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レシプロ機が好き

 私は飛行機大好き人間である。…いや、車も好きだけど(爆)
 まぁ、ハッキリ行ってしまえば、ただのメカ好きなだけだが、飛行機の場合、ジェットエンジン搭載機もキライではないが、どちらかといえばレシプロ機(プロペラ機)が好きである。
 特に好きなのはもちろん零戦をはじめとした日本海軍の航空機であり、これら航空機含めた海軍戦力の悲劇的ストーリーは、私が改めて日本人だな、と実感するものである。
 
 その零戦だが、現在、所沢航空発祥記念館にて、零式五二型が公開展示されている。
 本当は3月31日までの展示で、4月1日からその所有元の米国へと搬送するために解体作業が行われるハズだったが、あまりの人気の高さから、展示期間を8月末までに延長した、という事で、現在も展示されている。
 この展示されている零戦五二型は、米国の航空博物館「Planes of Fame」が所有する、中島飛行機小泉製作所製のもので、1943年に製造されたものである。知っている人からすれば当たり前の話だが、零戦は結構な人が「三菱製」と思っているケースがある。もちろんそれも間違いではないのだが、正確には設計は三菱、生産は三菱と中島飛行機で、中島飛行機の方が総生産数は多い、というのが事実である。
 
 ちなみに零戦の設計者は三菱重工業の設計者である堀越二郎氏。今年の7月20日に公開予定の宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の主人公と目される人物である。
 この堀越二郎氏は革新的な設計をした人で、航続距離2,222kmの戦闘機(零戦二一型等)を設計した事でもわかるが、当時、この航続距離を実現していた戦闘機はほぼ皆無といえた(増槽があれば3,350kmというとんでもない航続距離を持っている)。
 しかしながら、零戦二一型は被弾ダメージが大きいという問題もあるのだが、それはそもそもの仕様に要求されていた事ではないらしい。つまり、パイロットの技術が高い時には大きな問題となっていないかったようで、零戦五二型後期生産型からは自動消火装置、さらに五二乙型からは50mm防弾ガラス、五二丙型からは座席後方に8mm防弾鋼板を追加し、防弾装備を追加している。

 話を元に戻す。
 この所沢航空発祥記念館で4月1日にエンジン始動&タキシング展示が行われた。
 通常の零戦ではエンジン始動は人力でクランキングするのだが、この五二型にはセルモーターが搭載されていて、セルによって栄二一型エンジンが始動するようになっている。

 エンジンは空冷星型14気筒(7気筒2列)約279,000cc(27.9L)、2速式スーパーチャージャーが搭載されたもので、その出力も1,130馬力と大出力だが、見た感じ、エンジン音は驚くほど大きい感じがしない。
 このエンジン動作を生で見たいという人は、8月末までの展示であと4回ぐらいは開催されるかもしれないため、下記サイトをチェックすると良いだろう。

「日本の航空技術100年展」
http://tam-web.jsf.or.jp/spevent/

参考:impress CAR Watch
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20130402_594122.html


 ちなみに、私は零戦以外にも震電が好きだったりする。
 未完の局地戦闘機だが、特徴なのは機体後部にプロペラを配した全翼型というところ。
 ただ、この前翼型はいろいろな問題を抱える事が想像できる仕様で、震電自身は全開テストを行う前に終戦になってしまった。
 まだまだ研究の余地を残したままのプロジェクト終了である。
 もし…歴史モノに「もし…」は禁物だが、この震電の開発がもっと進んでいたならば、もうちょっと歴史は変わったのかも知れない。

 そして私は軍用艦も好きである。
 太平洋戦争時の日本海軍の物語は、涙なくして語れない。
 日本は加害国ではあるが、命令に従って(というか従わざるを得ないのが辛い所である)ただ散っていった日本人も、ある意味被害者ではなかろうか?
 ま、こんな事が東アジアのある一定の人達の耳に入れば、不届き千万と言われるのだろうが、これだけは言わせて欲しい。当時戦った人達は、信じる信じないにかかわらず、戦わざるを得ない状況にいた。命令を拒否する権利を持っていなかったからであり、拒否すれば自らの命を危険にさらす事になりかねなかった。
 それでも拒否できる人は、この世にどれだけいるだろう?
 場合によっては家族も危険に巻き込む可能性がある。それでも自らの意思を貫き通せる人がどれだけいただろうか?

 戦争は一方の視点だけで語ってはいけないと私は思っている。
 いや、それは戦争に限らない。人と人との意思がぶつかり合う物事すべてが、双方の視点で見ないといけないのである。
 それをやってですら、相互理解ができるかアヤシイのだから…。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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2 Responses

  1. ruser より:

    戦闘機と軍艦が好きで車も好き。
    陸海空全部やんw
    それを人はミリオタと呼ぶのでは…w
    私も勿論好きですが、ミリオタと呼ばれるほどの知識も情熱も無い"にわか”です。
    所沢で展示してるの知ってたけど行かなかった程度に。
    しかしあれ、期間延長したのかぁ。
    ハワイ島の真珠湾にでも行かないと実物見る機会は無いだろうから、行ってみようかなぁ。

  2. 武上 より:

    やはり私はミリヲタでしたか(爆)
    何が好き? と聞かれると、実は一番好きなのは第二次世界大戦時の軍用艦で、その次に航空機、戦車と続きます。
    最近は戦車が熱いという人がアレのおかげで増えたので、この流れはまだまだ続いて欲しいですね。
    今年は「風立ちぬ」を始め、航空機の年になるんじゃないかと密かに期待。
    あー、光栄から「提督の決断5」が出ないかなぁ…と密かに期待してたりするが、国政状況からむずかしいのかな…

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