家庭内の危機

インフルエンザに罹った母とその介護をする私。どう考えてもインフルエンザが遷るだろ。

私も発熱外来へ

昨日、母が発熱外来に罹り、結果インフルエンザA型の陽性反応が出た。
となると、当然だが私も非常に怪しいわけだが、その兆候はその日の夕方に出始めた。
私も熱が38.6℃になってしまい、これは検査などしなくても間違いなく遷ったなと分かったのだが、インフルエンザの治療薬の処方箋を貰う為には発熱外来に罹らないといけない。
というわけで、土曜日ではあるものの発熱外来に罹った。
検査する際、いつも罹っている病院ということもあり、検査する看護師がよく知った人だった。
私が蜂窩織炎(実際にはその手前)で足が腫れ、熱をよく出すことを知っていたのか、検査の際に「今日も足が腫れた?」と聞いてきたので、母がインフルエンザに罹ったと伝えた。
その看護師は私の母が介護状態にあることも知っているので「それじゃ遷ったかな…」といいながら私の鼻に検査キットを入れてきた。
鼻孔の奥をグリグリされるこの感覚はキツイ…
この検査、正直いつやってもキツイのだが、もっと手軽な方法はないのだろうか?
とりあえず、検査結果は45分後に医師から連絡があるというので、結果が出るまで待つ事に。
45分後、スマホに担当医から連絡が入ったが、予想通りインフルエンザA型が陽性だと告げられた。
処方する薬が3種類あると言われ、1つは吸引する薬で一回吸引すれば5日間は解熱剤で要するを見るという薬。もう一つは吸引する薬で一日1回吸引するという薬。そしてもう一つは錠剤で朝夕の食後に服用するという薬である。
正直、私はインフルエンザの薬と言えばタミフルと思っていたので、吸引する薬、しかも度吸引すればそれで終わりという薬があるという事は全くしらなかった。
ただ、吸引する薬は、上手く吸引できるかどうかが全てなので、ここは安全策を採って錠剤を貰う事にした。

インフルエンザと介護

母も、そして一日遅れで私もインフルエンザ陽性という事態となり、我が家の介護事情は危機を迎える事になる。
とりあえず、今日は訪問ヘルパーさんが何とか来てくれて、排便処理の仕方などを私に教えてくれるとのことだが、とりあえず見てみるしかない。
私が発熱外来から戻ったあと、お昼頃にヘルパーさんがやってきた。
ヘルパーさんは一応最低限の感染防止策をして家に入ってきたのだが、危険なことをお願いしているという感覚はもちろんある。
申し訳ないと思いつつも、いつもやっている排便処理を見せてもらいながら確認した。
今日はたまたまそんなにヒドイ状態ではなかったので、簡単に終わってしまい、正直、ヒドイ状況の時に私が対処できるのか? という疑問しか生まれない。
しかも今日のその簡単な処理にしても、実際問題、私が一人でやったとして、上手くできる自信はまったくない。それほどまでにヘルパーさんは手慣れているということであり、さすがは本職だということである。
やり方はとりあえず分かったが…正直自信がない。
インフルエンザが一段落するまで、どうにかできるだろうか?
不安しかないな。

終結まで

母は12月7日の午後に発熱が確認され、その翌日に検査によって陽性反応なので、インフルエンザの起算日は12月7日ということになるだろう。
そして私は母の発熱外来日の夕方から発熱が起きたので12月8日が起算日となる。
それぞれ、そこから最大で5日間は非接触に努めることとなるが、問題はいつ解熱が確認できるか、ということである。
最大5日というのはわかるが、人によってはもっと早く解熱する場合もあり、その解熱した日から2日空ける必要があるという。
ま、最大一週間はインフルエンザの影響を受けることになりそうだ。
介護をする環境にあって、一週間介護体制が大きく変わるというのは、正直厳しい話である。
ま、それ以上にインフルエンザにやられた体がしんどいわけだが。

とりあえず、日曜日の外部の介護は期待できないので、何とか一日凌いだ後、その後はまた相談することにしよう。
自宅介護はこういう事態になるとホントにヤバイということを身にしみて理解した。

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武上

18歳の時、人生の最大の選択ミスをしてしまい、いきついた場所として山梨県人となる。 その後、建設業に身を投じ、資格をいくつか取得するものの、結局自分の性格と合わない事を理由に上京。 上京後、世間で話題になりつつあったアニメ・ゲームを主体とする業界の人間となり、デジタルコンテンツ業界を含む数々の著名人と同じ土俵でマルチメディアな仕事をするに至る。 一見華やかなメディアの世界の、その闇の深さたるやハンパない事こそ世間に何となく知られてはいるが、業界人しか知らないその氷山の全体像を十分すぎるほど目の当たりにした後、家庭の事情で再び甲州へと帰還。 しかし、この帰還も人生の選択ミスだったかもしれないなぁ…と今では思うものの、時既に遅し。 今は地元の製造業を営む会社の総務・品質保証という地味ではあるものの堅実な職につき、いつか再びやってくるだろう夢の実現を信じて隠者的生活を送っている…ハズだったのだが、またしても周囲の事情で運命は波乱の様相を見せ始めた。 私の人生は一体どの方向を向いているというのだろうか? ちなみに筆者はPCとの付き合いはかなり長いと思っている。 古くはPC-8801 mk2 SR、X1 Turbo、X68000、FM-Towns、PC-9801シリーズ(互換機含む)、PowerMAC 9500等をリアルタイムで使い、その後は、Windows PCの自作機を中心に現在に続いている。 デジタルガジェットに関しては興味もある事から、その時代の時々において、いろいろ使ったり調べたりして、専門家ほどではないが知識は蓄えてきたと思っている。 そうした経験を元に、今の時代へ情報発信させてもらっている。少々くどい言い回しが多いかも知れないが、お付き合いいただけるとありがたい。 連絡先:takegami@angel-halo.com (@を小文字にしてください)

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