ココロの在り所

母親の入院、そして自分の仕事の問題等々、ココロが壊れそうになる。

病院にて現状を聞く

今日、仕事を中抜けして母親の入院している病院に出向いた。担当医から母親の現状の説明を受けるためで、今後の退院に向けて方針を打ち合わせる意味もあったのだが、退院した後の事などを見据えて考えると、とても喜ばしい状況という感じで言えるような結論ではなかった。
まず、ほぼ寝たきりになる事は確定事項となった。腰椎の圧迫からか、右足首が伸びきった状態になってしまい、現状では立つ事もままならない事となっていた。
実際には笑っていられないのがツライところ
リハビリをしても、回復の望みがまずないとの事で、腰椎の手術をした結果で場合によっては…という話だった。
その腰椎の手術についても、入院時に行う事が入院先の病院ではできないため、他の病院にて受ける必要がある事から、地方の病院というのはこういう時にうまくいかないな、という事を実感する。
また、このような寝たきりを視野に入れた場合、今後の介護に関しても状況が変わってくる為、認定区分をより高いものへと申請し直す必要が出てきたり、実際のヘルパーさんにお願いする内容や頻度も大幅に見直す必要が出てくる事になる。
だが、闇雲にいろいろお願いできるかといえば、決してそうはいかない。何事にもコストが係るので、どれだけのコストをかけられるのか、等と相談しながらの話になる。
こうなると、現状の住環境も見直す必要があり、引越しも視野に入れ、なおかつそこにかかコスト全体を見直す必要も出てくる。
引越しで厄介なのは、かつて我が家は自営業…というか会社登記をしていた関係で、会社の資材などを現在の借家に保有していたりするので、そうしたものの処分などもしなければならない。というか、ウン十年住んだ家なので、荷物がバカみたいに多いので、処分を業者にお願いしたりすると、そこでもかなりのコストをかけざるを得ない事がわかっている。
こういう事から、一度自分の環境の全てをリセットするレベルで今後を見据える必要がある。コスト的に許容できるかはわからないが。

転職はしなかったが…

今度は自分の仕事の問題。
先日、社長と上司で言っている事が異なるという事をBlogに書いたが、その事について社長から上司とどのような話になったのか、その経緯を聞く事ができた。
社長から、私を全く違う事に使用したい、と上司に説明したところ、上司が(私を)手放す事はできない、と強く言われたそうである。
…ここまで関係がこじれたにも関わらず、私を手放せないとは如何なる事か? と私も思ったが、結局は品質管理部門における業務で、品質管理システムの理解とその運用実績から、外されては困る、という事のようである。
現在、私のような業務を行う人材が少なく、また理解している人も育っていない、また後継となる人をアサインしていないという事から、私が抜けた穴を埋められる人がいないというのが大きいと考えられる。
社長からすると、こじれた関係でありながら、上司が私をそこまで必要と言うとは思っていなかったようで、しかも社長も自分が今後手を付けたい業務に私を当ててどのように進めていくかを考えていた事もあって、結構話し合いは揉めたらしい。
私からすると、必要とされるのはありがたい話ではあるが、それなら何故関係がこじれるような状況になったのか、またそうなる前にフォローされなかったのか、と言いたいところである。
なので、社長と新しい事を行う業務は、一旦おあずけになりそうで、しかも逆にQMSの管理業務をより多方面に広げるように言われ、私のストレスは逆に高まる事が予想される。
問題の解決どころか、より泥沼に入る結果となったので、私は社長には「より負荷が高くなる事はまちがいないでしょう」と伝えておいた。
社長は去り際に「また問題がでたら、すぐにおしえてくれ」と言ってくれたので、一旦は私も鞘に収めはするが、今後、おそらくそう遠くない内に、また問題は顕在化するだろう。

予算が足りない

母親の問題で一番大きな課題は、収入の低さである。
そして私の業務の問題は、そもそも今の仕事の内容に問題があるという事である。
この状況下で、転職を視野に入れて動いたとして、足りない収入を増やす事ができるかといわれれば、転職という観点で言えば無理だろうと思う。
では独立か?
独立したなら何をビジネスのコアにするのか?
もちろん、こうした問題が出てくるので、安易に独立とも言えないのだが、収入と仕事の内容を天秤にかけたなら、今は収入を取るしかない。
しかも比較的安定している事を前提に考えると、現職を転職するのは得策ではない、という事がより明確になっていく。
仕事だから我慢すべきところは我慢しなければ…。これは分かってはいるが、転職の理由の大きな要素は人間関係の問題であり、今、私はそれが浮上している状況である。
自分をどこまで殺し、耐え忍ぶ必要があるかは、この先もう少し今の状況を続けてみないとわからないが、この問題と併走するようにして母親の介護の問題は止まる事なく進んで行く。
こういう追い詰められた状況を今日再確認した事で、私の心の在り所は見えなくなってしまった。

世の中、お金が全てとは言わないが、持てるものを何一つ持っていない身は、こういう時にクリティカルに弱くなる。
その弱さをバネに立ち上がれれば、まだ望みはあるのかもしれないが、弱さをバネにするには私は何もかもが遅すぎたと思う。
さて、この先どうしようかね…。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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