本日、私は会社を完全にズル休みした。
朝、連絡を入れた時は『体調不良の為』と言ったが、真意は他にある。
昨日、業務の中でどうしても許せないことがあり、頭の中で「転職も已むなし」と考えたからだ。
世界経済の先行きが見えない今、転職というのはかなりリスクの高い話である。
だが、これだけは言える。
才能のある人(言葉として適切でないなら「才能がマッチしている人」と考えてもいい)は、このような不景気な世ほど必要とされる。
そして才能がある人というのは、面白い事によほど業務的内容が異ならない限り、どの業種に行っても重宝される。
なぜそんな事が起きるのか?
私は自分なりの答えを既に持っているが、それは後述する。
話を自分の事に戻すが、昨日、私は私でなくてもできる事を一人でやらされた。
業務命令であるから、それを不満としているワケではない。
私でなくてもできる事。それは数人の座席の配置換えである。
普通に個人の荷物の移動なら、当然私の出る幕ではない。
しかし、昨今のオフィスはほぼ100%でPCが存在する。
そのPCの移動があるという一点において、私に配置換えを命じてきたわけである。
だが、PCをよく知る人にとっては、もはやPCの移動くらいなら詳しい人でなくてもできる事は知っていると思う。
電源ケーブルとモニターケーブル、USBケーブルとLANケーブル。つなぎ替えはせいぜいこれらのケーブルのみである。しかもこれらのケーブルは、その場所にしか挿さらない仕組みになっている。間違えようなどない。
だが、昨日の私は尋常ではない忙しさの中にあった。
朝から打ち合わせの連続でありながら、顧客からは見積り提出の催促が頻発、挙句の果てに他プロジェクトからの要請があり緊急会議に出席等々、とても平社員とは言えない業務をするハメになっていた。
「午後4時から配置移動をするから」と課長(女性)から言われたが、その午後4時には、私はまだ自分の仕事である見積りが全く出来ていない状態であり、しかもその時間は自分のプロジェクトの打ち合わせの真っ最中だった。
結局、私の業務を見ていて、移動開始時間は遅れる事になった。
移動開始とならないまま、結局午後5時を過ぎてしまい、もうそろそろ定時終了間際になった時である。
私は自分の仕事が終わらない為「PCの移動そのものは誰でもできますよ」と移動する本人に伝えた。
現に、前回移動した時は私が不在だったのだ。つまり、当人たちで出来る行為だったのである。
そう私に言われた当人は、そこでとんでもない事を言い放った。
「やって下さい。前に仕事手伝ってあげたじゃない」
この時、私の頭の中でリアルに「ブチッ」と音がした。
…後から考えれば、脳出血でなくて良かったと思ったほどである。
前に手伝った?
ああ、たしかに2回ほど受注処理を手伝ってもらった事はある。
だが、私は貴方(当人)の仕事を過去どれだけサポートしているんだ?
ここでは詳細には言わないが、当人の作業の効率はすべて私が最適化したのである。
もちろん当人もそれを知っている。だからこそ許せないのである。
こうなっては普段は何も言わない私でも平静ではいられない。
ただ、私もバカではない。
ヱヴァ初号機のように暴走してはマズイという状況判断はできる。…気持ち的には暴れたかったが。
なので、気持ち的には反発したいものの、自分の仕事を棚上げして移動作業を開始した。
だが、この作業中、私の平静をさらに荒立てたのは、その当人たちである。
実は、個人の荷物の移動そのものは、簡単に終了するのである。
というのも、ここ最近仕事が少ないため整理整頓を厳命されており、仕事に使うべき荷物はカゴ一つに収まっているのである。
だから、PC以外の移動というのはカゴを一つ移動させるだけ。
せいぜい、使っていた椅子に愛着があればそれを次の場所に移動させるぐらいが追加になるだけである。
当人たちはその移動を終わらせると、さも自分の仕事は終わったとばかりに帰り支度。挙句の果てに他社員(女性課長含む)と雑談タイムに入った。その当人以外の該当者などは休憩所に行って休んでいたという話である。
その状況を見ながら作業をしていた私は、当然平静でいられるワケがない。
平静でいられる人は、相当にデキた人だと思う。
別に移動作業がイヤだと言っているわけではない。
今回の事は私の心のスイッチを入れるキッカケでしかない。
1年ほど前から、私は自分の役職に見合わない責任と仕事を通達され、すでに通常業務内に収まる作業量を超過していた。
社員教育が全くなされていないウチの会社は、企業とは名ばかりで中の人材は小学生レベルと言っても過言ではない。いや、まだ素直なだけ小学生の方がマシかもしれない。
さらに長のつく人たちですら、教育が必要なレベルなのである。
その中にあり、平社員でありながらいろいろな業務を通達されるのは、私の才能を評価してくれた証とも取れるため、私は自分にできる事はやろうとがんばってきた。
だがここ数ヶ月、どう考えても『私に仕事を振っておけば適当にやってくれるだろう』的な状況が見えてきた。
何の決定権も持たない私に、公的支援機構の申し込み(決定権を持つ者でないと書けない項目をバックしても戻ってこない)をさせたり、人事的作業、総務的作業の数々を私にやらせ始めたのである。
それは、すでに私の才能を評価しているのではなく、やってくれる人に言って(やらせて)おけば後は責任もすべて移してしまおうという、体の良い責任転嫁&業務放棄である。
しかも長のつく人が私に仕事を振るだけでなく、同じ平社員でもその動きが見え始めた。
イイように使われ始めたか…と私が気づき、思うようになっていたのである。
このような内容の話をするのは、このBlogでは初めてではない。
前に語った時は、会社の経営者を相手にした内容だったと思う。
今回の話が以前のものと決定的に違うのは、同じ平社員からの動きが加わったという事である。
こうなると、私はただイイように使われるだけの存在だ。
もちろん、それによって会社から絶大な評価と対価があるのなら、私は何の文句もいわない。
しかし、実際には残業カットという作業量と反比例する待遇である。
たしかに今、仕事が少なく厳しい状況にあるのはわかる。
だが、そういう時だからこそ、才能あるものとそうでないものの差が明確化するのである。
同じ作業時間内でこなす仕事量の差は、才能(処理能力)で決まる。
こんなのはコンピュータでも同じ事である。
ただ、人間の場合は脳の性能以外に、その人の性格や神経的かつ人体的性能が加わるという事だ。
その性能差を評価と相応の対価に反映できない状況に、私自身の限界点が触れ始めたわけである。
私は今回の事をキッカケという位置づけにし、昨日の夜、上司(女性課長ではない)にメールを送った。
本当は経営者に退職願を出そうかとも考えたが、まず上司に今回の状況を説明し、これからの状況と私なりの対応を書き記した。
場合によっては経営者へと通達の後、然るべき対処に出てもいいという事である。
そして今日、どうしても許せないという気持ちのまま就労放棄したのである。
メールを読んだ上司から電話がかかってきたのは今日の朝9時頃。
状況はよく分かったとの事である。
その兆しがある事も分かっていたようで、仕事を多分に振っていた事は問題だったという答えが帰ってきた。
その人の言葉を借りるなら「ウチの会社はやらない得になっている」との事である。
全くもってその通りである。
その状況を変えなければならないとは理解しているようだったが、結局それが改善されるには社員全員のレベルの向上を待たねばならない。
このあたりが何ともしがたいところだ。
上司が最も恐れるのは、私が「辞める」と言い出すことではないだろうか。
だが、もうトリガーは引いてしまったのである。私はそう考えている。
最後に。
冒頭に「才能がある人というのは、面白い事によほど業務的内容が異ならない限り、どの業種に行っても重宝される。なぜそんな事が起きるのか?」という事に対し、私なりの答えを持っていると書いた。
ここに、私なりの答えを記しておこう。
実は才能のある人とそうでない人には、決定的な差が存在する。
そこには技術的な問題や知識的な問題はあまり関係がない。
あるのは一つ。
その人に想像力があるかないかの差である。
この想像力というのは、先を読む力と言い換えてもいいかもしれない。
結局の所、自分の業務の先を想像できるかどうかがその人の才能の全てに直結する。
よく「頭角を現す」という言葉があるが、まさにそれが「想像できた」という事である。
想像力がある人は、自分の作業を効率化するためにあらゆる想像をして対策をする。自分の持てる権利の中で、自分の仕事を最適化し、作業効率を良くするツールもしくは手段を作り上げる。
想像力のない人は、それができないから教えられた通りの事をいつまで経ってもやっていて(場合によってはそれも出来ない事もあるかもしれない)、身体的に速度が上がることはあっても劇的変化を起こしにくい。
もちろん、この同じ作業の繰り返しに特化する人もいるため、すべてがダメだとは言わない。
しかし、仮に職分が違っていたとしても、気がつく人と気がつかない人の差も、この想像力の差である事は間違いない。
だから想像力のある人はどういう状況下にあっても、結果的に作業効率が上がっていく。要するに仕事ができるようになるのである。
誰でも一番最初から仕事をバリバリできるわけではない。
こなしていく業務の中に、どうすれば楽になるか、どうすればもっと仕事ができるようになるかを見つけられるかどうかが才能の分かれ目になるのである。
以上、私の愚痴に付き合っていただいた。
おそらく、私と同じような状況だという人も多いのではないかと思う。
そういう愚痴をこぼす才能ある人たちだけが集まったなら…
そう考えると、自分で事業を興すのもいいかもしれない、なんて考えも出てくるというものである。
注:私に才能があるかどうかは別の問題である。
少なくとも、私は自分の事を無能だとは思っていない。
だから才能があるというワケではないのだが…
何ともやるせない状況ですね。
個人の能力を正しく評価出来ないのは日本の企業にありがちとは言え、当事者としてはたまったもんじゃ無いです。
そっくりな状況を見た事があります。それは、日雇いアルバイト。
時給なので現場に入る人間の給料は同じ。一生懸命働いてもサボっていても評価(=給料)には影響せず、まさにやった者損。
評価されないから向上心も責任感も薄れて行き、やがてそうする事が当たり前になって行く。
酷い悪循環ですね。
武上さんの会社にもそんな派遣員と同レベルの人がいるようで…。
この手のは上が動かないと変えるのは至難ですが、年功序列で生きてきた世代はなかなか動かないのが実情。理不尽なものです。
組合のある大企業や若手経営者、経営能力のある人は変りつつある世の中ですが、それはまだ一部の話だし。
私の会社も多々問題があって、知識のある人が組合を作ろうかと動いています。
なんでも個人から相談に乗ってくれる支援組織があるのだそうです(こんな業務指示や契約は法的にどうなのか、等)。
会社を考えて変えて行くなら参考になるかも知れません。
私もあまり人事では無いので、週末にでも意見交換(と言う名の愚痴りあい)しましょう。
頑張って戦いましょう。
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三国志のある話。
「先生、なぜ今の世には昔の張良のような良い人材がいないのでしょう?」
「それは人がいないのではない。人を見る目がないのです」
つまり、実際には良い人材はいるが、それを見抜く人がいない…という事。
今も昔も、良い人材を見抜ける人の方が人材より少ないという事なのでしょう。
だからといって、見抜かれる立場の人が悲観する事はないと思ってます。
正直、今もブチ切れてますが、何が何でも認めさせてやるという気持ちもあります。
ただ、対価に繋がらない事がどうにもならない状態なのが痛いところです。
ん~、私に絶対的権力を与えてくれればなぁ…
社内を綱紀粛正してやるのに(爆)
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