米国で発売されたiPad

 4月3日、米国でiPadが発売開始した。
 今回発売されたのは、Wi-Fi版で単体で通信できる3G版ではないが、それでも米国ではかなりの数のiPadが流通したのではないかと思う。
 ちなみに3G版は4月末ごろの発売になるだろうと思われるが、問題は日本での発売。
 4月下旬といわれているが、ちょうどその頃に米国では3G版が発売という話になる。
 流通量から考えると、かなり厳しい状態なのではないかと勝手に予測したりする。

 このiPadだが、iPhoneアプリのほとんどが動作するという事で、発売当初からかなりの数のアプリに恵まれた端末になると思われる。
 問題はその使い勝手で、これはこのBlogでも前々から言っている事だが、日本人のライフスタイルに向いた端末かどうかでその評価が分かれる事になる。
 良く考えてみて欲しい。
 電車に乗っている時、目の前の人がiPadで電子書籍などを見ている姿を。
 違和感なく受け入れられるだろうか? かなり目立つ事は間違いないのではないだろうか?
 そして自分がその同じ行動が出来るか? という事。
 多分、ほとんどの人がiPadを使うよりはiPhoneなりiPod touchを選択するのではないかと思う。
 iPhoneにしてもiPod touchにしても、その大きさ故に胸ポケットに収まり、取り回すにしてもケータイとさほど変わらない為、違和感なく受け入れられるのではないかと思う。


 だが、これはあくまでも都会で使用するスタイル、しかも電子デバイスを使い慣れている人間の目で見た感覚だ。
 もしこれが東京のような過密都市でない場合で、しかも使用者が電子デバイスを使い慣れていない、言い方を変えればケータイもメールと電話ぐらいにしか使わない人だったらどうだろうか?
 おそらく、iPadの画面の見やすさと直感的なな使い方は、その人に革命をもたらす可能性がある。
 こんなことを私が言うのも変かもしれないが、私はiPadは電子デバイスに慣れていない人にこそ変化を与えるデバイスだと思っている。
 ネットブックが流行った時、ネットブックとは何ぞや? という人が価格の安いノートパソコンだと思って購入していた。実際、ノートパソコンの性能を使い切らない人からすれば、まさしく価格の安いノートパソコンという使い勝手で間違っていない。
 しかし、そのパフォーマンスから考えればネットブックはあくまでもネットブックであり、ノートパソコンはパソコンがノート上になっているものである。
 この違いを、電子デバイスに強い人は明確にする事ができるだろうが、もともとそんな事に興味のない人からすれば、見た目もノートパソコンのネットブックはノートパソコンと同義であり、ネットが出来てメールが出来て写真のちょっとの編集や管理が出来れば問題がないデバイスである。
 つまり、使えればそれでいいのであり、その使い方に難しさがなければ良いのである。
 そうなると、このiPadはそういう人たちにすれば価格的にもネットブックと変わらず、それでいて小難しいキーボードを使わずにすみ、しかも直感的に画面で操作できるデバイスという事になる。
 しかも画面の大きさは9.7インチとネットブックとあまり変わらない。
 カバンと一緒に持ち歩けるサイズで、厚みも薄い。
 ちょっとした使い方であれば、こっちの方が使い易いかも…そう受け入れられる可能性が非常に高いデバイスではないだろうか?
 iPadを評価する人は、ほとんどが電子デバイスに詳しい人であり、iPadに関わらずいろんなデバイスを使いこなせる人だ。
 また専門家でなくても、ネット上でiPadを評価する人もまた然りである。
 つまり、自分の環境や使い勝手中心で考えているため、自分としてはiPadは大きすぎるデバイスで、あの大きさならもっとスゴイ事が出来なければ意味がない…そう考える人が多くなるのではないかと思う。
 AppleがiPadを発売して実現しようとしている事は、全世界の電子デバイス好きに向けて発売しているのではなく、全世界の普通の人にもっと電子デバイスを使って欲しいという意味で発売したのではないかと思う。
 ケータイサイズのiPhoneやiPod touchは、どうしてもその大きさからケータイなどの電子デバイスに特化した人に向けたメッセージが強いような気がする。
 iPadはもっと普通に生きる人への電子化メッセージ。
 私はそう思えてならない。
 私がそう思い始めてから、私はiPadを見る目が変わった。
 特にこの画像を見たとき、私は一般層にはこれこそが新しいネットブック文化になるのではないかと感じた。

 キーボードをタッチタイプできる人からすると、テキストはキーボードを打つ方が早い。
 だが、タッチタイプできない人はそれ故にキーボードが煩わしくなるが、なければないで困る事が多々ある。
 だがこのスタイルは必要な時キーボードを使用して、不要な時は画面にタッチで事が済んでしまう。
 しかも持ち運ぶ際には書籍感覚で持ち運べる。
 この持ち運びの感覚を従来のケータイなどと同じように考える事が間違いであり、車で移動する人がカバンと一緒に持ち運ぶ事を前提としたならば、iPadの持ち運びの意義が見えてくるような気がする。
 まぁ、最終的には使う人の感覚であり、個人の予測の範囲の話になってしまう。
 繰り返しになるが、このiPadをその筋の人が評価してしまえば、あまり好印象なデバイスではないと思う。しかし、もしこれが一般層だったなら、見え方は相当に変わるはずだ。
 まして電車移動と切り離してしまえばもっと変わる。私にはそう思えてならない。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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