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おたふく風邪ワクチン

定期通院にて主治医に一つお願いをした。とても珍しい話だったようだ。

発症しなかった

私はおたふく風邪に罹っていない。子供のころ、母親が親戚の子供が罹ったとき、ついでに罹ってしまえと私を近づけてうつそうとしたが、結果うつる事はなく、そのまま私は大人になってしまった。
別段、困る事もなかったので、私も何もせずそのまま大人になったわけだが、私でないところでこの認識を脅かす事態になった事がある。
なぜかうつらなかった…
それが、両親がおたふく風邪になった、という事。
両親がともに50代に、ほぼ同時におたふく風邪に罹ったのである。父親と母親は当時離れて暮らしていたので、ほぼ同時におたふく風邪になる事自体が奇跡的な事ではあるのだが、それだけに私の中に強い印象を残した。
その時まで、私はおたふく風邪の事に関して全く知識などなかったのだが、子供のころに罹るおたふく風邪と大人になってから罹るおたふく風邪は、その危険度がまるで違う。
ネットでは大人の方が重症化するようだ、ぐらいで書かれているが、私は直接その症状などを見たので、大人になってからのおたふく風邪の危険性は正直、恐怖以外のなにものでもないと今では思っている。
というのは、大人になってからのおたふく風邪は、おたふく風邪らしい喉が腫れる症状がてるものの、子供の時と違い、皮膚が外側にふくれあがるよりも内側に膨れあがる度合いが大きい為、場合によっては喉を圧迫、呼吸困難になるだけでなく場合によっては窒息なんて事もありうるというのを目の当たりにしたのである。
実際、当時は窒息死の可能性もある、と母親は医師に言われている。ネットで見たとかいうだけの話でなく、実際に現実を見ているので、私からするとそこには紛れもないリアルが存在する。
ただ、一生に一度というレベルのものでもあり、しかも大人になってからのおたふく風邪の発症そのものは決して確率的に高くないという事もあって、普段から忘れがちになるのも事実。なので、ずっと気にはしていたものの、今まで医師に相談する事もなく過ごしてしまった。

母の介護を考えて

私が自分一人で生きていくというだけなら、きっとここまで考えることはなかっただろう。
だが、私は今、母の介護という状況にあるので、もし今わたしがおたふく風邪にかかり、万が一「窒息死」なんて事になったら、それはそれで問題である。母の介護は誰がするのか? という事を考えると、可能性は低いとしてもその可能性は潰しておきたい。
そう考え、ようやく主治医におたふく風邪のワクチンに関して相談したわけである。
医師からしても、大人におたふく風邪のワクチンを処方した事はなかったそうで、実際に大人に処方できるのかを調べて見る、と言い出す始末。結果、できる事は確認できたので、医師に相談の上、おたふく風邪のワクチン処方を次回の定期受診の際にお願いする事にした。
…やはり大人へのおたふく風邪ワクチン接種は珍しい事なのだろう。
ただ、おたふく風邪はウィルス性の病気で(だからワクチンがある)、ムンプスウィルスとよばれるウィルスに感染する事で発症するのだが、このムンプスウィルスを弱体化させたワクチンを接種するので、副作用としておたふく風邪に似た症状が出るとされる。
その副作用が合併症などで酷くならなきゃいいな、とは思うが、大きな災厄を防ぐためにワクチンを接種するので、そのあたりは覚悟の上で臨む事になる。

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急に身近になったコロナ

今更だが、私の職場、しかも上司が感染者となった。

誰でもあり得る事

新型コロナウィルス…この言い方も既にもう「新型」じゃない気がするが、第7波を越え、既に第8波の見通しも検討されている状況だが、正直、私の周辺では今まで感染者も出ていない状況だったのだが、ここにきて私の職場の上司が感染し陽性者となってしまった。
私もかなり近い位置で会話していた事もあるので、念の為抗原検査キットで調べてみたが、結果は陰性。症状も出ていないので、おそらくは問題はないものとみられる。
だが、今まで全く近しい存在でなかったコロナウィルスが、遂に私の周辺でも見え始めた事に、少し驚きを感じている。
というのも、私の職場が医療機器に関わる職場である事から、ワクチン接種は初期の頃から騒ぎはじめていた事もあり、接種率そのものはかなり高い状況にあった。
私自身も3回接種しているのだが、おそらく今流行りのコロナウィルスは、変異したもので、今までのワクチンでは防ぎきれないというものなのかもしれない。最近のワクチンはオミクロン株対応とか言っている時点で、今までのものに効果があるのかさえも多少疑問がある。
ここに来て、生活も元に戻してきている人もいたり、日本全体も経済を取り戻すが如く動きを見せているので、本来ならパンデミックが起きても不思議では亡い状況なのかもしれない。
ただ、そうした中でも、自分の周辺に今この時に広がりを感じるような状況になった事に、さてどうしたものか? とちょっと悩んだりする。
予防の為の活動対応として、今までやっていた事と同じで良いという事は漠然とわかってはいるものの、どこにどう気をつけるべきなのか、という事を改めて考えたとき、今までもそんなに厳重に対策していたワケでない事を気がつくからだ。
そして私がもし陽性者となってしまったなら、それはまた別の問題を深刻化させる事になる。

介護とコロナ

一番の問題は介護である。
もし仮に私が陽性者となった場合、介護する者が私しかいない状況は非常にマズイ。
もちろん、換気をした上で母親の面倒をみれなくもないが、今までデイサービスで対応していた事が出来なくなる。というのは、母親が濃厚接触者となるからだ。
デイサービスで受けていた母親の介護内容を自宅でできるか? となると、かなりハードルが高い。という事は10日間ほどは母親には何かしらの不便をかける事になる。
実にこまった話である。
家族とは言え、対応できる者が一人しかいないという事は、常日頃の対応も大変だが、こういう隔離されなければならない状況の時はさらに厄介だ。
新型コロナが、インフルエンザ並のウィルスとなり、すぐに対応できるウィルスになる事を待ち望みつつ、今はやり過ごすしかないのが残念でならない。

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介護と身体障害は違う

違いがあるのもわかるが、介護だとダメってどういう事なのさ?

福祉自動車助成に関して

先日、ディーラーで法定12ヶ月点検を受けた際、福祉自動車に関してディーラーより情報を貰った。
税金が非課税になったりする制度がある事は前々から知っていたが、市町村でも福祉自動車の改造や新規購入に際して助成金が出るという制度は、その時初めて聞いた。
ただ、助成金というのは助成されるための要件というものがあり、その要件が何によって成り立っているかがポイントになる。
たとえば介護保険に関して言えば、市町村が要介護者の状況を確認して、判定、介護度を設定して、その設定された介護度に応じて介護保険が適用される限度額が決定されるが、そういった基本要件が福祉自動車購入補助の助成金にも存在しているはずである。
ディーラーで聞いた話だと、車椅子を使用する本人もしくは家族がそうした車の購入をする時に、役所で手続きできる、と言っていたが、それが何の要件で成立する話なのかが判らなかったのである。
必要だから考えるが、もう少し支援を…(画像はイラストACより引用)

そこで、今日市役所に立ち寄る事があったので、福祉課でその辺りを聞いてきた。
すると、ここに理解に苦しむ現状がある事がわかった。
介護保険の区分では、この助成は受けられない、というのである。

助成金交付要綱

この福祉自動車の購入等に使用出来る助成金の法律が何であるかが見えてきた。
「介助用自動車購入等助成金交付要綱」という市町村の決め事が定められていて、そこに適用される法律の記載があった。
この助成金交付要綱は、重度身体障害児者、身体障害者福祉法の第15条に規定する身体障害者手帳の交付を受け、かつ、その障害の程度が1級又は2級である者を対象とした制度だというのである。
つまり、介護保険を受給している者を対象にしているわけではなく、あくまでも身体障害者福祉法の下に定められているので、同じ車椅子を余儀なくされている人であっても、この助成金は受けられない、という事である。
介護保険でできる事は、福祉車両の貸出を受ける事はできるそうだが、自ら購入もしくはその家族が購入という時にはそうした適用がないという。身体障害者枠であっても、要介護者枠であっても、どっちにしても車椅子を使用せざるを得ない事に違いはないのに、片方は助成を受けられて、もう片方は受けられない、というのは、法律が違うから、という理由だけだとしたら、何とも納得できない話ではないかと思えて仕方が無い。

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ふと考える恐怖

ホラーとかそういうのではないが、現実的に恐怖を感じる。

今私が倒れたら…

この三連休の間、いろいろ身の回りを再整理する時間が採れた。
母親が自宅に戻ってきて、介護生活が始まったはいいが、そこでいろんな問題が浮上し、必要なものが足りなかったり、必要だったものが間違っていたり、もっと便利なものでないとダメだったり、とそれこそ想定していた事との食い違いを是正しないといけない事が多数あった。
なので、この三連休はそうした食い違いの是正だったり、母親が戻ってきても大丈夫なように準備をしたり、という時間に費やした。
その結果として、一昨日の車の買い換えの話があったり、母親の急激な変化を思い出したりしたワケだが、ここにきてふと自分が考えていなかったそもそもの前提を気にすべきだという事に気がついた。
それは、私という存在が倒れるような事があった時の事である。
私一人なら、私が倒れても家の中の事はそう気にすることはない。単に時間が止まるだけの事である。
だが、介護が必要な母親がそこにいる、という事になると、話は別で、今の母親の介護生活は私という存在が確実に機能していて成立しているところがある。
しかも、そこにはバックアップがない。つまり、私が倒れるような事があると、母親の生活が成立しなくなるのである。
残念だが、私は五体満足ではあるものの、健康体かと言われたなら、声を大にしてそうだといえるほど、健康体ではない。
いや、むしろ不健康体だと言えるだろう。倒れる事はないかもしれないが、蜂窩織炎(実際にはその手前の状態だが)も発症するかもしれないし、肝臓や腎臓系の病気になる可能性も否定はできない。
そんな状態にありながら、母親の介護生活を円滑に行っていかなければならないと考えた時、私の中には恐怖以外ナニモノも出てこなかった。
介護の覚悟
今の介護保険で賄えている支援は、支援いただける限度額を使い切っている。これ以上は実費になる。その時、もし私が入院という事になったなら、どうすれば良いのだろうか?

解決策は見えない

実際問題、私が倒れたとしたら、ケアマネージャーと相談してどんな対応策があるかを話し合う必要がある。
当然だが、知らない事には対応はできないので、まだまだ調べる必要はあるが、私のように被介護者が一人しかおらず、介護生活を送っていて被介護者が介護できなくなるなんてケースは他にもあるはずである。
預貯金があれば切り抜ける事は簡単だが、そうでない家庭は前にも後ろにも進めなくなる。だからそうした家庭の為に何か方法があるハズではないか? と思っている。
まぁ…実際の所はどうなのかはわからないが。
とりあえず、まずは自分の健康管理は今まで以上に考えないとダメだな、という事は間違いない。そこに留意しつつ、何かしらの支援がないか、探っていこうと思う。

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人生の変化

ふと、iPhoneに保存していた写真を見ていて、気がついた。

激変した人生

今日、ふとiPhoneに撮りためている写真を見返すという事をした。
別にいつも見返す事などないのだが、いらない写真が数点入っているのに気づいて、それを削除しようとしたところ、iPhoneのアルバムに保存していた写真は日付で分類されていたので、ふと、過去に撮影した写真が気になって振り返るなんて事をした。
2021年12月のフォルダに、母親が手書きで書いたメモの写真が入っていた。
この時は、不自由ではあったものの、歩く事そのものもまだ出来ていたし、自分で買ってきて欲しいものをメモに手書きで書いて、私に手渡すなんて事をしていた証拠が、まさしくこの写真だった。
この写真を見て、私はふと思った。
激動の人生へと進む何という生活の変化、私の人生の変化だろうか、と。
半年ちょっと前は、母親は自分で歩くこともできていたし、手書きでメモを自分で書くこともできていた。
だが今はどうか?
歩く事もままならず、自分で文字を書く事はできたとしても、書く体勢をとる事もできなくなってしまった。
実際、文字を書こうと思っても、おそらく上手く書く事もできなくなっているだろう。最近は必要書類に署名をする時も、代理人として私が書いている始末である。
いつ頃からこんな事になったのか、思い出してみる。
すると、今のような状態になった最大のターニングポイントは、2月28日の入院である事がわかる。
全てはこの入院から始まった。

軽い脳梗塞から始まった

当Blogの2022年2月28日の記事にもその事を書いたが、この日、定期通院で内科にかかった際、母親が右手に力が入らない、と医師に伝え、医師がその違和感からMRIを撮ろうと言った。結果、軽い脳梗塞が見つかり、即時入院が決まった。
呂律が回らないなんて事はほとんどなかったが、何を言いたいのか判らなくなるなんて事があったため、脳梗塞の気配が以前からちょっとずつ出ていた事は間違いが無いのだろう。
その後、4月6日に母親は退院してきたが、その時には要介護1の区分で介護保険を申請した後だった。まだこの時には伝え歩きは出来ていたので、自分で歩こうと思えば歩けた時である。
ただ…この時、私は知らなかったのである。母親は今回の入院の時、病院の風呂場で尻餅をついていて、恐らくはこの尻餅が原因で圧迫骨折が出た…もしくは以前から圧迫骨折をしていたが、ここでそれが加速した、と考えられる。
というのも、退院後の4月21日に腰がどうしても痛いと言いだし、整形外科に通院したら脊椎圧迫骨折と診断された
この診断から、結構大きいコルセットを着ける事を余儀なくされ、そのコルセットを着ける事によって、体の各所に痛みを訴えるようになった。
その痛みが内側からか、あるいは外側からかはわからないが、極度に痛みが酷くなり、5月10日に母親は救急搬送となり、そのまま原因がわからない事で精密検査をするという事でまた入院となった。だが、まだこの時は歩く事はできていたのである。

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母、再入院

先週退院してきたばかりだというのに…。

昨晩から腹痛を訴える

母親が再び入院となった。
昨晩、私が仕事から帰ってきた時から、様子が変だった。
排泄物をデイサービスで排出する為に、薬剤を注入して対処するハズだったのだが、デイサービスでその薬剤注入をしなかったのが原因である。
といっても、デイサービスの担当者が悪いわけではない。
母親は、デイサービスに出かけた後、どうも自力で幾分か排出したらしく、それを見た担当者が薬剤注入は不要、と判断したようだ。
だが、実際は自力で排出した量が極端に少なく、腹部に相当量残っていたようで、それが腹部を圧迫、腹痛を引き起こしたと考えられる。
なので、この薬剤注入をして排出してしまえば腹痛は治まる…ぐらいに、私も母親も考えていたのだが、この薬剤注入、医療行為なので家族はできるが他人は医療関係者でないと出来ないとの事。
私ならできるのだが、私がそんな技術を持ち合わせているワケもなく、翌朝、耐えられなくなった母親は救急搬送されるという事となった。
救急搬送された先は、先日まで入院していた病院で、入院していた時の情報はすべて存在している事から、排出が上手くできないという今日の救急搬送があった事で、医師は再び入院して排泄できない原因と対策をすべきと判断、そのまま入院となったワケである。
医療費で頭を抱える日が来るとは…
母親からしてみれば、薬剤注入してくれれば、そのまま家に帰れると思っていたようだが、医師からすれば救急搬送されるぐらいの話なので、もっと詳細な調査が必要、と判断したわけである。

再入院

というわけで、本日は朝から再入院手続きとなった。
正直…予算的に苦しいと言わざるを得ない。生活をここまで圧迫された事は未だかつて無かった事だが、だからといって入院させないという分けにもいかない。
とりあえず、介護サービスの各所に連絡をする為、ケアマネージャに連絡して調整を取って貰いつつ、生命保険の担当者に入院保険手続きの話をして、保険が下りるかの確認を取った。
保険に関しては、まず前回の入院保険の手続きが終わっていない事から、まずそちらから手を付けましょうという事で、今回のものについてはまだ未定という状態。
介護に関してはケアマネージャが関係各所に連絡を入れて一度ストップしてもらう手筈を執った。
正直、こんなに慌ただしい日々を連続で送るというのも珍しい。
受け入れたかと思ったら再び入院で、受け入れた後の生活にちょっと慣れていかなきゃと思ったら、再び一人の生活に逆戻りである。
しかも、生活費含めた支出がハッキリしないまま、もう数ヶ月が経過していて、収入に対しての支出が追いついているのかという事も、不明瞭なまま来ている。
今の所一定の貯蓄があるため、入院費を支払って入院保険が入ってこなくても何とかなっているが、それがいつまで続くかはわからない。
財政不明瞭という状態を続けている事にも、私の精神的ストレスは強くなる一方である。

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介護の本当の辛さ

ある意味、これが一番辛いのかも知れない。

疼痛

土曜日から自宅介護が始まり、今まで準備してきたものが実際に使われ、計画してきた介護が始まったわけだが、始まったら始まったで、足りなかったものや行き届いていない事が見えてくる。
そうした足りない事に関して、それが物理的なものであるならば用意してやれば良いし、人が動く介護であるなら、それをヘルパーさんにお願いしたりして対応すれば良い。
このように笑っていられれば良いが…だが、まさに予想していなかった痛みを感じる事などに出会った時、それをどうする事もできないというもどかしさ、辛さが見えてくる。
というのは、今母親は脊椎を圧迫骨折していて、ちょうど腰骨が崩れている状態にある。これは骨粗鬆症のような骨密度が低い人が脊椎などに衝撃を受けて腰骨が崩れて起きる骨折だが、時として腰椎を通っている神経を圧迫したりして、痛みやしびれを起こすことがある。
その神経の圧迫を起こさない為にコルセットなどで固定するのだが、コルセットをしていると今度はコルセットが当たって皮膚に痛みを覚えることがあり、場合によってコルセットを着けていられない、なんて事が起きる。
ウチの母親の場合、そのコルセットを今現在着けていられないような状況にあり、外している事が多いのだが、当然それだと崩れた腰椎が刺激で動く事になるので、痛みが出てくる。
当人曰く、鈍痛が常にあるらしいが、これがずっと続くと想像してもらいたい。歯の痛みは刺さるような痛みがある事が多いが、ビリッとする痛みのない、ジリジリと刺激してくるような痛みがずっと続いていると考えればわかりやすいだろうか?
私は尿管結石の痛みを知っているが、あれもものすごい鈍痛で、酷い時には歩けなくなるのだが、そうした痛みが今の母親をずっと蝕んでいるのである。
医学ではこうした痛みの事を疼痛と言うが、薬によってその痛みを緩和させる事はできるものの、完全に痛みを抑えることができない場合は、その痛みをずっと感じ続ける事になる。
これが我慢できるレベルであれば、ストレスは感じるかも知れないが、まだマシな方である。もし我慢できるレベルを超えてしまった時、人はじっとしていられなくなるのである。
そしてそのストレスが一定の限度を超えた時、今度はイライラするような感情的な変化が現れ、気が狂いそうになる。
パニック障害もそうだが、精神が侵食されると、これはもう抑える事のできない衝動になってくるので、ココロの中では「頼むから気絶させてくれ」とか、酷い時には「頼むから殺してくれ」とさえ思うようになる。
その痛みとココロの衝動が理解出来た時、家族であればこれほど耐えがたい辛さはないと言える。

せめて痛みだけでも…

この圧迫骨折に関しては、整形外科を今後通院するしかないと言われていて、今週の火曜日に受診する予定なのだが、介護をしていく上で、この圧迫骨折と向き合っていく事が今はとても重要なポイントだと思っている。
崩れてしまっている腰椎を外科的手術で治療する方法もあるとの事だが、手術をしたからといって確実に直るという保証もなく、まして麻痺している脚が治る可能性はとても低いと言わざるを得ない。
ただ、私はこの痛みを感じているという部分がもし解消される可能性が少しでもあるならば、手術をする方向で考えたいと今は思っている。
自分がパニック障害の時に感じる、マトモではいられない衝動というものを知っているだけに、母親のこの疼痛からくる耐え難き痛みからの精神的苦痛を何とかしてやりたい、と願わずにはいられないのである。
痛みは他人には伝わらない。
一番の問題はそこで、代わってあげられるものでもない。
だからこそツライのである。
この痛みをどうにかする事ができるなら、手術費用とかそういう事は後で考えて、まずはその可能性にすがりたい。私は真剣にそう思っている。

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副反応にダウン

やはり…というか、単純には収まらなかった。

38.5度に上昇

昨日、3回目の新型コロナウィルスのワクチン接種を実施した事をBlogに書いたが、その副反応は当日の夜から出始めていた。
最初、発熱気味といっても37.5度程度だったので、このまま推移して収まるかな、と思っていたのだが、一晩明けてみると38.5度まで上昇、しかも凄まじい倦怠感で起き上がるのもツライ感じの状態になってしまっていた。
おそるべし、モデルナ。
ま、予想通りではあったか
とりあえず、会社には行けそうな感じではなかったので、休む連絡を入れ、大人しくししている事にした。
今日の気温もまた微妙な状態で、暑いようで暑くなく、涼しいようで涼しくないという状態だったので、自分の体が熱を発している関係から、どちらというと暑く感じ、寝ていても暑いなぁ、と寝苦しさを感じていた。
熱以上に厄介だったのは、やはりその倦怠感。
とにかく体を動かそうとする度にダルく、動こうという意思を削いでくる。
そしてそういう時に困るのが食事などで、準備しなければと思っても倦怠感から動きたくなくなるので、食事の準備がままならないのである。
まぁ、最終的には食欲が押さえられなくなれば動かざるを得なくなるので、結局は動く事になるのだが、倦怠感が意欲という部分に大きく影響を及ぼす事は間違いない。
こういう時、一人でいるという事の辛さが身にしみるわけである。

伸び悩む3回目

だが実際の所、この3回目ワクチン接種は接種率があまり高くないらしい。
実際の接種率がどれぐらいなのかはわからないが、地方自治体によっては期限切れのワクチンが大量に発生して廃棄する事態にあるらしい。
ワクチンだってタダで用意されているわけではない事を考えると、恐ろしいまでに国費を無駄にしているように思えてならない。
一方で、60歳以上の国民には4回目接種の案内が始まっている。
新型コロナウィルスの感染による重症化を防ぐ目的の4回目は、予防を想定する内容が3回目までと異なり、コロナウィルスに感染しない事を目的としたものでなく、係ったとしても重症化を防ぐ、という目的に変化している。
この事から、ワクチンは完全にコロナウィルスに感染しないようにする、という事よりも感染しても重症化しない為に接種する、そういうものだという認識を持つ方が真っ当なのかもしれない。
その意識で考えると、若い世代にも説得の意図が見えてくる。というのは、若者の中には、かかっても重症化しないから不要、と考えている人が一定数いるからだ。
しかし、実際にはそんな事はなく、若い人でコロナに感染し、今度はコロナの後遺症で悩むという人が出てきている。
こうした事態にならない為にも、接種した方が良いと思うのだが、周囲にその認識を定着させるのは困難な事のようである。

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ワクチン3回目接種

いろいろ問題はあってもやっておくべき事はやる。

単独接種に赴く

こんな事ならもっと早くやっておけばよかった。
結論だけ言えばそういう事になる。
私は、新型コロナワクチンの接種に関して、2回目までの今までも母親の接種に合わせて周囲から随分と遅れて接種していた。
というのは、母親は単独で接種にいけないという事もあり、予約する上では二人を一緒に予約しなければならない、という状況にあった。
私の住んでいる自治体ではLINEで予約受付していたのだが、それだと私単独になってしまい、連続予約ができないという事がわかっていた。
だから2回目までも、電話で病院に予約を入れる事をしていたのだが、タイミングが悪い事に電話する度に「予約枠が埋まっています」と言われ、予約出来なかった。
結局、昨年8月上旬に1回目、9月上旬に2回目と接種できたのだが、周囲の職域接種を受けた人たちと比較して大凡2ヶ月くらいは出遅れるスタートだった。
そして3回目だが、2月に3回目の接種券が届いたのだが、母親が入院、結局この時点で3回目接種の予約を入れる事ができず、そのまま4月上旬に退院、そこから3回目の予約を入れようと動きはじめたところで5月上旬に母親が再び入院となり、3回目の接種予約がずっと出来ずにいたのが今までの経緯である。
現在、母親はまだ入院中なので、私自身の3回目をどうするか、随分と悩んだのだが、入院が長引きそうな事が判明したので、私だけ先行して3回目の接種を行うため、LINEで予約する事にした。
それが5月末ごろの話である。

LINEで予約して接種

流石に3回目は思ったよりもまばらな予約状況だったのか、LINEでの予約は簡単に済ませる事ができた。
本当はもう一週前に接種したかったのだが、既に埋まっていたのか予約できなかったので、本日6月9日に予約を入れた。
自分一人の接種なので、さっさと予診票などを書き入れ、準備しておき、本日、仕事を早退して接種に出向いた。
接種会場はいつも通院している市立病院で、もう最近は母親の入院などでも訪れる事が多いので慣れたものである。
ただの流れ作業だな…
問診を受け、そのまま接種順に並び、接種を受ける。
その後15分間、その場で待機し、様子を見て、帰宅。
もうただの流れ作業である。
私は1回目と2回目をファイザー社のワクチンを接種していて、今回の3回目はモデルナ社製ワクチンを半分の量で接種した。
というか、この市立病院では3回目のワクチンがモデルナ一択だったため、他に選択肢がなかったというのもある。
ただ、周囲の話を聞くと、1回目2回目ファイザー3回目モデルナという組合せは、副反応がスゴイという話ばかりで、普段から発熱しやすい体質である私からすると、一体どんな副反応がでるのか、心配でもあった。

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ココロの在り所

母親の入院、そして自分の仕事の問題等々、ココロが壊れそうになる。

病院にて現状を聞く

今日、仕事を中抜けして母親の入院している病院に出向いた。担当医から母親の現状の説明を受けるためで、今後の退院に向けて方針を打ち合わせる意味もあったのだが、退院した後の事などを見据えて考えると、とても喜ばしい状況という感じで言えるような結論ではなかった。
まず、ほぼ寝たきりになる事は確定事項となった。腰椎の圧迫からか、右足首が伸びきった状態になってしまい、現状では立つ事もままならない事となっていた。
実際には笑っていられないのがツライところ
リハビリをしても、回復の望みがまずないとの事で、腰椎の手術をした結果で場合によっては…という話だった。
その腰椎の手術についても、入院時に行う事が入院先の病院ではできないため、他の病院にて受ける必要がある事から、地方の病院というのはこういう時にうまくいかないな、という事を実感する。
また、このような寝たきりを視野に入れた場合、今後の介護に関しても状況が変わってくる為、認定区分をより高いものへと申請し直す必要が出てきたり、実際のヘルパーさんにお願いする内容や頻度も大幅に見直す必要が出てくる事になる。
だが、闇雲にいろいろお願いできるかといえば、決してそうはいかない。何事にもコストが係るので、どれだけのコストをかけられるのか、等と相談しながらの話になる。
こうなると、現状の住環境も見直す必要があり、引越しも視野に入れ、なおかつそこにかかコスト全体を見直す必要も出てくる。
引越しで厄介なのは、かつて我が家は自営業…というか会社登記をしていた関係で、会社の資材などを現在の借家に保有していたりするので、そうしたものの処分などもしなければならない。というか、ウン十年住んだ家なので、荷物がバカみたいに多いので、処分を業者にお願いしたりすると、そこでもかなりのコストをかけざるを得ない事がわかっている。
こういう事から、一度自分の環境の全てをリセットするレベルで今後を見据える必要がある。コスト的に許容できるかはわからないが。

転職はしなかったが…

今度は自分の仕事の問題。
先日、社長と上司で言っている事が異なるという事をBlogに書いたが、その事について社長から上司とどのような話になったのか、その経緯を聞く事ができた。
社長から、私を全く違う事に使用したい、と上司に説明したところ、上司が(私を)手放す事はできない、と強く言われたそうである。
…ここまで関係がこじれたにも関わらず、私を手放せないとは如何なる事か? と私も思ったが、結局は品質管理部門における業務で、品質管理システムの理解とその運用実績から、外されては困る、という事のようである。
現在、私のような業務を行う人材が少なく、また理解している人も育っていない、また後継となる人をアサインしていないという事から、私が抜けた穴を埋められる人がいないというのが大きいと考えられる。
社長からすると、こじれた関係でありながら、上司が私をそこまで必要と言うとは思っていなかったようで、しかも社長も自分が今後手を付けたい業務に私を当ててどのように進めていくかを考えていた事もあって、結構話し合いは揉めたらしい。
私からすると、必要とされるのはありがたい話ではあるが、それなら何故関係がこじれるような状況になったのか、またそうなる前にフォローされなかったのか、と言いたいところである。
なので、社長と新しい事を行う業務は、一旦おあずけになりそうで、しかも逆にQMSの管理業務をより多方面に広げるように言われ、私のストレスは逆に高まる事が予想される。
問題の解決どころか、より泥沼に入る結果となったので、私は社長には「より負荷が高くなる事はまちがいないでしょう」と伝えておいた。
社長は去り際に「また問題がでたら、すぐにおしえてくれ」と言ってくれたので、一旦は私も鞘に収めはするが、今後、おそらくそう遠くない内に、また問題は顕在化するだろう。

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介護の為に数万円の副業を

これができればかなり助かるんだが…。

現実を直視せよ

私の勤め先での業務に関して、いろいろな社内人間関係トラブルがあり、それに対応しているという事は、ここ数日の当Blogで書いてきた。
こちらはこちらで問題はありつつも、おそらく職場は現状維持になるだろう事は見えてきている。問題はその内容というだけの事である。
一方、それに繋がる話ではあるのだが、自分の収入と支出に関して、いろいろと問題が見え始めてきている。
その問題というのが、今後のバランスがマズイ方向に傾く可能性がある、という事である。
私が長年背負ってきた親の借金を完済してから、僅かながらではあるものの、貯蓄の方向に向かっていたのは事実である。
だが、ここにきて母親が連続の入院となり、今後介護という事を考えた時に、その貯蓄へと向かっていたバランスが逆ざやになるのではないか、という懸念が見えてきた。
正直、今の段階ではどうなるのかは全く見えないのだが、少なくとも順調に上向き、なんて甘い事にはならない事は確実である。
こうなると、メインPCの入れ替えとかそういう話は一切できない。現状維持で行くしかないだろう事は明白であり、どこで自分のデバイスアップデートを計るかなどは、後回しの話である。
まずは現実を直視し、生きる事の為に必要な予算がどの程度必要で、その予算に対して何をしていかなければならないかを、もっと真剣に考える必要がある。

介護保険

介護保険は、受給者に収入がない場合は、該当する介護票は原則一割負担という制度である。ただ、その介護の程度によって利用できる額が決められており、介護程度が低い場合は当然使える保険額も少なくなる。
先日、入院している母親の状況を少しだけ確認する事ができたのだが、体の自由度という面ではかなり制限されるだろう事が予想された。最悪寝たきりを覚悟する必要がある。
もっとも、下半身不随とかそういうのではないので、動けないのではない。ただ、歩く事は相当に困難と考えられ、そうなると介護費用がかさんでいく事は間違いない。
そしてこれは私にも影響のある話だが、母親が家事が出来なくなる事の弊害を考えて行かねば成らない。
今まで、家事とは無縁の生活をしてきたツケが回ってきた、と言えばそれまでだが、仕事と家事を両立し、なおかつそれらを規定の予算内に収めていく必要がある。
このように笑っていられれば良いが…
この時、本来ならお金の話だけでなく、メンタルの部分も重要になってくる話だという事は認識している。介護疲れで一家心中なんて話も笑い話ではない。
だが、今の時点ではまず予算を考える事になる。
実際問題、いくら必要で、どこまで自分でできるのか? という事を深掘りしていく事になる。

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母、再入院

先月退院してきたばかりというのに、再び入院という状況。

原因不明の腹痛

今日、母の腰椎椎体骨折の治療の為、整形外科の診療に出かけた。その事そのものは問題は無かったのだが、自宅に帰ってきてからの事である。
母が体を起こそうとしたら、左脇腹が痛いと言い出した。しかも座る事もできないぐらいの痛みで、横になって寝ていると痛みは治まるらしい。
しかし、その体制から変えようとすると、どうしても左脇腹の痛みが酷く、どうすることもできない状態となった。
このままでは私自身もどうすることもできないので、本人の同意の下、やむを得ず救急車を呼んだ。
状態等を救急隊員に説明し、運んで貰ったが、受け入れ先は本日通院したいつもの病院となった。
時間帯が既に夕刻に入っていて、病院側も日中対応でなくなった事から、対応いただいたのは当直の医師だった。
そこで医師の診断、血液検査などを行ったが、原因はよく分からず、また外傷も見当たらない、体制を変えられないという事から、そのまま入院という手筈となった。
医療費で頭を抱える日が来るとは…原因が全く分からないと言う事に違和感を感じつつも、確かにこのまま自宅に連れ帰ってもどうすることもできないので、入院は受け入れざるを得なかった。

入院の準備

というわけで、1ヶ月前の退院に続いて再入院である。
コロナ禍の対応という事で、基本面会はできないので、最初に必要なものを全部準備し、あとはレンタルで対応する事になる。
…これ、案外費用がかさむんだよね(>_<)
しかも、今回は原因が不明という事もあって、おそらく入院中はあらゆる検査が行われる。これらの検査費用も考えると、今回の入院は結構な金額になるだろうな、と。
正直、支払いは大丈夫だろうか? と心配になる。
私自身、メインPCの更新だとかモニタの更新だとかいろいろ考えていたが、またその予定が大きく狂う事になるだろう。
何か…自分で稼ぐ術をもっと持たないとダメなのかもしれない、と切実に思う。

緊急入院となったので、一定の受入が完了した後、私はそのまま帰宅した。
帰宅した後、一人家で考える。
支払いもそうだが、介護サービスにも連絡しないと行けない。
入院手続きなども明日になるので、明日も会社を休む連絡もしなければならない。
そうなると、明日予定していた業務をどうするかも考えねばならない。
怒濤の如く、やるべき事が積み上がっていく。
…正直、しんどい(>_<)

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