アスナ人気の秘密を知る。
思い切った割り切り方
ホントに今更ながらソードアート・オンラインのアニメを見始めている。
Amazon.co.jpのプライムビデオにこのタイトルが入っていたので、今まで観ていなかった事もあって、今更観ている。
まだ14話までしか観ていないので、今後の展開も気になるところではあるのだが、何故この作品が一定以上の評価を受け、かつ長期に渡って人気を誇るキャラクターを排出したのかというのを、何となくだが理解している。
この理由を言葉にしてしまう事そのものは、そんなに難しい事ではないのかもしれないが、言葉にした途端におそらく相当陳腐になる。
なのでその辺りは言葉にはせず、感覚で理解するという事に任せた方が、おそらく大部分の人に共感を得られる…そんな作品ではないかと感じている。
詰まるところ、それほど理解するのに困らない作品という事である。
デジタルな世界に生きる現代人からすると、本作品は理解に苦しむことなく馴染む事ができる…そういう事だろうと思う。
この作品で一つ、私が「随分と思い切ったなぁ」と感じたのは、イマドキのMMORPGを題材にしているワリに、魔法(魔術)という概念を一切切り捨てた事である。
正確に言えば、存在しないわけではないのだが、触媒を利用しないと発動しないアイテム固有能力に限定してしまっているという事である。
おそらく、魔法(魔術)を可能にした世界観でこの作品を展開しようとすると、おそらく理解が相当難しくなる。
この理由はものすごく単純である。この作品では、主人公たちはこの世界がデジタルで作られた世界だという事を理解していて、不思議な事が起きるとそれはシステム的に可能かどうかという事を即座に判断・理解するし、できるようになっている。
もしこれに魔法(魔術)という概念が加わると、システム的に不可思議な事が起きた時、それが魔法(魔術)という物理法則を超えた法則に則ったものなのか、それともシステム的に許可された事なのかの判断に迷う事になる。
もし魔法(魔術)を可能にする世界観とする場合、魔法(魔術)も、一定の法則に縛られたルールである、という事を固定しなければならない。
ところが現実世界では当然魔法(魔術)は存在しないワケで、普通の人はこの法則を感覚的に理解する事はできない。
だからこそ、このSAOという作品の世界では、魔法(魔術)という概念を取り払い、完全スキル制のみの作品にしたのではないかと私は考えた。
ある意味、理にかなっているし、そこにこの作品の一つの限界がある、とも思う。
ただ、多くの人の理解される作品になったのではないかと思う。
そういえばありました
この作品を観ていて、ストーリーの流れとかそういう部分は除いた感覚として、昔こういう作品があったなぁ…と思ったのが「.hack」である。
サイバーコネクトツーが開発し、バンダイから登場した「.hack」も、オンラインゲームを題材とした作品だった。
「.hack」は、当時ようやく盛り上がりつつあったオンラインゲームを題材にする事で、非常に真新しい(もっともゲーマーにしてみればそんなでもなかったが)作品として注目されていた。相互にプレイヤーたちが同じ世界を共有するというオンラインゲーム独特の特徴を取り入れる…というコンセプトがあったかどうかはわからないが、そう期待させるものを垣間見た作品である。
各々の作品の良い所は各作品の特色として捉えるとして、私がSAOで特に評価したいところは、仮想上の話でありながら現実とリンクし、登場人物の死が常に垣間見えるというところである。
つまり、仮想でありながら命のレベルで現実であるという緊張感があり、それでいて登場人物たちは今自分に見えているものが仮想であるというミスマッチに翻弄されるところに、この作品の重みがあると思う。
この重みは「.hack」にはないもので、SAO特有ではないかと思う。これが登場人物の心理に大きく関与し作品を盛り上げている事は言うまでもない。
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