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ラブプラスに見る現代の危険性

初日、2万2,000本しか売れなかったと言われているNDS用ソフト“ラブプラス”だが、あれから一週間、ネット上では異常なまでの盛り上がりを見せ、一部では品切れの為にラブブラス難民が出る始末。
これは決して全体的に入手難なのではなく、単に限定地域における特殊な現象であり、ちょっと郊外に行けば、普通に売っているソフトでありながら、何故か限定地域で購入しなければならないかの如く、その地域だけが品不足に陥っているという異常気象みたいな状態である。
しかも、その限定地域ではラブプラスの中古ソフトが新品の定価と同じレベルにまで引き上がっており、その異常性が尋常ではない事を如実に語っているように思う。
そしてその異常性はこんな所にまで姿を現した。

9月10日の産経新聞なのだが、ラブプラスが大きく掲載されている。


掲載した産経新聞でも、ドラクエやFinalFantasyならいざしらず、まさかラブプラスを記事にするなんて日が来るとは思っていなかっただろうが、それだけラブプラスが異常な盛り上がりを見せているという事なのだろう。
ラブプラスを発売したのは、コナミデジタルエンターテインメント。
実は、このコナミデジタルエンターテインメントは、恋愛シミュレーションゲームの元祖(元祖は別にあるという人もいるが)“ときめきメモリアル”を発売したメーカーで、通称ときメモという言葉を根付かせ、ゲーム界にこのジャンルを定着させたメーカーでもある。
ときメモが発売されてからの数年間は、恋愛シミュレーションゲームを出せば(絵がそこそこ綺麗であれば)何でも売れるという状態だったが、その後この手のゲームはパラメータで全て決まるという特性から、段々飽きが来てしまい、根こそぎ売れなくなるという状態になった。
もちろん、これでこのジャンルが完全に姿を消したという事はないのだが、明らかに市場規模が小さくなったのは間違いが無く、その後売れたのは格闘ゲームとシナリオがしっかり構築されたサウンドノベル系、そしてビッグタイトルのRPGと、大体これら3つのタイプへと移り変わっていった。
そしてその流れも今では変わり、ゲームという市場そのものがある種一つのベクトルしか持たなくなった今、恋愛シミュレーションの大御所であるコナミデジタルエンターテインメントが、再び恋愛系ゲームに再登場となったワケである。
だが、先に言っておくと、このラブプラスは恋愛シミュレーションと言い切るにはちょっと問題がある。
先日も書いたが、このゲームは普通の恋愛シミュレーションゲームとは明らかに違うところがある。
それはヌルさであり、ユーザーに対して決して逆らわない姿勢である。
従来の恋愛シミュレーションゲームは、パラメータという数値で合格不合格を決める、ある種のシビアさがあった。
このラブプラスにもそうした部分がないワケではないだろうが、概ねユーザーが望む姿になる(ハズ)。
これがどういう事を意味するのかというと、ユーザーのゲームに対する姿勢がよりヌルくなったという事。つまり、がんばらない程度にがんばるという、ゲームというよりは雰囲気を単に味わうような環境を求めるためのシステムへと変化した事を意味する。
つまり、ゲームとして見てはいけないスタイルがラブプラスにはあると私は見ている。
この現象は、ゲームだけに現れている現象ではない。
昔、プラモデルというのは自分で作り、塗装をする所まで普通に求められたが、今では塗装済みのモデルが存在しているばかりか、完成品が普通に売られている時代となった。これはフィギュアも同じ。
PCも昔は自作する人が意外と多かったが、今ではベアボーンキットすら少なくなり、ほぼ自作のような作りの完成PCがいろんなメーカーから発売されている。
つまり、今という時代はユーザーに一定以上の思考や作業を求めてはいけない時代になったという事かもしれない。
もちろん、私はこの流れは非常に危険な流れと見ているが、売れるか売れないかという商売的視点で見ればどうすればいいのかは分かるし、そちらを選ぶだろう。
ユーザーに一定の思考と作業を求めてはいけない、つまり、ナニかを作る“クラフト”的動作が、今の人々から消えかかっているのかもしれない。
だが、今の人々からクラフトという言葉を完全に奪ってしまう事の危険性は、多分私のような人間が語るよりももっと高名な先生が語ってくれれば効果もあるかもしれないが、今の世の中、その危険性から赤信号を放っているように思えて仕方がない。
世の男の子がクラフト精神を完全に無くしたとき、モノ作り国家日本は完全に危機に陥るだろうし、日本が世界に優位に立てるポイントを失ってしまうように思えてならない。
ラブプラスからここまでの事を考える私も異常かもしれないが(爆)、実際、今の世の中はユーザーに対して優しすぎる時代に突入した。
この部分を深く語り始めると話がもっと難しい方向に向かうため、今回はココで止めておくが、少なくとも最近のゲームが昔のゲームほど難しくなくなった背景も、ここに原因があるように思えてならない。
この流れ、本当にこのままでいいのだろうか?
まぁ、だからといって私にはどうする事もできないのだが…。
PS.
産経新聞記事の左端にある今週のネット語に注目(リンク先画像)。
「俺の嫁」って、そんなの一般紙に書いていいのか?(爆)

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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