介護の恐怖

母が急な発熱。そして介護で感じる最悪の恐怖。

38.2度

本日は母の介護でデイサービスへ行く日だった。
私は送迎をお願いしているので、朝そのまま会社に出向き、デイサービスの施設の人が来てくれて、そのまま母を車椅子に乗せて運んでくれるのだが、そのデサイサービスの施設において、母親が発熱しているという連絡が仕事先に入ってきた。
しかも、施設の看護師の話では、病院へ受診した方がよい、という事だったので、病院へ受け入れの可否の確認を行い、母はそのまま病院の発熱外来に係り、その後問題が無ければ通常受診という形になるところまで話を進めた。
介護先の協力で、母はデイサービス施設から直接病院へ向かい、そこでPCR検査を受ける事となり、私は母がコロナ感染者でない事を前提に考えた上で、その後の通常受診に同行する事となった。
コロナ感染やインフルエンザ感染は認められなかったため、そのまま通常受診に向かう事になったワケだが、そこで私はある事に気づいた。
母が会話できていない…。
本日の朝までは普通に会話できていたのに、今はただうめくだけで言葉が発せ無くなっていた。
私はこの時、恐ろしいまでの恐怖を感じた。
母が何を求めているのかがわからない。
必死に訴えかけようとしているのに、それを理解する事ができない。
意識はあって、明確な意思もある母にとって、私に伝えたい事が伝えられないもどかしさは、想像を絶するものではなかろうか?
そう考えた時、もしこの先このままこの状態が続くとしたら、どうなるのか?
介護をしていくという事は、この先もずっと同じ状態が続いていくとはいえない事だという事を、まさに体感として知る事になってしまった。

入院するかと思ったら…

母を再度病院に連れて行き、通常受診が始まったが、検査の結果、先日入院した原因と同じ原因で発熱した事が判った。
尿路感染による血中白血球の増加、それによる発熱であった。
またしても入院に…
本来なら入院して、白血球減少の治療を実施する。前回はそうだった。
だが、その時の医師は、入院というリスクを考えた結論ほ出した。
入院すると、患者は体力的にも弱体化し、何とか歩けていた人が歩けなくなったりする事はざらにある。リハビリをしていても、実生活の動きには叶わないという事である。
ただ、母はもうベッドの上でしか生活できない体なので、入院となっても、その体力低下は最小限に留まるのだが、それでも医師は入院する事の弱体化を気にしてか、投薬による自宅治療、という結論にしてしまった。
医師の言っている事もわかる。なので受け入れるしかないのだが、問題は母との間で医師の疎通が難しくなっているという事である。
この状態で自宅に引き取って問題ないのか?
当初からこの状態で介護を始めているのであれば、対応もできるが、今いきなり医師の疎通が難しい状況で自宅に受け入れたらどうなるのか?
そんな迷いがありつつも、自宅に連れて帰るしかないので、診察が終わり、薬を貰って自宅に帰ることにした。

やはり恐れていたことが…

自宅に帰ってきてからも、母は何かを伝えたい意思を示しつつも伝わらない状態が続いた。
眠くなったのか、母は長時間にわたって眠り始めたので、寝て起きた時、状態がもどるかもしれないという甘い希望にかけて、しばらくそのままにした。
夕刻、ヘルパーさんがやってきて、夕飯を出して貰ったが、母は食欲がないのか、ほとんど食べないという状態となった。おそらく、単純に食欲がないというだけでなく、話せなくなった自分に落胆していたのだろうと思う。
その後、母はまた眠りについたので、そのまま様子を見る事にしたのだが、私からすると恐怖以外のむ何物でも無い。
体が不自由であるため、ベッドの上でもいろいろ世話をする必要がある。
体の位置を動かしたりする必要もある。その時には、母は自分でして欲しい内容を私に伝え、私がそれに応えるというのが、いつもの流れだが、今はそれができずにいた。
実は、前回の入院時にも、母が話せなくなるという減少は起きていた。
しかし、入院して3日ほど経った時、母はしゃべれるようになっていた。何故回復したのかはわからないが、自分から私のスマホに電話をしてきたぐらいになった。
今回も同じであってくれ…。
私はそう願うしかできなかったし、それ以外の対策を思いつくこともなかった。

というわけで、今まさに介護における恐怖を感じている。
伝えたい事が伝わらない、知りたい事が得られない事の恐怖。
介護を続けていれば、全ての人が、何時の日か同じような事を感じる事になるだろう。
今後、どうしていけばいいのか?
未だ私は答えを見つけられずにいる。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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