意思の疎通は何とかできる。だが、正しく伝わらないもどかしさはある。
病院にて
本日、入院している母の状況説明があるとの事だったので、病院に出向いた。
元々、先週末あたりに病院から電話があって、そうした場が設けられるという話は聞いていた。
そしてその時、私はその電話を入れてきた看護師に、一つのお願いをしていた。
それは当Blogでも記事にしたが、母の言葉について、医師から説明が聞きたいという事である。
少なくとも、入院する前日の朝までは普通に会話をしていて、そこから発熱が確認された後から話さなくなった事は判っている。今回の発熱によって、何かしら問題が出たのだろう事は容易に想像が付くが、元に戻れるのか、それともより深刻化するのかは、私にとってとても大きな問題である。
で、その話をした上で、もし会話できないとなると、今後の介護において今まで通りという訳にはいかない事から、今後の介護についても検討をする必要がある、という事を電話してきた看護師に話したところ、市の地域連携担当とも話をする必要がある、との事だったので、本日の話はまず前段階の状況説明だけだろうと思って、今日に臨んだ。
だが、病院に着くと、いきなり地域連携担当が出てきた。
こちらはケアマネージャーに声もかけていなかったのだが、地域連携担当者はケアマネージャーと連絡を取っていたらしく、ケアマネージャーが別件の用事で今日はカンファレンスに出られないという情報を既に知っていた。
何も聞いてないのに…とも思ったが、私が何度も病院に足を運ばなくても良いように、という配慮でそうしたらしい。
で、担当医師からまず言われたのは、身体的にはもう退院はできるレベルにある、という事であった。だが、問題の言葉に関しては、やはりしゃべれないままである、として、これが改善できるかどうかは、脳のMRIを撮って調べて見たが、異常は見られなくわからない、との事だった。
元々母は50歳台に脳梗塞となり、言語野を司る左脳が壊死している。その後、右脳が機能代替をして会話できるレベルに回復したのだが、今回の発熱が原因か年齢的な問題なのかはわからないが、その右脳機能に問題が出た可能性はある、との事。
絶望的ではないが、希望的でもない、というのが今の状況のようである。
また、右腕機能が著しく低下しているので、今までの介護状態と同じという訳にはいかない可能性がある、と言われた。
つまり、在宅介護にそろそろ限界が来た、と言えるかも知れない。
のっけから、私としては喜んでいられない状況である。
本人と会う
一通りの説明を受け、今後の介護に関してはケアマネージャや地域連携の担当者と話をしてどうするかを再考する、という事となった。
その後、看護師は母本人を車椅子で連れてきた。
私の顔を見た直後、母は泣き崩れた。言葉が出ない事が悔しく、また焦りになって感極まったのだろう。
ただ、言葉こそ無かったものの、その他の認知というレベルで私をちゃんと認識し、私の言葉を認識した事に望みはあると感じた。
私の問いかけにもうなずいたりして反応しているので、コチラが何を言っているかは判っているようだし、認知というレベルではマトモだと判ったので、私的にはまずもって一安心である。
ただ、本人が望んでいる事を言葉には出来ないので、それをコチラが理解できるか? という不安は今後どうしても出てくる事は間違いない。
おそらく、本人からしてみれば、思っている事が口から出てこない事に対して相当にもどかしい思いをしているだろうし、悔しい思いをしているだろう。そして当たり前に出来ていた事ができない事への焦りもあるだろう。
そうした不安な葛藤と戦い続けているだろう事を考えると、私としても何とも居たたまれない気持ちになる。
で、私はそんな母の脳に刺激を与える意味で、一つ持っていったものがあるので、それを母に見せてみた。
それは…今から13年前に他界した、我が家で飼っていたシーズー犬の写真である。
我が家ではこの犬をとてもかわいがっていたし、13年も経過したのに未だに話が出るので、その写真を見せる事で刺激にならないかと考えたのである。
写真を見せた途端…もうそれはもう涙の嵐で、大変な事になってしまった。だが、確実に刺激にはなっただろうし、何か変化が今後出てくると期待したい。
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