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この時期にもらえるのはある意味幸せなのかもしれない

 今日、世間一般で言うところのボーナスなるものが出た。
 不安要素満載な日本経済の中にあって、これはある意味幸せな事なのかもしれないな、と思いつつ、中身を見て「ま、人生そんな上手くいかないよね…」とつぶやくワケだが、もらえないよりもらえる方が良いのに決まっている。
 そういう意味では小さな幸せをかみしめる事になるのだが、実は今回のボーナスに関して一つ気になっている事がある。

 普通、ボーナスは会社から支給される基本給与をベースに、会社側がその社員を評価した査定が加わり最終的な金額が決まる。
 この会社側の社員評価という部分で、気になる所があるのである。
 それは、私の査定が同部署内で一番下であって欲しい、というものである。
「アンタ、バカァ?」
 某アニメのキャラではないがこう言われても仕方がなく、実際問題、今回の私の査定は最低でなければいけないのである。

 私は営業管理部という部署に所属しているが、今の私は営業としてはもっとも売り上げ額が小さく、また新規顧客の開拓もできず、挙げ句の果てに今年の展示会では責任者の立場にありながら、例年の結果を遙かに下回る最低の結果を残してしまったのだ。
 だから評価が高いわけがない。他の会社なら下手すれば閑職に左遷されても文句の言えない状況である。
 こんな状況になってしまったのは、偏に私の能力不足によるものだ。
 業務遂行能力、指揮能力、危機管理能力、そして柔軟な発想を怠ったというのもあるだろう。しかし今回特に問題なのは指揮能力。責任者を任されながら、管理を疎かにしただけでなく、他のメンバーを指揮する段階でミスキャストをしたり、間違った指示を出したりと、とにかく良くない結果を招く原因を作ったと言える。
 こんな私だから、今回の査定が高いワケがなく、また高くあってはいけないのである。
 正直、自分の能力がこんなもんだったかと、自信喪失する程、今回はダメだったのである。


 しかし、今私のいる会社は、変な評価が下される所がある。
 それは成績が残らなくても、ある種“自律”した社員はそれなりの評価が得られるのである。
 この“自律”というのは“自立”というのとは異なる。
 あくまでも会社の方針に沿った上で、その時最善と思われる判断をして行動をする、という意味で私はあえて“自律”という言葉を使ったのだが、この“自律”行動がとれる社員は成績もさることながら、その行動判断において比較的高い評価を得られてしまうのである。
 私の前々職だと考えられない話である。
 結果が全て。
 それが私の前々職のスタイルであり、企画屋なんてものはまさしくそうなのである。
 しかし、今の会社はそうではない。“自律”ができていればそれなりの評価になるのだ。
 もちろん会社の方針に沿った行動ができる“自律”行動が採れる事も重要な事の一つではあるが、この“自律”行動が採れる事が、残した結果を飛び越えて高評価になるというのはかなり間違った話ではないかと私は思っている。
 もちろん、会社側は全体のベクトルと合わない行動は評価しない。だから自律という行動に関してそれなりの評価があるのも間違いではない。だがこれが最優先になってしまう事に問題がある。

 一番高評価になるのは“自律”活動ができ、かつその活動に対し職分を超えず、また超えそうな時に然るべき筋に連絡・報告でき、自らの活動に問題が発生した場合はその問題を報告し、自らの職分内で解決できる打開策を講じる行動である。これらの行動は“自律”に対して“自立”と表現できるだろう。
 これが出来れば会社側は間違いなく高い評価をする。成績が高評価ならさらに評価される事間違いない。
 また、人に指示を出せる立場となれば、自らの成績より指示を出せる人間を含めた全体活動の結果で評価され、それが成績としてマズイ結果ならそこに責任が発生し、その責任を取る事が一定の評価となる。
 大体これが普通の企業の高評価基準(および事後評価基準)だと言える。

 だが、残念ながら私の今いる会社で前述の評価基準となる人材は多分いない。
 非常に残念な話だが、上司といえる人達の中にもいないだろう。
 こんな事を言うのは間違いかもしれないが、責任という言葉を持ち出してしまったなら、今の上司の全てが評価されない人達になってしまう。
 だからかもしれないが、前述したように“自律”した社員が一定の評価を得られてしまうのである。つまり、その“自律”した行動がとれるというだけで、人間評価が高くなってしまうのである。

 社会性と言った方がいいのか、それとも人間性と言った方がいいのかはわからないが、とかくそこにモラルと高い意識を持った存在が、今いる会社では高く評価される流れがある。
 もちろん、私がそれに適合して評価されている、とは言わないが、以前、私はこの分野だけで評価された事実・実績がある。
 こんな事、ここで公表するものではないのだが、今回、もしこの分野で私がそれなりの評価・査定をされているようなら、そんなのは願い下げでしかない。いつまでもこんな事で評価されて喜んでいられるか、と。
 だからこそ、今回は結果として残せるものが何もなく、またミスばかりが目立った状況であるから、同部署内の他の人よりも評価は低くなければならない。

 他の人がどんな評価をされ、どんな結果だったのかを知らないため、現時点で私の評価がどのポイントにあるのかはわからない。
 また、会社側が私のどこを評価したのかもわからない。ひょっとしたら最低の評価かもしれないし、それならそれで私の心配は杞憂になる。
 ただ、ホントのところがどうなのかは、どこかで確認する必要がある。
 というわけで、来週あたり、直訴して聞いてみようと思っている。

 願わくば、がんばって結果を残した人たちが、ちゃんと評価されん事を。
 綺麗事でなく、この事がよりよい組織を作る糧となるのだから。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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2 Responses

  1. 関西の人 より:

    成果主義の会社はまだまだ少ないわけで。
    その中でも、自分の責任を認識できてない人も多いかと。
    まさに、自律神経失調かw

  2. 武上 より:

    成果主義…うーん、たしかに結果を基準に考えるという意味では、私が考えているのは成果主義的考え方なのかな?
    ただ、今の日本の製造業はこの成果というものを基準に考えるようにしていかないと、会社そのものが立ちゆかなくなる可能性が多々あるわけです。
    そして私が今勤務している会社は「今の日本の製造業の進むべき道」をよく考えないといけないと豪語している会社なワケで。
    だとしたら、ある意味成果主義を実践しないと次世代のビジネスモデル確立など出来ないワケですよ。
    ま、そうした成果主義以前の問題で、自己の責任区分を認識できてない人が多いのも事実でして…。
    あと、責任を取るという事の意味もなかなか理解されていない面もあり…って書いてみると、ますますダメな感じがしてきた orz

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