Kanon DVD最終巻が今日届いた。
これでとりあえず京都アニメーション製Kanonは最後となったワケだが、オリジナルのゲームが発売されてすでに8年が経過している作品が未だこうした形で展開されている事のすごさというのは、この道を進んできた人間なら誰もが思うことである。
こんな作品の関係者でいられたら…そう思う同業者は多いだろう。
京アニ版Kanonはそのデジタルエフェクトに魅力があるだけでなく、ストーリーを含めたすべての構成にこそ神髄がある…とおそらく自称アニメオタクと呼ばれる人たちは言うかもしれない。
たしかに、その構成の美しさ、間の取り方…それらすべてを含めた演出という部分だけを取り出しても、既存の作品と比較してトップレベルだと思う。
ただ、ストーリーとキャラクター設定において個人的好き嫌いが出てくる可能性は十分あると思われるが、純粋に一つの物語として観た場合、これだけの演出を含めた作品はそう多くないし、テーマとイメージを見事に形に出来ている作品としても希有な存在である事だけは、個人的好き嫌いで嫌いと判断した人にも認めてもらいたい部分ではある。
AIRと比較する人もいるかもしれないが、作品としてのバックボーンは断然AIRの方が懐が深い。
しかし、私はAIRよりKanonの方が作品としてのまとまり方として評価しているし、AIRはその懐の深さが逆にスケールが大きすぎて私的に一歩引いてしまうところがある。
だからかもしれないが、このKanonのイメージ的な魅せ方にあこがれるところがあり、前々職の頃は一つの到達点として目指していた時期があった。
オリジナルのゲームを始めて観た時、あの雪のイメージを見せるテクニックが、実は別段すごい事をしているワケじゃないだけにショックで、演出という部分の自分の至らなさを痛感した時期もあった。
そういう事もあって、このKanonのという作品に対する私の思い入れは、一人のファンという枠には収まっていない。
変な表現だが、Kanonは一つの教科書的作品と観ているのかもしれない。
その教科書的作品がある種究極の形となったのが、この京アニ版Kanonであり、その最終巻が出た事で、私の中での何かが一つ終わったかな、という気持ちでいる。
8年越しの完成。
途中、私的憧憬イメージは他作品に感化される事も多々あったが、それでも毎回原点復帰するとKanonに戻っていた事を考えると、それはそれで恐ろしい事とも言える。
多分…私と同じ時期に同じ業種にいた人なら、この気持ちはわかるかもしれない。
Kanonとは、一時期確実にそうした層を作り上げた作品なのだから。