父親、倒れる

 倒れると言っても、文字そのままの事。
 意識がなくなったワケではないし、物理的に倒れたという事を先に明記する。

 今から数ヶ月前から、ウチの父親の顔つきが変だという事に気づいていた。
 締まりがない…というか、浮いたような感じ。
 腫れている、というには大げさになるし、かといって普通と言ってしまうのも違う、そんな感じだった。
 ところが、いつも一緒に住んでいると、変化が進行している事に気づきにくいのも事実で、ここ数ヶ月で実は大きな変化が訪れていた。
 その腫れがより深刻になっていたのである。
 そして私が今日家に帰ると、父親が昼間に通っていた整形外科の町医者で倒れたという話を聞かされた。
 その町医者はあくまでも整形外科が本業で本人の意識もある事から、家に連れてくる所まではしてくれたようで、実際父親も意識はあったし、話す事もできていた。
 ただ、ここにきて私が初めて気がついた事が一つあった。
 話す言葉が聞き取りにくいのである。
 聞いた感じでは、呂律が回っていないという感じではない。ただ聞き取りにくいのである。
 そしてその内容を聞いて衝撃の事実を知った。何と、かかっている内容は違うにしても複数の病院(医者)の手にかかり、それぞれの病院で今服用している他の薬の話を一切しないで新しい薬をもらい、それらを同時に飲んでいたというのである。
 そして今日、何だか熱っぽいという事で市販の風邪薬を飲んだとも言っていて、それらが原因なのかどうかは分からないが、妙にふらつく、というのである。
 市販薬ではそこまで強力な成分は含まれていないとは思うが、少なくとも医師が知らない薬の飲み合わせがある事は確かだし、それに市販薬が絡んでくると、何が起きても不思議ではない。
 姿を見ると確かに変なのは分かる。本人は翌日に病院に行ってくる、と言っていたが私としてはコレは普通ではないと感じ、即座に市立病院に連絡した。


 時間的には時間外になる午後7時ごろ。
 当直の夜間受付は新人のようで、どうも電話口の対応にキレがない。…私の後輩にあたるだけに、細かい所にツッコミを入れてしまうが、病院の窓口はキレが悪いと患者側がキレる事がある。診てくれるのかくれないのか、その確認時間さえ緊急を要する事があるからだ。
 当直の医師は外科のようで、詳しい検査ができないとまず言われた。それでもとりあえず薬の組み合わせくらいは確認してくれるとの事で、それだけでも良いと思って病院へと走った。
 病院の前で父親が車から降りようとする際、父親がそこでいきなり倒れた。どう考えてもまともに立つ事ができない感じで、ふらつく、という事を通り越した歩行できない状態だという事がその場でわかる。
 すぐに車いすを準備して座らせ、受付を済ませた。
 この病院では当直医師のやる事は多い。何と言っても基本的に入院患者の対応と同時に救急外来の対応をしなければならない為、救急外来は診察まで待つことも多い。この辺り、過去にこの病院の夜間受付をしていた為、事情をよく知っているだけに文句の言えない所である。
 だが、意外と医師が来るまでに時間はかからなかったが、医師は父親をひと目みて“普通じゃない”という事は分かったようで、とりあえず私は今飲んでいる薬の全てを医師に見せた。
 実際に薬剤師に薬の詳細を確認してもらわないといけないという事で、その確認をしているまでにレントゲンを撮る事になった。

 だが、このレントゲン撮影にも問題は多かった。
 何しろ立ち上がる事が困難なのである。
 撮影までは何とかできたものの、撮影台に横になったようで、そこから車いすに戻るまでに介護同然の扱いをしなければならなかった。撮影台から半身を起こすだけでも大変で、マトモに座ってもいられないのである。抱きかかえるようにして立たせるが、足がまともに機能しておらず、車いすに移る事ができない。レントゲン技師もマジキレしそうな勢いだった。
 …まぁ、こんな状態の患者に対してマジキレしそうになる病院関係者という時点で、このレントゲン技師もダメなワケで、病院に抗議しようと思えば出来るくらいの対応だった。ま、しないけどさ…。

 レントゲンだけ撮って終わりかな、と思っていたら、当直看護師が血液検査も行うという事で採血にきた。
 もともと糖尿病を煩っており、その薬の影響でふらつく(つまり低血糖)事もある為、それを調べる意図があるのだろう。
 その後、しばらくしたら今度はCTスキャンした方が良いという判断が出たようで、今度はCTスキャンという事に。
 精密検査しないという話だったのだが、何だか検査が増えていく辺り、何か問題があるに違いないという予感がわき起こってきた。

 それからどれくらいの時間を待っただろうか?
 いろいろな検査の結果を、医師がまず私に説明したいと、私だけ呼ばれた。
 そこで言われたのは、父親が心不全だという事だった。

 というか、その前に私は診察室に入った、いや医師の前に張り出されていたレントゲン写真を見た段階で異常に気づいた。
 心臓のある場所が変なのである。普通、肺と心臓がレントゲンに写っていたとするなら、ほとんどの場合で肺の占める面積の方が大きい。だが、その写真は明らかに心臓の大きさが大きすぎるのである。
 過去、私も経験した事があるが、心臓が肥大化しているのである。こうなるときは何かしら別の要因があってこうなる。私の時は交通事故に遭遇した時のショックが原因だった。
 医師から、まず心臓肥大化の話をされ、次に腹部のガス、内臓の各所に水が溜まっている等々、問題となる箇所が次々と話された。
 そして、この状態では帰宅させる訳にはいかない、と。要するに入院である。
 だが、今この病院のベッドに空きがない、という事で、隣の市の市立病院に受け入れ要請をしてくれたという事で、結局隣の市立病院への入院となった。

 隣の市立病院に行くまでも、私の車で父親を運ぶ事はできないと言われ、結局救急車で父親は運ばれる事となった。当直の看護師は救急車に同乗してくれる事となり、私は自分の車でその病院まで行くことに。
 私はその場ですぐに自宅に電話して、経緯を連絡、すぐに入院の準備を進めてもらった。
 病院に行くと、既に父親は医師のチェックを受けていた。ちょうど病室に運ばれる所で、私にもいくつか質問をされた。まぁ、今いる病院にかかったことがあるか、とかそのレベルである。
 この時の時刻は既に22:40を過ぎた辺りで、この後看護師が対応に走り、それらがある程度分かるまで私は待つこととなった。さらに、その後この病院の当直病棟看護師から、経緯や詳細の説明を求められる事となったのだが、私が自宅に戻ったのは日付変更をした後の話だった。

 ちなみに父親が心不全になったのはこれで2度目。
 前は今よりも症状は軽かったが、今回は結果から見れば重篤化していたと言っていいかもしれない。
 この一連の状態で、一命を取り留めた事を喜ぶべきはずなのだが、家族からするとそれだけの話に留まらない。
 汚い話かもしれないが、ここから費用が発生するのである。
 隣の市への入院という事で、受けられる保険制度の一つを失う事となった。しかも最近は空きベッドを作るため、高額医療保険制度を受けられる金額に達する前に退院というケースが少なくない。おそらく、今回もその病状の回復傾向によっては、1週間くらいの入院で退院、というケースになる可能性もある。
 そうなると、結構な医療費になる事は間違いない。我が家の稼ぎはほぼ私の一人が担当している以上、その負担は私にそのまま跳ね返ってくるワケだ。

 父親がこんな状態になったのには理由がある。
 これはもう自分自身の問題、つまり自業自得以外の何物でもないのである。
 とにかく何もしない。こんな状態が数年続いているのである。筋力は衰え、思考は落ち込み、健康になる要素の欠片もない。
 こんな生活を続けていれば、体を壊す事は自明の理である。
 そして本人以外に悪いとするならば、家族、そして私である。
 私は実は2ヶ月に1度くらいは父親に対して感情を爆発させる事がある。それは誰の為でもない、父親の為にしているのである。今の不摂生な生き方に対する爆発である。
 ウチはあと5年は父親に死んでもらっては困るのである。それは経済的な問題だ。
 私がこの地に戻ってくる事となった理由を作ったのは両親だが、その際、私の名前が利用されていて、私が経済的に追い込まれる事となった。
 つまり、私
の両親は私の未来を完全に奪ったのである。大げさと思うかもしれないが、背負ったものを考えればそうとしか言いようがなく、そしてこれは避けようのない事実だ。
 私は両親の為にこの先を生き続け、それらが完済された後に私に残されている人生がどんなものになっているかを考えれば、まさに両親の為に生きてそのままひとり朽ちていく事が容易に想像出来るのである。
 いわば、私の人生はもう未来日記が出来てしまっている。そこに希望や光なんて言葉はほぼない。
 もし、何かしらの不確定要素で大逆転があればその未来日記は大改訂する事になるが、そういう奇跡とも呼べない不確定要素を普通は信じる事などできようか?

 ま、最近の私も決して質素な生き方をしていたとは言えない。
 私自身にも自制する心が薄れていた事は否定のしようがない。そこは私も自らを律しなければならない所である。
 それを自らに課す事は自分の事だからできるが、父親の内面は私が最終決定する事はできない。それは彼自身の問題であり、覚悟が必要なところである。
 今回の入院で一命は取り留めた。
 だが、問題はこれからである。
 どうやって生きていくか?
 それは病院にいる父親が、という事でなく、我々家族が、という問題であり、父親が戻ってきた後彼自身がどう生きていくか、という事である。
 そして私はその背負ったものをこれから先どう処理していくのか? を再び検討しなければならない。今から2年前に、整理したハズの問題に再び直面する事のむなしさたるや、並大抵のことではない。

 そんなワケで、今の私はデモンズソウルやダークソウル以上に“心が折れてしまいそうだ”という感情をリアルで感じている。
 それから考えれば、デモンズソウルやダークソウルなど大した問題ではない。リアルである事の重みを考えれば実に稚拙な事である。

 …そういえばダークソウルは封を切っていなかったな…積みゲーになってるなら、今プレイしても耐えられるような気がする(爆)
 そんなワケで、ムダにしてしまっているものを処理する生き方にしばらくはシフトしていこうと考えている。さて、どれだけのものをムダにしてきているのか…。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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