漠然とした不安

母が入院し、一人家にいて、今後の事を漠然と考えた。

このままでいいのか?

人生、生きていればいろんな事がある。
状況が大きく変わる事もあるだろうし、それによって生活が激変する事もあるだろう。
その状況の中では、自分が得られる収入と支出のバランスが大きく変わる事も当然あるわけで、もしそういう状況が来たら、どのように変化していけばいいのか、なんて事を考え始めるとキリがない。
どのように変化するのかわからないのだから、考えても仕方が無いのだから、キリがないのは当たり前だが、それでも考えてしまう自分がいる。
これは、現状に満足していない自分だからそうなるのか?
それとも現状に満足していないのではなく、単純に今を維持する事ができるのか不安になってそう考えるのか?
周辺で起きる変化が、自分を追い立てているように思えて、そう考えてしまうのか?
自分の中で、得も知れぬ恐怖が、徐々に存在感を増していく。
形にもなっていないのに、である。
何故こんな事を感じるのか? 思うのか? 理由はハッキリわからないが、漠然と自分の状況がその後押しをしているのではないか、と思っている。

一人

私には兄もいなければ弟もいなし、まして姉や妹もいない。
私は生まれたときから一人っ子。学生時代はカギをもって自宅に戻り、一人カギを開けて家に入り、親が帰ってくるのを待つ日々だった。
今でも「鍵っ子」という言い方をするのだろうか?
私は常に鍵っ子だった。
両親が離婚した後は、さらに一人でいる時間が延びた。
ただ、その時には一人でいるという実感はあまり感じなかった。何故なら、時間が経てば親が買ってくるし、宅内に犬を飼っていたからだ。
その後、両親は再び同居するようになり、飼っている犬も世代が変わったが、学生時代よりずっと一人という状況はなくなった。
だが、それから数十年経過した今はどうだろうか?
気がつけば、父親は他界し、17年一緒に過ごした犬も他界した。母親と私だけが残り、二人の生活が今数年続いている。
だが、その母親も入院がここ二ヶ月の間に2回もあり、一人になる時間が激増した。
一人でいるということ自宅に帰ってきた時、その一人だという事を強烈に感じた。
こんな事を考えるものではないが、もし母親が他界してしまうと、今度は私が一人残る事になる。それこそ本当に一人である。
もちろん、今の時代、ネットで繫がれる知り合いはいるし、完全に一人かといえばそうではないかも知れない。だが、血は水より濃いという通り、ただ知り合いがいるという事と、血縁がいるという事の意味はやはり違う。いや、血縁でなくてもいい。一緒に生きるという人がいるという事と、実体がそこにないネットでは意味が全く異なるという事を、感じ始めた。
ひょっとしたら、これがこの漠然とした恐怖の真の姿なのかもしれない。

繋がる

DEATH STRANDINGをプレイした時、この繋がるという意味を自分の中で結構真剣に考えたことがある。
DEATH STRANDINGの世界は、世界がDEATH STRANDINGという怪現象によって分断され、人々が単独で生きる世界にカイラル通信というネットワークを構築して、人々と繋がる世界を作って行くストーリーだった。
繋がる事で、いろんな情報が広がっていき、個人が孤独から解放されていく事で、生き方そのものが変わるという事が垣間見れるゲームだったわけだが、実際、私は人がこの通信だけで完全に繋がりきれるのか? という事を、そのゲームをプレイしていた時には思う事はなかった。
だが、今プレイすると、ネットワークで繋がる事で一人ではないという気持ちを持てるだろうか?
正直、ネットワークだけで繫がれるという事を断言できる自信がない。人と人のコミュニケーションは、結局はそんな単純なものではないという事を、思うようになったからだ。
手の届くそこに、実体を伴った自分でない存在がいる。
それが、とても大きな意味を持つという事に、気づいてしまったのである。

たとえそれでも

だが、残念な事に、私は今後一人で生きていくことになるだろう。
これはもう避けて通れない道筋だろうし、仕方のない事だろう。
だからせめて。
ネットワークだけはちゃんとしておきたい。
繋がるためのほぼ唯一の方法…とまでは言わないが、今後私が一人でないという事を錯覚する為に絶対に必要な措置である。
しかし、残念な事にそのネットワークも、先日Blogにも書いたとおり、通信障害が起きるときがある。しかも頻度が高めに。
ネットワークが一人という状況を打開できる唯一の方法なら、もう少しこのネットワークというものをちゃんとしていきたい。
現在起きている問題が、ルーターの問題に起因しているなら、何とか解決できる道を模索しないといけない。
ただ、今はその最適解が見当たらない。
一人でいると、そのあたりも漠然とした不安となって迫ってきているのかも知れない。

何とも、人の心とは掴めないものであり、御しがたいものである。
状況を見つめ直す事は必要な事かもしれないが、考えすぎるのも良くない事。
分かっているのに、どうすることもできない。
自分の心すらままならないとは、人とは何とも不器用な存在である。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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