ヱヴァンゲリヲン、観るの忘れてた…

 4月24日に発売となったヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qだが、Amazon.co.jpから発売日に届いて今迄ずっと放置していた。
 同時に届いたGIRLS und PANZERのBDはすぐさま観たのだが、コチラは届いていたことすらすっかり忘れていて、今日になって観ていない事に気づいた。
 折角買ったワケだし、劇場でも観ていないのだから観なきゃいかんなぁ…と、さほど観たいという思いもないながら、観てみた。
 先に言っておくと、あらすじの大方は知らないワケではない。
 実際に14年後の話になっているという事も知っていたし、新キャラがバンバン出てきてアクションが激しいという事もよく知っていたのだが、まぁ、百聞は一見にしかずというヤツで、観なきゃ真実は分からない。
 で、実際に観てみたワケだが…私の口から出てきた言葉は「なんだこりゃ?」が精一杯の言葉だった。

 多分、この作品に関して監督が言いたかった部分、表現したい意味は、TV版の頃から変わっていないのだろうという事はわかった。
 テーマは何も変わっていない。ただ、ストーリーが大幅に変わり、キャスト(ここで言うキャストはあくまでも登場人物という意味)が大幅刷新され、演出されるべき対象すら変化した、という事に過ぎない。
 だが、人はそれを「まったく別物」と表現する。
 ハッキリ言ってしまえば、これはもうTV版のEVAとは別物だ。そんな事は誰もが分かっていると言われるかもしれないが、前述したようにテーマは同じで、監督が表現したい事も同じなのだ。
 ただ、その表現技法が変わってしまった。その為に、ストーリーですら改変され、かつてのものと不連続性のものになってしまったのである。
 物の見方によっては、この新劇場版の前作とも不連続性のもの…と言い切ってしまってもいいかもしれない。
 おそらく、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のラスト部分が、Qで言うところの空白の14年のさわり部分で、実際に14年の空白がそのまま空いて、Qへと繋がっている。
 だが、これは連続性のあるものと言えるのか?
 監督は連続性のあるものと捉えているかも知れない。しかし、観ている側からすると、連続性があると言い切れるかどうかはかなり微妙だ。この作品同士の繋がりの浮ついた感覚は、1990年にUSAでTV放送されたドラマ“ツイン・ピークス”の雰囲気によく似ている。
 分かったようで分からない。分からないようで分かっている。そんな感じだ。

 劇場公開後、劇場でコレを見せられた人達の反応を思い出すと、メディアで紹介された人のコメントは総じて「おもしろかった」だったと思う。
 だが、私はこの「おもしろかった」という言葉の前に、きっと「よくわからなかったけど」が付くのではないかと、今更ながら思う。
 イキナリ劇場スクリーンでコレを見せられて「おお、なんてオモシロイんだ!」と大絶賛できる人はほとんど皆無だと思う。
 たしかに映像は綺麗だし、迫力もある。作画も最高レベルだと思う。だが、そんな出来の良さとストーリーとは別物だ。この作品は、結局のところ人類の未来と生きる価値、生き延びる価値、自分と他人、自我…そんなものをテーマにしている。監督が観ているものは監督でないとわからないが、観ている人のほとんどが、そうしたテーマから大きく外れないテーマを認識しているように思える。
 だが、テーマが認識できるからといって、ストーリーが認識できるかは別物だ。
 今回のヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qは、正にそうした勘違いと食い違い、錯覚と錯誤から導かれる作品の原点回帰が見て取れるように思えてならない。
 わかる人による、狙い澄ました演出は、そうした原点回帰を深層下で引き起こしているのではないかと私はみた。

 ま、全体的に作品としては素晴らしいと思う。観客を置き去りにしていく部分のみ、ちょっと如何なものかと思わないでもないが、TV版のEVAの時もそうではなかったか、と考えれば、それこそ“今更”である。
 鬼才、庵野秀明。
 鬼才ゆえ、他人が本当に理解する事ができるかどうかなんて、そもそも分からないのである。
 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qという作品は、まさに鬼才ゆえの作品ではないかと感じた。

 最後に。
 Qはこの人にはじまってこの人に終わる。そして今回は歌ではなく、連弾によるハーモニーだった。音律や韻律はまさに神が作り出した法則…といわんばかりの感じだが、そこに関しては私も強く共感する。音楽は数学的解釈でありながら、その組み合わせで無限の旋律を奏でる事ができる。この作品の中でもっとも感受性を刺激されるところである。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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