのだが、関東に来てからと言うもの、毎年手足のカサつきに悩まされている。
しかもそれだけじゃない。喉の調子も非常に悪くなり、今年のコロナ禍では部屋の湿度を60%以上にする事を推奨されているので、常に加湿器を稼働させているが、部屋の湿度が60%に達する日は非常に少ない。50%に達していればまだマシな方で、ここ数日は40%台という日ばかりである。
流石に今日は雪なので、湿度は比較的高めではあるものの、それでも60%にようやく到達しているという状況。暖房と併用すれば、簡単に60%を割り込む。
加湿器は今シーズンで買い替えたので、稼働状況や能力を考えれば去年より強化されているハズなのに、全然強化された感じがしないというのも、なんか残念な話である。

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生活必需品、壊れる

何故生活必需品というものは一つ壊れると連続して壊れ始めるのだろうか?

ガスコンロ、逝く

自宅のガスコンロはコンロが左右2連のものなのだが、その内の左側が点かなくなるという状態になった。
左側のコンロは火力の強い方で、おそらくほとんどの家が左側のコンロの火力が強いのではないかと思う。一応製品としては右側が強い製品も存在するようだが、シンクなど水周りの位置と利き手の関係から、ほとんどが左側の火力が強い製品だと思われる。
そんな左側が点かなくなるという事になったため、とにかく使いにくい。ま、使用してきた年数で考えればそろそろ買い替えの時期なのかもしれないが、前触れなく壊れるとその買い替えタイミングは必ず壊れてからになるので、非常に厄介かつ面倒である。
当たり前の事ができない事が困るこうした生活に密着したものが壊れると、通常生活に支障が出てしまうので、可能な限りその前触れを感じられるようにと家族にも言っていたのだが、上手くいかないものである。

湯沸かし器、逝く?

で、こういう時、何故か他のものまで引っ張られるように壊れ始める。
正確にいうと、壊れたわけではないのだが、湯沸かし器でお湯を出そうとすると、妙に時間がかかるのである。
日本のガス湯沸かし器は優れモノなので、普通ならお湯を出して数秒でお湯が出てくる。ところが、ここ最近になってから、お湯になるまでにどうも1分近くかかっているようで、いつもの状態でない事が見えていた。
壊れたわけではないだろうから、様子見という形で現状維持していたのだが、湯沸かし器本体をよくよく見てみると、今年は点検時期に入る年数であり、そろそろメーカー側か想定したオーバーホール時期である事が見て取れた。
これなら確かに調子も悪くなるワケで、ガスコンロが壊れたのとあわせて、こちらも入れ替えたいと家族から話が出たので、ガスコンロと湯沸かし器の両方を新しくする事になった。
…ああ、なるほど、こうして纏めて入れ替えるから壊れる時期が一緒になるのか(爆)

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謹賀新年 in 2021

新年、あけましておめでとうございます。

コロナ禍の初詣

毎年、私は決まって冨士浅間神社に初詣に行く。
昨年もこの書き出しで新年初のBlogを書いているぐらい、恒例の話。ココを見れば昨年の記事と同じだという事がわかるだろう。
正確に言えば、昨年だけでなく、毎年の1月1日の記事は同じような書き出しで始まっているハズである。
これは私の行動の既定路線なので、変わりようがなく、毎年同じになるのはある意味必然である。
なので、掲載する写真もほぼ同じになる。
人がいない…ただ、今年は毎年とは異なるところがある。
そう、参拝客が非常に少ないのである。おそらく、毎年撮影する社殿写真の中で、今年が唯一、人が写り込んでいないのではないかと思う。今年も昨年と同じAM4:30~5:30という時間帯での参拝だが、昨年は短いとはいえ行列があったものが、今年はこの有様である。
とは言っても、この規模の神社なら太陽が出て日中になればおそらくある程度まとまって人はやってくるだろうと思う。
ただ、コロナ禍という事もあって、いつもの参拝と異なる部分がいろいろあった。
まずは手水舎に柄杓が見当たらなかったという事。予想はしていたが、やはり感染の恐れが出やすいものは撤去されていた。
また、御札を販売しているところなどはアクリル版で仕切っていて、飛沫対策をしていた。これも今ではよく見る光景である。不特定多数の人が出入するところなので、こういった取組みは当たり前なのだろうが、この微妙な距離感が感じられる生活には慣れたくないなぁと個人的には思っている。
早くいつもどおりの生活に戻ってくれないかなぁと思っているのだが、例えワクチンがいつでも使える状態になったとしても、以前のような生活スタイルに戻る事はないのだろうか?
一度このように変わってしまったなら、清潔感第一で今みたいな生活が続くのだろうか?
感染の恐れがなくなれば、人同士はもっと距離を詰めても良いのではないかと思うが、戻れるのだろうか?

今年のおみくじ

さて、私は初詣に行くと必ずおみくじを引いてくる。
引くといっても、100円を投入したらガサッとおみくじが入れられた箱から一つおみくじをツマミ取るというものなので、六角振出箱から引くというおみくじではないのだが、毎年同じおみくじを引いている。
で今年はというと…
昨年と同じ吉であったこんな感じ。
昨年も「吉」だったので、今年も同じである。昨年は第40番だったが、今年は少しズレて38番。なんかこの近い番号というのは因縁でもあるのだろうか?
神社本庁が公開している「神道いろは」では、順番として「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶」と書かれている。あくまでも一例の解釈として考えれば、大吉の一つ下、という感じ。解釈によっては中吉や小吉の方が上という見方もあるが、個人的には「大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶」が正しかろうと思っている。
こうしたおみくじにとって重要なのはその本文に書かれている事。今年は「目上の人の引き立てによって幸運に恵まれます」とある。誰か好意的な上司によって好転するのだろうか?
また「元気を出して事にあたること」とある。これが私には難しい。元々、私の日常は結構淡々としていて、覇気がある方ではないのだ。
「いかし勢いにまかせると心におごりをうみわざわいがおこります」というのは、多分大丈夫ではないかと思うが、より新調に行けという意味では心に留めておく必要はあるだろう。
と、素直に受け止めて今年を生きていけばいいのだが、あえて冷静に言ってしまうと、実は占いも同じなのだが、当たり前の事がそのまま書かれているだけの事であり、大なり小なり全ての人に当てはまりそうな事が書かれていて、人はそれぞれ勝手に自分に当てはめて解釈しているに過ぎない…というのが、こうしたものの本質だ、と誰かが言っていた。
ひねくれた解釈とも言えるが…事実そうなのかもしれない。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」とは上手く言ったものである。

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激動の2020年

2020年もあと僅かで終わろうとしている。今年はいろんな意味で激動だった年のように思う。

新型コロナの影響で

2020年がもうすぐ終わる。
3月ごろからコロナの影響で社会情勢が大きく変わり、人によっては人生そのものが変わってしまったという人もいるだろう。
幸いにして、私は仕事としてはあまり変わらず、毎日の生活の中でマスクが必須アイテムになった、という程度で済んだが、年末にきて肩の調子から体調面で激動を迎えようとする年となった。
現実的な話をすれば、人と人との距離感が大きく変わったワケであり、これによって接客業や観光業、飲食業は激動という言葉に集約するにはあまりにも大きな痛手を被ったと言える。
逆にこういう状況だからこそ、ドラッグストアやホームセンター、スーパーなどはその必要性が高まり、またその必要性から人が集まったときの対策を講じる必要が出てきた。
ビジネスとして厳しい状況を迎えた企業もあれば、この状況変化から需要を大きく伸ばした産業もある。そう考えると、産業革命…とまでは言わないが、産業改革が行われた感がどこかにある。
人と人の距離感が変わった事で、通信というものの重要性が高まり、そこに政府から通信費の値下げを実施する政策が出されたのも変化といえば変化だろう。
今までの常識が常識でなくなった。そういう意味で激動という言葉は適確ではないかと思っている。

x86も激動に飲み込まれた

そして私が今年もっとも転換点を迎えたかな、と思ったのは、x86アーキテクチャである。
Appleが「Apple Silicon」と呼ばれる、Armアーキテクチャを採用した自社SoCを搭載したMacを投入した事で、世の中のPC界隈には激震が走った。
DRAMまで統合している事の強みもし、Apple Siliconの性能が大した結果を残すようなものではなかったとしたら、激動でも何でもなかったのだが、その性能が凄まじかった。
いや、実際にはその性能を達成した背景にはいくつかの理由があって、x86アーキテクチャ勢はその理由故に性能的に弱くなってしまったところはある。唯一5nmという製造プロセスで作られたApple Siliconは、その内蔵するトランジスタ数を見ても圧倒的な強さを誇っても不思議ではない。
だが、そうした理由があったとしても、世間に与えているインパクトの大きさはそう簡単に覆すことはできない。
世の中のコンピュータ処理のトレンドが大きく変わろうとしている転換点かもしれないのだ。
そして年末にかけて、Qualcommが新型のSnapdragonを出してきた事で、Armアーキテクチャの強さをまた披露した。このままではx86アーキテクチャはArmに飲み込まれてしまう…というのは流石にないとは思うが、WindowsもArm版が一気に進化する土台が出来たし、それ故にマイクロソフトがまたしても自前のArmコアの開発を行う事を明確にした。
今年はそうしたトレンドが大きく変化した年でなかったかと思う。

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